短距離×長距離
みなさんお元気ですか。
スプリントコーチ の「秋本真吾」です。
子供たちからトップアスリートまで人の足を速くするという仕事をしています。
■今日は短距離選手が長距離選手をコーチングすることで学んだことです。
2019年の4月にプロランナーの神野大地選手と新しいチャレンジがスタートしました。
これまで、野球、サッカー、アメフト、ラグビー、バスケと様々なアスリートへのコーチングの経験はあったものの、私の経験してきた陸上競技とはいえど、長距離、マラソン選手へのコーチングは初めてでした。
まず、陸上競技選手のトレーニングの内容についてお話しします。
短距離系の種目の選手のトレーニングの流れは(例:250m×5×3set 設定タイム○秒 休憩時間○分)といったように強化したい目的に合わせて走る距離、本数、休息時間をカスタマイズしていきます。では、グラウンドに足を運んでウォーミングアップをしていきなりこのトレーニングをするのかというと違います。コース料理で例えると上記のメニューは所謂メインディッシュにあたるわけです。メインディッシュの前の前菜がポイントになります。
その前菜は「ドリル」と言われる正しい走りの動きを再現させるために、自分に必要な動作を切り取るもの。フォーム作りを指します。
短距離系の種目の選手はこの「ドリル」をとにかく大切にします。そのドリルで自分の中のいい感覚を見つけ、メインのトレーニングに挑みます。自分の動作を修正させるため、ドリルの順番、気をつけるポイントなど選手それぞれです。
一方で長距離選手のトレーニングは、1日に走る距離を、時間、もしくは何メートルを何本何セットなど「量」とどう向き合っていくかを大切にします。例えばウォーミングアップに30分走り、メインの練習で10kmを走る。前菜とメインディッシュの料理自体に大きな違いはありません。
短距離系とは違いトレーニングにおいて走り自体をどういったフォームで走っているのかという「形」に対するアプローチはあまり行われていない印象があります。
僕は毎年、全国高校駅伝や箱根駅伝、ニューイヤー駅伝の順位予想やどの選手がどの大学や実業団に進んだというのも楽しみにするぐらい駅伝や長距離が好きです。
その中で、膨大なトレーニング「量」をこなしてきたのにも関わらず選手が当日、思うように走れなかったり、怪我をしてしまったりする選手を見ていく中で、長距離選手も「動作の改善」が必要なのではと考えるようになりました。
練習量も積んでいる、土台作りもしているのにも関わらず走れないと言う要因の一つに「走り方(フォーム)の乱れ」があるのではと思うようになりました。
神野選手も出会った当初、走り方に悩みを抱えていたのもあり、短距離選手が行う「ドリル」をどう長距離選手に組み込んでいくかここが大きなポイントになるチャレンジでした。
■「役割」と「提案」
神野選手は足を地面に接地する際に「ズレ」が起きていました。淡々と走っているようにも見えますが、何万歩と接地を繰り返すマラソン選手において、正しく効率よく地面への接地を繰り返すことが重要になります。微妙な接地箇所のズレの積み重ねが次第に筋肉にダメージを与えていき、自分のガソリンを減らしていきます。
この「ズレ」は短距離選手にも起きます。
短距離選手はこの「ズレ」を「ドリル」で修正していきます。
短距離選手は長距離選手と違い走る速度が当然速いです。スピードが速くなればなるほど足が地面に接地する時間は短くなっていきます。日本人で初めて9秒台を記録した桐生祥秀選手のトップスピード時の接地時間は0.08秒だそうです。長距離選手も同様で、トータルタイムが速い選手ほど地面に接地する時間は短いという研究結果もあります。
短距離も長距離もこの地面に着地する「時間」が極めて重要になるわけです。
我々の役割はこの着地の「ズレ」をなくし、神野選手の走りを改善しマラソンのパフォーマンスに繋げることです。
次に神野選手への提案です。
神野選手の動作を改善する「ドリル」のメニューを構築し日々のトレーニングに組み込んでいくことを提案しました。
神野選手に起きているフォームのズレを動画から解析し、どういったドリルが効果的なのかを話し合い、提案していきました。
決して長距離選手を短距離選手のようなフォームで走らせようとか、短距離選手が行う足を速くするようなドリルだけを一方的に行うといったアプローチではありません。
では、ただドリルをやれば全てが解決されるかというとそんな単純な作業ではありません。
1.現段階での神野選手の走りの分析の共有
2.なぜ走り方を修正しないといけないのかの説明
3.修正するためのドリルの実施
4.そのドリルが適切に行われているのかの確認
5.そのドリルが走りに接続されているのかの確認
大きく分けるとこの5つのアプローチを実施してきました。
神野選手がケニアに行ったり、オフラインでのコーチングが難しい場合は、リモートで動画を送ってもらい、それに対してフィードバックを行ってきました。
1と2に関しては起きている現象を動画を使って説明すること、なぜ修正しないといけないかをスプリントコーチとしての経験、論文等のエビデンスを基に説明することを大切にしてきました。
ドリルを実施する→適切にできるようになる→走りに接続させる→試合でのパフォーマンスに反映させる
といった流れになります。
神野選手もこのドリルの導入は初めてで、「適切にできるようになる」までに苦労しました。今までに試みたことのない動作を行うことの難しさ。これは競技力が高い低い関係なく、自分の身体感覚にないものを行うというのは簡単なことではありません。
できないはできないでも「なぜ」できないかを認識してもらうためにも動画撮影はとにかく頻繁に行いました。スラムダンクの桜木花道のシュートフォームと同じように「自分はこう動かしている」が実際とは違っていることはよくあります。それを対象者が認識することで上達の速度は早まります。
そのドリルができるようになっていくと、次に走りの接続です。昨日はよかったけど、今日はよくなかった。短い距離だと意識できるが疲れてくると走りが崩れる。ロードだとできるが、トラックだとできない。などなど。新しいチャレンジにはトライアンドエラーはつきものです。
ただ、回数を重ねていくにつれて神野選手が「今日の練習はダメでした。その理由は自分のフォームをビデオで見た時に〇〇ができていなかった」というぼんやりの回答が少しづつ明確になっていったのを今でも覚えています。徐々に、神野選手自身の「いい感覚」と我々が見る「いい感覚」が噛み合うようになってきました。
ドリルが適切にできるようになる→走りの感覚がよくなる→トラックレースで成果が出始める。少しづつではありますが前進していました。そして、この成果をマラソンに落とし込むこと。ここが最も重要になります。
■結果
走り方という「動作(フォーム)」の改善を「数字」に直結させなければいけません。その数字とは、
1.トレーニングのタイムでの評価
2.試合(トラックレース)のタイムでの評価
3.本番(マラソン)のタイムでの評価
陸上競技のような個人種目は指標が数字なので定量的な評価がしやすいです。実際に新しいフォームで走ったトレーニングのタイムがこれまでと同じメニューなのにも関わらず余裕を持ってこなせたという感覚。走り方も改善された上でとなるとよりポジティブです。
長距離選手はマラソンのためにマラソンよりも短い距離(5000mや10000m)で強度の高い刺激やスピード感を身体に入れ込むためにトラックレースにも出場します。
身体を追い込んでいる状態でも自身の設定するタイムで走れる。走り終えた後の疲労度なども軽く、映像で振り返ってもフォームの改善が見られることで自信も深まっていきます。
あとは、これを神野選手のマラソンでの結果に繋げることが最終ゴールです。
走りの動作改善を行って、5ヶ月。彼の中で一番の目標であったMGCで東京五輪の代表に入ることはできず落選。その後、アジア大会で金メダルを獲得。しかしながら、東京マラソン、福岡マラソンと我々の中での十分な結果を得ることができませんでした。
■考察
結果に対しての考察は、それぞれのマラソンでのレースで感じた
トレーニングと本番での走りを=(イコール)にできるかです。
神野選手の場合、単独走と集団走での走り方に違いが見られました。1人で走る場合、自分のリズムとタイミングで走ることができます。選手によっては選手の後ろについた方が走りやすいという選手もいます。
一方で集団になると周りのリズムに合わせすぎてしまったり、前と詰まりすぎて自分が接地しなければいけないタイミングで接地できなくなったりと細かなズレが起きてきます。走りながら「あれ?なんかいつもと違う」と思うと精神的にもいい影響を与えません。いい位置取りを試みようとするあまり、自分の走りやすい場所を探す。右に行ったり左に行ったりと余計な力を使います。
マラソンになると最初から独走しない限り集団走になります。その集団走で自分のリズムで自分のフォームで走る技術もマラソンには必要なんだと学びました。いくらトレーニングの段階でいいフォームで走れたとしてもその本番の「状況」を想定したトレーニングを組み込むことも重要になるんだと感じました。
逆に集団の方がリズムを作りやすい、タイミングを合わせやすい。駅伝のような追う展開になった単独走の方が苦手という選手もいると思います。
短距離とは違った状況が長距離には起きます。
その場面場面をいかに想定しその中で走りの「形」を意識できるかも大切なんだとも感じました。
■考えられる可能性
長距離選手からすると、いやいや、そんな色々考えて走れないよ、ナチュラルな走りじゃないと逆に不自然じゃないかと思う選手はおそらく常に適切なフォームで走れている。そこまで大きく走りの感覚がズレたことがない選手ではないでしょうか。
しかし、一度走りが崩れてしまった選手はどうやっていいときの走り方に戻せば良いのか分からなくなってしまいます。
僕も8年間ベストを更新し続けた翌年から嘘のように走れなくなり、3年間の長いスランプを経験しました。なんで同じ練習してんのに足遅くなってんの?もっと走らないといけないのかな?と「量」でそれを取り返そうとしてしまいます。逆に疲労が溜まりすぎているから休養しないとと治療に行ったり身体を休めても結果は変わりませんでした。
僕の場合、原因は練習の「量」ではなく、根本の走り方が崩れていたことに気付いていなかったのです。
常に自己ベストが出ている時は、そんな色々考えすぎだよと思うでしょう。ただ、足が遅くなった時に「あれ?」と感じたときには、時すでにに遅しといった状態なのです。
そして、問題の本質は選手自ら元の走りに戻せる方法を知らないことなのです。
短距離選手だった僕が悩んでいたことは、種目が長距離になっても悩みを抱えている選手はいます。長距離選手からすると走行距離「量」を踏むことは絶対です。ただ、その量を動作の改善と並行しながら行っていくこと。その中でのトレーニング全体でのボリュームの調整も必要です。
これまでと同様のトレーニング量に動作改善のドリルの時間をプラスすることでこれまでにない箇所にも負荷がかかります、またフォームも変化することでこれまでとは違った筋肉の部位にも負担がかかることも考えられ、故障の危険性も考えられます。いいことばかりではありません。
僕の場合は、自分を変えるというチャレンジをする際にあまりリスクを考えずに生きてきました。変化はいいことだという解釈です。ただ、大きなチャレンジには実はリスクもあってそのリスクを「結果乗り越えられていた」という感覚でした。努力した!という感覚はなくただ毎日が楽しかった、夢中になったみたいな感覚に近いです。ただ、全ての人の価値観はそうではありません。
選手に変化の目的と変化の成功した場合の効果、その逆をきちんと説明し導入することが大切であると考えます。
そろそろまとめます。
私が考えられる長距離選手が動作改善から得られる価値の中に、
1.走りの経済性(ランニングエコノミー)が高まる
2.怪我予防
3.正しい力発揮とタイミングの習得
が期待できました。
ただここで重要なのはこれらの期待できる動作改善を本番にどう落とし込むかです。今後長距離選手と関わる機会に僕自身もこの経験をしっかり生かさねばなりません。まだまだ勉強と経験が必要です。
動作改善をすることによって神野選手から学ばせてもらったこの貴重な経験を次のチャレンジへの生かし方を大切にしていきたいです。
神野選手にとってもこの動作改善のチャレンジがこれからの「マラソン」に生きてくれたらと切に願います。