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15.理解しなくていいからどうか、突き放さないでくれないか。

小学校低学年の頃、自分は「女の子ではない」なら「じゃあ男の子なんだろうなぁ」と思っていた。「じゃあ男の子になりたい」と男か女の2択しか知らないわたしはズボンを履いて乱暴な言葉を遣えば男の子になれると思っていた。

中学生くらいのときにトランスジェンダーという言葉が世に出始めて、その時はよく理解できなかったけれどズボンを履いても乱暴な言葉を遣っても「男の子」にはなれなかったので「じゃあそれなのかもしれない」と思っていた。
トランスジェンダーという類の言葉は出始めたけど認知はまだまだで「稀な存在」みたいな扱いだった。それはそれで「別の人間」として何となくの特別感を抱き、なんとなく人と違うんだ、と思っていたが果たして自分は本当にトランスジェンダーというものに当てはまるのかはよく分からなかった。とにかく何かに当てはまりたかった。

性別という括りに対して結局未だに自分がどれに値するのか分からないし、もう好きになった人が好きだし、体の構造が「比較的女性寄りの構造である」という事実に昔ほどの嫌悪感は無くなってきたが未だ素直に女性だとは思えないままでいる。今年度30歳。一人称は俺か、わたし。

性別欄廃止のニュースは衝撃的だった。「性別必須」にずっと違和感があった。男or女。どっちも違う気がして選べない。真ん中に〇を付けたり空欄にしたり、意識して逃げた。「その他」の選択があれば真っ先にそれを選んでいた。毎度ストレスを感じながら付ける〇からの解放。今まで性別に違和感なく過ごしてきた人には受け止められにくいかもしれないが、時代の変化を実感する。

今や世界にはこんなにも沢山の性別があり、個に対して個の"性認識"があり"性指向"があり、分けるなんてとても大変でそれはもう個性と好みであると認識した方が早い気がする。少数派と言われる人たちが多数存在するこれは何なのか。

「少数派に理解を」と叫ぶ多数派の何割が本気で理解を求めているのか。そうじゃないんだよ、という事が多すぎて多数派が少数派を引っ掻き回しているような感覚はどうも消えない。もうこれは議論するような話ではないよ。だってそもそも問題であるはずがないんだから。ってずっと思っている時点で未だにこれは問題なのだ。なかなか自然に溶け込むことは難しいだろう。少なくともわたしが生きているうちは。

理解しようとしなくていいからどうか、突き放さないで欲しいと思う。知って欲しい。ただそれだけ。

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