SDGsに反対する友人の話
持続可能な開発目標「SDGs」
人類が地球でこれからも暮らし続けるために2030年までに達成すべきと掲げられた目標たち。
人類が地球で持続的に発展していくため、地球環境など人類を取り巻く問題にも少しずつ意識を向けていきましょうねという内容だ。
「貧困をなくそう」、「海をきれいにしよう」、「エネルギーをクリーンに」……。
掲げられた17個の目標は、別に新しい概念ではない。
個人的には道徳の授業の延長のようなものだと感じた。
恐らくどんな悪人だろうと「良い」行いであることくらいは知っているものだろう。
つまり、自ら積極的に動くことはないにしても、(自身の不利益にでもつながらない限り)積極的に反対するような理由もないもの。
わざわざ反意を示すのは何か叫びたいアンリアルな世界の住人たちだけだろう。
そのように考えていた。
SDGs反対派
そんなSDGsに対し、友人がわざわざ反意を示すとは私は夢にも思っていなかった。
それはラーメン食った帰り、二人で車乗っている時の出来事だ。
うまい飯を食った後、それなりに笑いが飛び交う車内。
職場の同僚がSDGsの意味を知らかったという話から飛び出したのが次の発言だった。
「まぁ俺はSDGs反対派だけどね」
ネットの書き込みではない、聴覚からアプローチしてきたそれは私の脳を直接揺さぶった。
SDGs反対派…?実際に耳にすると中々パンチのある言葉だ。
それも親しい人間から出たものだから猶更である。
彼は何か事業をしているわけではない。政治に通じているわけでもない。
わざわざ反対する理由がわからない。
スルーしてもよかったが、興味本位から思わず聞いてしまった。
「なんで反対なん?」
SDGs反対の理由
先にことわっておくと、彼は別に「変な」人間ではない。
至極「普通の人」に分類されるだろう20代後半、会社員、男性だ。
その「普通の」友人は理由を聞かれると思っていなかったのだろう。
「17個も目標を掲げている割には内容が被っているから」
「6.安全な水とトイレとか何なん」
しどろもどろにまと外れな回答を口にし始めた。
目が泳いでいる。声がくぐもっている。
恐らくこれが彼の本心ではない。
さらにSDGsの掲げるものが「良い」ものだとも認識しているのだろう。
小学生の時、机を並べて道徳の授業を受けた仲だ。
だからこそわざわざ反対する理由がわからない。さらに会話を進めてみる。
次に出たのは「俺は不利益を被っている」という言葉だ。
「紙ストローやら、レジ袋有料化で迷惑している」という。どうやら仕事柄、不利益を被っているのではないようだ。少し安心した。
確かにレジ袋有料という政策自体には私も思うところがある。
政府が環境問題解決推進をアピールするため、適用しやすいものを狙い撃ちしたイメージだ。
しかし、いざ実施されてみると個人的には何ということはなかった。
片手でもてるものにレジ袋はいらないし、何より3円も払えばレジ袋はついてくる。禁止されたわけではない。
仮にレジ袋で購入し続けても年間の支出は300円ほどだし、実際に無駄は多少とも減っているのだろう。レジ袋屋には困る話だろうが。
そもそも彼は実家暮らしだ。
「そんなに頻繁に買い物せんやろ。『不利益』はちょっとオーバーじゃない?」
と突っつくと「まぁ確かに」とバツの悪そうにうなずいた。
紙ストローに関しては個人的にまだあまり出会ったことがない。
「どこの店で使われとるん?」
そう聞いても具体的なお店は出てこなかった。
恐らくこれらも彼の反対する理由ではなさそうだ。
「とりあえずイキって反対と言っちゃったのかな…?」
そう思った矢先飛び出したのが次の発言である。
SDGsに反対する彼の本心
「なんかさ、嫌いなんよね。SDGsとか偉そうに語る人間が」
これまでのような他人から拝借した言葉ではない。
嫉妬・妬みのたっぷりこもった、解像度の数段あがった言葉だった。
そして私は20年来の付き合いから、これが彼の本心だと直感する。
なるほど。つまり、「ムカつく」のだ。
SDGsを語るような人間が、そしてその人間から語られるSDGsが。
彼らしいと正直思った。彼は良くも悪くも直情型だ。
理屈云々ではない。権威に対する嫉妬心で彼は動いている。
それは「良い」ことだと何となくわかっていても、思わず反対したくなるくらい。
こうなるともう理屈ではどうしようもならない。
「ムカつく」のだからどうしようもないのだ。
環境問題と感情問題
「良いことだとわかってても賛同できない。それは『よくわからない』し、『ムカつく』から」
シンプルだが根が深い問題だと感じた。
今回の彼のようにわざわざ反対を表明する人は少ないにしても、大なり小なり内に秘めている人は少なくないかもしれない。
そういえば、先日公開された「閃光のハサウェイ」でも主人公が同様の問題に直面し悩んでいた。
問題解決のため、命懸けで戦う主人公。
しかし、その恩恵を被るはずの当事者たちは活動の内容を理解しようとしていない。それどころか何となく負の感情すら抱いている者すらいる。
「人類全体に叡智を授けること」は不可能につき、善意ある人が解決を目指すのは世の常だ。
しかし、同時に恩恵を被るはずの人が、感情的に排除しようとする一見理解しがたい光景も世の常なのかもしれない。
恐らく不足しているのは常にコミュニケーションだろう。
それも負の感情というハンデを抱えた難易度の高いコミュニケーションである。
少なくとも私はラーメン屋からの帰路という限られた時間で、それを乗り越えることができなかった。
いや十分な時間があったとしてもおそらくできなかっただろう。
「ムカつく」という感情を超えて届く言葉を私は持ち合わせていなかったのだから。