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『ポストAI・・・AIに仕事を奪われる幸せ』

 その時、ようやく人間は手に入れる。

 AIに仕事が奪われるという話題が出てきたのはいつ頃からだろう。
AIの能力に関する事件を追ってみる。1997年にAIがチェスで世界チャンピオンに勝って大きな話題となった。その後しばらくはブランクが続くも、2012年にグーグルが開発したAIが猫の画像を認識したことを発端に、2013年にはAIが将棋でプロ棋士を破り、さらに2016年には囲碁の世界チャンピオンをAIが降した。そのような流れの中でAIの能力の飛躍的向上が喧伝けんでんされ、このままAIの能力が上がり続けることに対する期待と懸念から「仕事を奪われる」のような現実感を伴った話題が出てきたのだと考えられる。加えて、経済が行き詰まり、消費の低迷や景気の悪化が引き起こした失業などの社会不安が背後で拍車をかけていたことも要因だろう。しかしこのままAIの能力が向上していけば本当に人間の仕事は奪われるのだろうか? そのことを考えるためにはAIの話題に関する基本的な情報不足を解消しておかなければならない。

 基本的な情報とは以下の3つで、これらの定義を共有することで正しい理解へと導かれる。

  1. AIとは何か。
  2. AIに仕事を奪われるとはどういう状況を指しているのか。
  3. 本当にそうなるのか。


 順に説明しよう。
 AIとはArtificial Intelligenceの略で、「人工知能」のことだ。つまり頭脳のことで、パソコンで例えるとCPU。「インテル入ってる」のアレだ。頭脳であるCPUが身体であるパソコンを動かしていると考えればイメージが湧くだろう。CPUの能力が高ければパソコン(アプリケーション)にも高度なことができるという理屈だ。しかし、AIはパソコンのCPUとは訳が違う。どう違うのか。AI研究の出発点であるである「人間の脳と同じ機能をコンピュータで実現する」を参照するとCPUとのレベルの違いは歴然だ。そう、AIとは人間の脳のコンピュータ版のことなのだ。さらに注意が必要なのは、「頭脳」部分のみをAIと呼ぶ場合と、「頭脳」+「身体」の両方をAIと呼ぶ場合がある。専門家の間でも定義がまちまちの状態なのだ。この認識をしっかり押さえておかないとちまたのAI関連の話題に振り回されることになってしまう。ここでは「AI=頭脳」と定義した上で、身体に相当する部分についても整理しておきたい。

 まとめると次のような定義になる。

  1. 人間の脳の機能をコンピュータで実現した頭脳=AI
  2. AIを搭載した機械=AIソリューション
  3. AIを搭載したロボット=アンドロイド
   ※アンドロイドとは外見を人間に似せて造ったロボットのこと

 以上のように定義することで、ある重要な事実が浮かび上がってくる。それは2022年2月時点でAIはまだ未完成である、ということだ。人間の脳と同等またはそれ以上の機能を実現することで、はじめて完成したAIといえるのではないか。囲碁や将棋に勝ったことは大きな成果だが、それだけでは人間の脳にはまだまだ遠い。


 次にAIに仕事を奪われるとはどういった状態を指しているのかについて、前述の3つの定義に沿って考えてみたい。

 定義1:AI(人間の脳の機能をコンピュータで実現した頭脳)に仕事を奪われる。
 
 頭脳だけで何かの仕事を奪うことができるのだろうか? 特殊な仕事でそのようなことが生じるかも知れないが、ここでの目的は広く一般の人が実感できるようにすることなので一旦置いておく。

 定義2:AIソリューション(AIを搭載した機械)に仕事を奪われる。
  
 AIを搭載した機械には、工場のロボットやスマート家電がある。掃除機のルンバや喋る冷蔵庫がそれである。うーん、確かに工場のラインが自動化されれば、それまで働いていた従業員はその仕事から外れる訳だから、それをもって奪われるといえそうだが、何かしっくりこない。

 定義3:アンドロイド(AIを搭載したロボット)に仕事を奪われる。

 身近な事例で考えると、ドラえもんやターミネーターが仕事を奪うというものだ。それって身近? いや、確かにそうだ。身近とはいえ現実的ではない。でも近い事は起こりつつある。店舗の入り口で接客しているペッパー君が進化したらレストランのホール係の仕事がなくなるのでは?

 どうだろう。このように整理すると少し具体的にイメージできたのではないだろうか。結局3つの定義のうち、1は事例がほとんどないか一般的でない。2はAI以前から既に起こっているし、現在進行形でもある。産業革命の頃から技術革新が常に人間の仕事を奪ってきた流れがAIによって加速される懸念、として理解しておこう。3がこれから起こりうる最大の懸念として考えられるが、具体的にどのようになるのかは未知としか言いようがない。そう、この「未知」こそが未来の不安定さを暗鬼あんきさせる正体なのである。

 では本当にそんな事が起こるのだろうか?

 起こるか起こらないか問題で必ず出てくる言葉が「シンギュラリティ」だ。この概念がまた議論を難しくしているので詳しくは次回に譲るが、分かりやすい説明を引用しておこう。

 「シンギュラリティというのは、人工知能が自分の能力を超える人工知能を自ら生み出せるようになる時点を指す。自分以下のものをいくら再生産しても、自分の能力を超えることはないが、自分の能力を少しでも上回るものがつくれるようになったとき、その人工知能はさらに賢いものをつくり、それがさらに賢いものをつくる。それを無限に繰り返すことで、圧倒的な知能がいきなり誕生する、というストーリーである。」
(松尾豊『人工知能は人間を超えるか』2015年)


 分かりやすいが、これもでもやはり未知である。

 未来はどこまで行っても未知なのだ。ならば悲観的でも楽観的でもない前向きな未来、希望を託せるような未来にできないものか。そのために私たちはどうしたらよいのだろう。


 ところで、あなたにとって仕事とは何か?

 多くの人が望むと望まざると「稼ぐ」という目的のために仕事をしているのではないか。そうであるならまた、多くの人が仕事に拘束されているともいえる。もちろん仕事にやりがいを見出している人もいるに違いない。それはとてもいいことだと思う。しかし、ここで一度フラットに考えてみてはどうか。もし、シンギュラリティが起こり、進化したAIが人間と寸分違わないアンドロイドをつくったとしよう。しかも人間にとても従順なアンドロイドだ。あなたの家にも自分の分身のようなアンドロイドがいる。とても優秀だ。もしかしたら本物より仕事をこなせるかも知れない。社会は多くの作業や労働をアンドロイドに代替させることが普通になっている。
 
 この時、あなたはやりがいのある仕事をするために毎日会社へ通うだろうか? それともアンドロイドに代理出社させるだろうか?

 ここで重要なのは、この話が本当に起こるかどうかよりも、このような世界を仮定した時、はたして自分がどのような行動を取るのかをシミュレートすることである。なぜならその世界の私は、私の知らない私だからである。一生働くことが当たり前になっている今の世界の常識を覆し、全く新しい世界の常識を想像してみる。この未来の世界で私が手に入れている最大のものは何か? 

 それは「時間」だ。

  シンギュラリティが起こったあとの世界でアンドロイドに仕事を奪われる時、私たちは同時に無限の時間を手に入れている。そのアンドロイドが私の所有する自分の分身であったなら、稼いでいるのはもう一人の私なのである。


 ポストAIがこのような世界なら、アンドロイドに仕事を奪われるのも悪くない。

By コハク

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