21.生き詰まりの妄想話
これまでの人生で、定期的に思い出す分岐点が2つある。
「あんた、東京行け」と言われたこと。
「三人目、いる?」と聞かれた朝。
わたしは全て断ってきた。
その人はいつも、かっこいい自転車に乗っていた。今思えばあれはロードバイクというものだったのかもしれない。レースに出そうなタイトな服に、サングラスがトレードマークのおじさんだった。街のあちこちで見かけるので、知らない人だったけどみんな知っていた。
暇をつぶすために近所の店に入ろうとした時だった。出入口でそのおじさんとばったり会った。その時すれ違いざまに「あんた、東京行け。」「よかか?東京行きんしゃい!」と店内で割と大きな声で言われた。驚いてしまい何と返事したか覚えていないが、「いやぁー」と濁したと思う。レジのお姉さんは笑っていた。高校卒業後の春休みだった。
あの時の言葉通りに東京に行ってたらどうなっていたのだろうと、たまに考える。少なくとも、今の会社には居ないだろうし、結婚してるかもしれないし、もしかしたら既に死んでいるかもしれないし、めちゃくちゃ有名になっていたかもしれない。「あの時、偶然出会った知らないおじさんに背中を押され、今ここに居ます。」なんて語っていたのだろうか。あのおじさんは元気だろうか。
妹と一緒の部屋にいた。妹は幼稚園生、わたしは小学生だったと思う。ソファーで隔てられた隣の部屋から休日の朝アニメを楽しむわたしに投げられた言葉だった。
あの日「いる」と伝えていたら、三人兄弟になっていたかもしれない。10ほど年の離れた弟が妹が居たかもしれない。それでも当時は本当に、いらなかった。
三人いれば、家庭環境はもちろん違っただろう。笑顔が増えていたか、喧嘩が増えていたかの2択しか想像できないのはとても悲しい。
これはわたしがずっと思っている、DNAを残したくない気持ちにも繋がっている気がする。この言葉をよく使うが、家族のことが嫌いとか、恨んでいるとか、決してそういう次元の話ではないことをご理解頂きたい。
人生にはいくつもの分かれ道があり、何度もそこに立たされている。選ばなかった方の人生は、勿論誰にも分からないし只管の妄想話だが、こちらの人生にちょっと行き詰まった時にたまに思い出す。