18.春とロビンソン
クモが苦手だ。
部屋の中で遭遇した日には、あらゆる方法を使い迷わず殺る。不法侵入の罪でわたしに裁かれる。
この数ミリの生き物より何倍も大きい人間が、どうしてこんなに振り回されねばならんのか。何故こんなにもあなたたちのことが苦手なのか、自分にも理解できない。生きてていいからどうか、視界に入らないでくれと常々思う。
その日は2回目のワクチン接種の日だった。珍しく早起きしたわたしの視界に入ったのは、ベッドの横の壁を這う数ミリの影。
いつもは速攻、スプレーを構え戦闘態勢に入るのだが、急いでいたので戦いを見送ってしまった。
帰宅すると案の定、朝いた場所にそいつは居なかった。
ついにやってしまった。一度逃してしまうと、同じ空間に居るのに姿が見えない状況に耐えられない。
数時間が経ち、そいつは現れた。あの、すばしっこくて急に跳ぶタイプのやつ。めちゃくちゃ怖い。
早急に仕留めたかったがワクチンのせいか体は重く、戦う気になれなかった。
その後もそいつは度々視界に入ったが、不思議と仕留める気になれなかった。
中村倫也さんの自伝にならい、そいつを「ロビンソン」と名付けた。理由は倫也さん曰く「(すばしっこくて)触れない」から。わたしは別の意味で触れないけれど。
その日からロビンソンとの共同生活が始まった。
いつもなら視界に入っては怯えていたその生き物を、冷静に目で追えるようになっていた。今日はここに居たのか、とか。ただ、踏みたくないからどうか壁で過ごしてくれと思っていた。
寒くなってきた頃、久々にロビンソンと思われるクモ見つけた。あまりにも小さくなっていたので、本人かどうか分からなかった。もしや子どもか...? ということは.....
その際の想像は恐怖でしかなく、一旦考えることをやめた。
その後、数が増えることはなく安心した。寒いし餌も無いだろうし、小さくなるのは当たり前か。そう思いながら、壁を伝い物陰に隠れる姿を見送った。
ある日、床で動かなくなったロビンソンを見つけた。最初は埃かと思った。丸まっていて、転がっているようにも思えた。触れないので、周りから刺激を与えてみる。いつもは逃げるのに、その日は動かなかった。
「数日前までは元気だったのに」そう思った瞬間、昨年亡くなった親類を思い出した。わたしは今ロビンソンに、あの日と同じことを思っている。なんだか急に、悲しくなった。
あなたのこと苦手だったけど、この数ヶ月間は何とも不思議な気持ちだった。あなたに怯えず見守ることが出来たのは何故だったのか、未だに分からない。
次にまた同じようなタイプに出会った時、同じ気持ちでいられるかは分からないけれど、この狭い空間で自分以外の生き物を冷静に見ていた時間はとても新鮮だった。
あと一ヶ月程で暖かくなるだろうか。
彼らが蠢く、春が来る。