母さんがどんなに僕を嫌いでもですの。

物心ついた時から家庭に居場所はなかった。

「なんでそこに立ってるねん!!!」

ただ、そこに居るだけで叩かれた。ただ、そこに居るだけで味噌汁をぶっかけられた。ただ、そこに居るだけでタバコを腕に押しつけられた。

ただそこに居るだけでそこに居るだけで底に居るだけで底に底に底に。

まったく意味が分からなかった。

後になって納得したのは、ちょっとした凡ミスみたいなもので、要するにわたしはわたしの家族たちと、血液型が合わなかったということです。

「だからか!」

すべてに合点がいって、むしろ、晴れやかな気持ちになった。

まるでテトリスのチグハグ部分が、すべてはまったような気分で。

自分が実子ではないと知ったことでやっと、母や家族や他人を愛せるようになった。

そして同時にわたしを捨てた本当の親など、どうとも思わないし会いたいとも思わない。ネタにはなるなあと思うだけ。

世の中には、そんな、人間も、居る。
それが、哀しいこと、だとも思わない。

むしろ、赤の他人を成人させてくれた母に対して、

「お母さん本当にありがとう」

今は、そんな感謝の言葉しかないのが素直な答えです。

ただ、そう思えたのは、まわりの環境もとても大きかったのだと思う。

真冬の夜中、バケツいっぱいの水を頭からぶっかけられ、家の外にほおり出される。

そのまま朝刊が来るまでほおり出されていることもあるけれど、だいたいは近所のおばちゃんやおっちゃんが、わたしを家に招いてくれたから。

「ヨーコちゃん寒いやろハンバーグ食べ!」
「こんなに冷えてしもて、風呂、追い炊きするから一緒にはいろか?」

幼い時期のわたしにとって、近所のおばちゃんおっちゃんたちもまた、わたしの“家族“だったのです。

愛情と食べ物とあったかいお布団をくれた。

充分じゃないですか。

だから、わたしは、性格がひねくれてはいても、心底から曲がってはいないと思うのです。

そんなの、あの時の、おばちゃんおっちゃんたちに申し訳なさけすぎます。

そして、憎かろう重たかろうとわたしを成人させてくれた、家族に申し訳なさすぎるのです。

お酒やらを飲んで緊張が弛緩すると、すべての人間が愛おしくなる時がある。

“他人を愛する”

そういう感情を持てるのは、家族と近所のおばちゃんおっちゃんたちのおかげだなと思うのです。


残念ながら、すでに母は他界してしまったけれど、大好きな歌川たいじさんの言葉を借りて、わたしが母に一番伝えたかったこと。
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お母さんが何をしたって、
僕はお母さんを好きでいるからさ。

『母さんが どんなに 僕を 嫌いでも』
 歌川たいじ

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