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俺の卒対観察日記 1

人物紹介

我が家:核家族。俺(普通の会社員)、妻(週4日 7時間パート)、娘、息子(娘の2学年下)。東京都在住。俺も妻も実家は地方なので親は頼れない。
2018年度:上の子(4年生)枠で広報委員
2019年度:下の子(3年生)枠で文化委員かつ指名委員、さらに上の子(5年生)の卒業対策委員。卒業対策委員長は任期2年である。
2020年度:卒業対策委員長あと1年(1子1委員済み)

ストーリー

俺のPTA観察日記 4までは同じ。こちらでは、卒業対策委員の活動にしぼった内容で書いていく。

簡単にまとめると、2018年度に初めてのPTA委員になり、なんやかんやどうにか終わった。その年の最後の保護者会で行われた卒業対策委員選出の場で、あまりにも誰もやらないまま無為に時間が過ぎていくのに耐えかねて、妻が引き受けて帰ってきたということ。

世間でよく聞く卒業対策委員は、6年生になった時点で発足して、謝恩会やら卒業アルバムやらを作るPTAの1つの委員となっている形が多いようだが、ウチのは違う。5年生の時点で活動を開始するために、4年生の最後でメンバーを決めていたのだ。

それから2カ月が経過し5年生の5月。直前の卒業生(2学年上)の卒業対策委員からの引き継ぎを受けることとなった。

ここまで何もしないなら、そんなに早くメンバー決めなくていいんじゃないかと思うが、引き継ぎ元は2学年上。彼らが小学校にいる間に決めようとするとこうならざるを得ない。そして、5月に引き継ぎを行う理由は3月は謝恩会と卒業式、4月は中学入学と卒業アルバムの最終校正などいろいろあって忙しいからのようである。

待ち合わせ時間になっても、前委員と妻の2人しかいない。しばらくして分かった。他のメンバーへの連絡は相手がしてくれてるとお互いに思っていたので誰にも伝わっていなかったのだ。

前委員は現メンバーが連絡先を交換しているものと思い込んでいた。妻はあの日たまたま前委員と連絡先を交換していた。他のメンバーは選出が終わったタイミングで特に何も言われなかったので帰ってしまったし、そもそも妻は誰が選ばれたのか理解していなかった。

まさかのマイナスからのスタート。

成り行きで妻だけが引き継ぎを受けて帰ってきた。資料を見て、頭の中で整理して、他のメンバーに共有しないといけないのに、まずは他のメンバー探しをしないといけない。

前途多難の卒対が始まった。


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