【近況報告】小さな映画館で見た『神々の山嶺(いただき)』
こんにちわ、Twitterとココナラを中心にイラストレーターをしています。
菓子蔵かるです。
今回は、ちょっとした近況報告です。
キネカ大森に行ってまいりました。
キネカ大森っていうのは、超ちっさい(都会育ち偏見)映画館です。
シアターは5つあるかないかくらい…
しかもシアターひとつが写真の通り小さいんです(最後列から撮影)。
昔から憧れていたミニシアター?です。
朝9:50の上映
初めて訪れる土地の、初めていく映画館ということで、30分前には現地に到着。
シアターが5階であることもサーチ済みです!!
さぁ、いざエレベーターで勇者の剣を!!券売機を!!
なんて意気込んでいたら、エレベーターが動かない。
え…
まだあわてる時じゃないじゃん。
おじさまたちに囲まれてエレベーターの前で待つこと15分。
警備員さんがエレベーターの鍵を開けてくれて無事、劇場に入る菓子蔵。
その後も、古い小さい映画館ならでわのアクシデントが続きます。
『神々の山嶺』のパンフレットを購入し、ノートにメモをとりながらの鑑賞がスタートです。
早速本題に入っていこうかな。
『神々の山嶺』
まずは全くこの作品を知らない方のためにあらすじと簡単な見どころを。
*以下菓子蔵の解釈が多く入り、引用は『神々の山嶺』パンフレットからのものであります。
原作は夢枕獏『神々の山嶺 上下』、谷口ジローにより漫画化され、今回フランスでアニメ映画化されました。
ちなみに、アニメは現地のアカデミー賞にあたるセザール賞を受賞したそうです。
本作の”ストーリー”から見た魅力はまさにここにあると思う。
(映画としてや、脚本、キャストなどは、このあとじっくり話していく)
未だ答えのない問いに、この作品は、独自の解釈での解答を力強く提示してくれている。
ネタバレになるので、ここでは言えないが、後でこの話もしていきたい。
あらすじと、その魅力はこれでざっとわかっていただけただろうか。
『老人と海』と『神々の山嶺』
早速私なりの解釈を披露したいと思う。
みなさんはヘミングウェイの『老人と海』という小説をご存じでしょうか?
あらすじはとてもシンプル。
年老いた魚釣りが大魚に一人で挑み、勝利するまでの話である。
『神々の山嶺』を見終わった時、この一冊が頭によぎった。
というのも、この2作品は非常にリンクしている(既にいくつか評論を読んできたが、この2作品を関連付けているものは読んでいない。だから、自信がないけど、リンクしてる気がするんだよなぁ)
自然の”心臓”に触れたような感覚、自然を”知りたい”という探究心。
老人はなぜそんなことをするのか?一度それをした人にしかわからない、力の沸点…
人間と大自然の相克という点ではこの上ないリンクでしょう。
そして両作とも、最後には人が自然に溶けていくのです。
そこに自然の寛大さと、恐ろしさを感じます。
もし気になる方がいましたらヘミングウェイの『老人と海』もご一読いただけましたらと思います。
息遣い
この映画、とにかく息遣いが多い。
パンフレットにも書いてありましたが、山頂に行くにつれ、酸素がなくなり、その分キャラクターの口数も減るのです。
こう言ってしまうと、そうなんだって感じですが。
実際90分の映画の中で、息遣いは一番印象的だった”声”です。
挿入の音楽がなかったのは後から気づきましたが、「はぁっはっ」「ふぐぅぁ!」「はっは…」と多彩な息遣いが鑑賞している私たちにも移るのです。
まさに体験です。
私は映画館から出たくなるほど苦しくなりました、まさに酸欠のような感覚です。
印象的だった息遣いがあります。
羽生が登頂中に骨折してしまったため、片手片足(+ロープ)と口で50メートルほどの岩壁を上るシーンです。
数分間息遣いだけの演技が続きました。
「前ではなく、上へ行く」
まさにそんな言葉が浮かびました。
息遣いはこの映画の中で一番大きな”声”だったように感じます。
克服できない恐怖
題名は思い出せないのですが、予告動画だけ見た記憶があります。
その映画は「寝が覚めると”淵”にいて、少しでも動いたら底なし穴に落ちてしまう」というスリラー?です。
『神々の山嶺』で表現される登山は、まさにその緊張感です。
ライバルの登山家、長谷の死体をエベレストで発見し、膝をつく羽生。
その時私の中で浮かんだ言葉があります。
「死んだ人がいる、その場所で、生きている自分がいる」
また、羽生と深町の二人でエベレストの中腹でテントを張っている時、上から大きな岩が落ちてくるんです。
ベテランの羽生は(二人ともベテランですが)「足をひけ」と一言だけ言うんです。
運悪く岩が頭上に落ちてきたら死んでしまいます。
どうしたって死ぬ時は死ぬ。死ねば、誰にも死体は回収されず、今成し遂げようとしていることも無駄に終わる。
そんな冷たさと、生きている、と言う血潮の湧き立つ感覚が同時に襲ってくるのです。
「死んだ人がいる、その場所で、生きている自分がいる」そんなこと、体験したことはありますか?
幻覚表現
急に売り込みに入りますが、みなさん『パプリカ』は好きですか?
今敏監督の。
あれ好きなら、これ好き。
『神々の山嶺』も見てください。
幻覚や幻聴の表現がまさに今敏監督の演出をリスペクトしています。
目の合わない独特な表情。ぽろりと出てくる、言葉の繊細さ。
間の置き方から、演出全てです。
パンフレットには「今敏、葛飾北斎、高畑勲、小津安二郎など日本のアーティストからも大きな影響を受けている」と書かれていましたが。
見て納得してほしいですね。
この映画の出した解答
このnote序盤で話した「なぜ登るのか?」について。
映画のラスト、こんなふうに展開されています。
この二つをみなさんに伝えて最後にしようかなと思います。
色々な面からこの映画の魅力を書き出していきましたが、この映画のメッセージとは一体何だったのか?
私は今、登ることに恐怖を覚えると共に、その経験を知らないことに、不安も感じています。
いかがでしたでしょう?
今日見て今日書くという暴挙noteでしたか?
一生懸命私なりに解釈しました。
この映画を見るために3000円かけました。
その価値がある映画だったと思います。
したの写真は、私が上映中に、真っ暗な中はしり書きしていたメモです。
おまけ
お昼ご飯は、シアターから大森駅を跨いで10分ほどの「パーチ」というカフェに入りました。
酸味のあるコーヒーと、野菜の味が最高に引き立つサンドウィッチです。
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