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ご報告
スプリントコーチの秋本真吾です。
子供たちからトップアスリートまで人の足を速くすることを仕事にしています。
ご報告です。
2022年1月からプロサッカークラブ「いわきFC」のスプリントコーチに就任することになりました。
2011年の東日本大震災後、地元福島県しかも僕が生まれ育った「大熊町」のある浜通り地区にサッカーチームが発足されました。
当時現役の陸上選手だった頃は、サッカーの試合も日本代表の試合をぼんやり見るぐらいのレベルでした。引退し、陸上競技で培ってきた足を速くするトレーニングを他のスポーツ選手や子供たちにという想いで「スプリントコーチ」と自ら肩書きを名乗りスタートしました。
しかし、僕の新しくスタートさせるキャリアを肯定してくれる人は誰もいませんでした。
「うまくいくわけがない」「失敗する」「考えが甘い」「無理」「成功してる人見たことない」「サッカーと陸上は走り方が違う」「逆に怪我する」
ここに書き切れないほど面と向かっても裏でも言われ続けてきました。そんなネガティブしかない言葉に僕が思ったことは、
「でもそれをやるのは俺だしな」です。
既に存在しない職業。つまりは誰1人成功も失敗もしていませんでした。俺が覚悟を決めてやると決めた。だから俺が無理だったんだと思えるまでやり抜こうと決めました。
それから、まずはサッカーを頭と身体で勉強しようと思いました。自分でサッカースパイクを買って、フルコートのピッチで知り合いのサッカーチームに混ぜてもらい試合をさせてもらったこともありました。うまく止まれない、うまく方向転換ができない、スピードを出しすぎたら逆に疲れて次のプレーに影響が出る。たくさんのことを自分が体験することで学習していきました。
全てのサッカーチャンネルを登録し、Jリーグ、海外サッカー、片っ端から見ました。最初は数人からスタートしたJリーガーのコーチング。その選手の試合を見ては、何分のあの走りが良かった、何分のあの走りが修正できそうだ、メモを取っては選手に共有しました。
選手との走りの指導の際に、分からないことは聞きました。「こんなトレーニングを考えました、どう思います?」「実際のあなたのポジションに起きうる状況ってどんなシーンですか?」聞いて、その動きに合ったスプリントのトレーニングを考える。一つ一つ、コーチングをしていく中で、コーチングしている選手の試合を見ていく中で学習していきました。
引退して10年、今でも身体を動かす。最低でも100mは10秒台で走れる状態にしておく。そうすることで選手を引っ張ることができる。選手に伝えたいトレーニングを自分で実験することができる。走りに関する論文、サッカーの走りに関する論文を見ることで、自分のやってきたこと、考えてきたことが大きく外れいてるわけではないんだと知れる。
サッカーというスポーツを、更には走るだけを切り取って「見る」
走りは専門家でもサッカーは素人。少しでもサッカー選手の気持ちを知る、そのためにサッカーを体験「する」
実際に僕自身だけの指導してきたデータだけでなく、国内外の論文をたくさん見ることで、自分自身のコーチングに厚みが出る、知らないことを「知る」
この繰り返し、積み重ねが今の自分を礎になりました。
僕の夢は日本のスポーツ界に「スプリントコーチ」という存在を当たり前にすることです。
どのサッカークラブにも、どの球団にも、どの部活動にも、速く走る。効率よく走る。正しく走る。これらを教えてくれる存在が当たり前にいる。そんなスポーツ界を作りたい。それが僕の夢です。
もちろんスプリントコーチになると決めた時はそんな夢は持てませんでした。でも今は、数え切れないほど挑戦して、数え切れないほど夢中になって、数え切れないほど経験して、この夢を持つことができました。
笑われてきました、バカにもされました、無理だとたくさん言われました。あれから10年が経とうとしています。
そして、地元、福島のJリーグクラブ、いわきFCのスプリントコーチに僕はなります。やっとスタートラインに立てました。そして、本当の勝負が始まろうとしています。
このチャンスをいただいた、いわきFC大倉社長。覚悟を決めて、縁もゆかりもない福島に来て、最初は多くの方によそもの扱いされ、本当にご苦労されたと思います。大倉社長の覚悟の挑戦の積み重ね、そして、これまでたくさんのいわきFCに関わっている、関わってきた方々のお陰でJFLで優勝を果たし、多くのハードルを乗り越え今年J3に昇格しました。歴史があって、積み重ねがあっての今のいわきFCの一員になるんだということを絶対に忘れてはいけないと思っています。僕はこれまでのストーリーを知るためにもたくさんの映像や記事を読み、感動し涙もしました。
いわきFCに関わる全てのみなさん、これから「結果」という責任を僕自身も果たすために覚悟を持って挑みます。僕が10年かけて挑戦してきたこれまでの全てをいわきFCに「走る」を通じて貢献します。