田舎の住宅事情と腐った床の全面張り替え移住リフォーム【後編】
住める家がない!?
地方での生活に大きな希望を感じて移住する人は多いだろう。私たち家族も希望に満ち溢れていた。おっと、誤解のないよう断っておこう。ここでいう「地方」とは「田舎」のことだ。東京から全国を見るとかなりの規模の都市でも「地方都市」と呼ばれ「地方」に含まれるようなので。また「田舎」についても定義が曖昧だ。私は人口が1万人以下の農村、山村、漁村みたいなイメージで使っている。
そんな地方への移住に意気揚々と臨んで、まずぶち当たる壁が「家」である。全国の空き家率が13.7%ということは7軒に1軒が空き家ということになる。しかも地方はその空き家率をグンと押し上げている。
私が住んでいた地域では4軒に1軒が空き家だった。にもかかわらず、にもかかわらずだ、実際には住める家はほとんどない。「そんなことないでしょ、こんなに家があるのに」当時、私もそう言って役場の移住担当者や地域の人たちに食い下がった。しかし「ないものはない」のである。
もう少し詳しく説明すると、空き家はあるが「すぐに住める家」がないということだ。つまり、住むためには何かしらの手を加えないといけない家ばかりなのだ。
手を加える作業は大きく3つ。
①所有者に意思確認する
②清掃する
③修理する
意外なことだが、ある集落の空き家について、行政や何らかの機関が一括して把握していることはほとんどない。
理由は、所有者がどこにいるかわからないからだ。若い頃に都市部へ出て行った人の親が高齢になって亡くなった後、都市に住んでいる息子や娘が形式的に相続したという経緯の空き家はなかなか把握できない。
こうした状態に置かれている空き家は多く、住人がいなくなった後は管理が行き届かなくなり、老朽化が加速する。
このような状況の中、ある家が移住希望者の目について「貸してください」となっても、所有者に簡単にコンタクトが取れないのである。
ここから①の作業が始まる。運よく所有者とコンタクトが取れたとしても、所有者も突然のことに即答は避けたがる。
「次に墓参りに帰った時に一度家を確認してから」といった具合になるのだ。
所有者が家を貸さない理由は2つだ。
・生まれ育った懐かしい家を他人に貸したくない
・荷物を整理する余裕がない
逆に貸したいという理由も2つだ。
・管理ができない
・老朽化が進めば取り壊さなければならない
以上のような住宅事情から、貸さない家は状態がよく、貸せる家は状態が悪いことが多い。
別の言い方をすれば、家の状態が良いうちは貸さない、家の状態が悪くなってくると貸して管理してもらおう、ということになる。
こういったことがすぐに住める家がなかなか見つからない状況の裏事情である。
さて、ここからが本題。
私たちが借りた家の所有者は地元に住んでおり、比較的簡単にコンタクトが取れた。その家は亡くなった親が住んでいたということで、20年以上も空き家になっているという。
そのため老朽化が激しく、私たちも最初に見た時「ここはないな」と候補にも入れなかった。また相手方にも貸す意思は全くなかった。
しかし、いくら探しても他に適当な物件がなく、最終的にその家を借りることになったのだ。
移住して右も左も分からない私たち家族の生活を気にかけてくれた地域の有力な方の口添えのお陰で、貸す意志がなかった所有者も首を縦に振ってくれた。ここまでが①の作業なのだ。
ここからが②の作業、つまり清掃となるのだが、私たちの場合は誰が見ても③の作業が必要だというくらい家が傷んでいた。
修理せずにはとても住めない家ということだ。前回の記事にも書いた通り、まずは最低住めるようにリフォームして、住みながら続きのリフォームをする、という計画を立てた。
住むためには床が必要だ。
「?」と思われるだろうが、それは普段床を意識していないからだ。歩けば床が抜ける、その家はそんな状態だった。
所々腐っている畳を全て剥がして足を踏み入れた途端、「バリッ!」という音とともに私の右足は床深く吸い込まれた。立て直そうと左足を踏み込むと「バリッ!」とまたも床が抜けた。
私は覚悟した「もはや床の全面張り替えだな」。
全ての床板を剥がし終えると、何かをやり遂げたようなすがすがしい気分になった。しかし次の事態がそんな気分を打ち壊した。
横で見ていた地域の人が「根太腐っとるな」とつぶやく。「ねだ?」初めて聞く言葉に私は聞き返した。
和室の床はマス目のように組んだ角材の上に床板を敷き、更にその上に畳を敷くという構造になっている。
私の両足を吸い込んだその和室のマス目は、一辺が15cmの角材が等間隔で2本渡された上に、一辺が8cmの角材が均等8本組まれていた。
太い方の角材を「大引き(おおびき)」、細い方を「根太(ねだ)」という。8本ある根太は全て腐っていた。2本の大引きのうち1本がかろうじて無事だったが、要はほとんど交換という状態だったのだ。
「交換するしかないな」と言われると、私の心は「ちょっと待って!」と叫んだ。そんなことは予定していない。
それにこんなにたくさんの角材は一体いくらでどこから仕入れるのだ? などと考えを巡らせる私に「ついて来い」という声。慌ててついて行くと、そこは引退した大工さんの家。
「角材ないか?」の一声に案内された倉庫には色とりどりの木材がひしめいていた。
事情を飲み込んだ元大工さんは、「好きなの持ってけ」と惜しげもなく言った。私はありがたい気持ちと、これ、後から請求くるよね? という気持ちでぐるぐる巻きになった。
しかし、とりあえずは大引き用1本と根太用8本の角材を入手できたのである。
大引きと根太を組むのに丸2日かかった。
そして翌日、床板を張った。こちらは何とか丸1日で終わらせることができた。
さあ、あとは畳を敷くだけ。
しかしこの時、ある事に気が付いた。
えっ? 畳って。
この時の衝撃は今でも忘れられない。
もともとの畳は腐っていたため処分したのだった。床の作業でキャパがいっぱいだったため畳のことにまで頭が回らなかったのだ。
目の前が真っ暗になり「終わったな」とつぶやいた私は新しい床板の上に崩れ落ちた。
どれくらい時間が経っただろうか、地域の人が様子を見に来た。
「できたか?」
「えぇ、一応」
小さな声で答えるのがやっとだった。
しかし何故かその人は私の顔を見ながらニヤニヤと笑っている。
私の気も知らないで何がおかしいのだろう? 失礼な人だ。
すると、訝しげな私の表情をからかうかのようにこう言うのだ。
「畳どうするんだ?」
「・・・」答えようがない。
「床の上で寝るか?」
「・・・」私は恥ずかしくなった。
あぁ、この場から逃げたい、と思った次の瞬間、
「乗れ」
「???」
促されて軽トラの助手席に乗る。
連れて行かれたのは地域の集会所。
「ここに古い畳があるからそれを使え」
「???」
この時の衝撃もまた忘れられない。
こうして畳を敷き終えると外は真っ暗になっていた。
これはリフォームという作業を通じて私が体験した移住生活の一コマである。
感じ方は人それぞれで正解などない。角材や畳を譲ってもらえたことはもちろんありがたいし嬉しかった。
しかしポイントはそこではない。私の文章でどこまで伝え切れたかは心もとないが、私の作業の一部始終を付かず離れず見守り、必要なタイミングで声をかけ、しかも恩着せがましくなったり気を遣わせたりしないよう、ほどよく人をからかったりする。こういう人間味が田舎にはまだ残っているのだ。都会では味わったことのない人情に心揺さぶられた。
だから田舎は良い、と言いたいのではない。これは私の主観的な体験を客観的に文章にしただけの移住生活のほんの一コマに過ぎない。ほかの一コマを書いたらげっそりするかも知れない。そういった一コマ一コマの積み重ねが私の移住体験を形作っている。
By コハク
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