役には立たないタバコのやめ方🚬
いつからだったかも忘れるほど昔のこと、
私は就職して仕事を始めるようになるとコーヒーとタバコが大好きになった。
当時10代からタバコを吸っていたのはヤンキーくらいだったように思う。
先生からも親の目からも逃れながらこそこそと吸っていたタバコも
堂々と吸える二十歳をすぎてからはスパスパと1日に半箱から一箱を吸うようになった。仕事の緊張…ストレスの解消はこのタバコとコーヒーで、
コーヒーなどはストレートで日に8杯も飲んでいた。
…いくら若くても精神的なストレスにやられたのかもしれない。
もしくは胃がやられたのかもしれない。
身体がおかしくなりはじめたのだ。
右半身に帯状疱疹のようなものが出て、とくに背中が熱を持ち、痛くて眠れなくなった。
眠れなくなったらどうなるか…………だんだん精神がおかしくなってくるのである。
仕事を辞めた。
辞めたら治った。
それから少しだけ変えたことがある。
飲む量を減らした。
コーヒーにミルクを入れて飲むようになった。
その方が胃には優しいと聞いたからだ。
だけどそれに反して、タバコは本数が増えた。
20代半ばでカナダに暮らした。
私が吸っていた銘柄は高すぎて買えなくなった。
そんときに辞めることを考えれば良さそうなものなのにそうはならなかった。
当時仲の良かった中国人のファミリーから闇ルートを紹介してもらってメンソールのタバコを安く手に入れてまたスパスパ吸っていた。
それからスペインへ行った。スペインの町中でタバコを吸ってると、道ですれ違っただけなのに、火を貸してくれ…だの、タバコを1本くれないか?…と、びっくりするぐらい当たり前に話しかけられた。
…私は断ったことがなかった。
飲めなかったお酒が飲めるようになって、友達と待ち合わせていたバーでタバコの煙をくゆらせながら「マティーニ」などを飲んでいた。
友達は「あ〜〜ヨーコさん、カッコいい!桃井かおりみたい!」とウットリと私を見て言った。
そういえば、この友達は私が夏は毎朝、朝食に桃を食べるのだと話すと、
「ヨーコさん、素敵!江國香織みたい!」とまたウットリと私をみた。
そしてまたそういえば、この友達に聞かれたことがある。
「ヨーコさん、もし辞めなきゃいけないとしたらお酒とタバコのどっちを選ぶ?」
私は間髪入れず「お酒」と答えた。
お酒は毎日飲んでいるわけではないし、別になくて困る…とも思えなかった。
…が、タバコはそうはいかない。
タバコを吸いながら見上げる夏の夜空、キーンと冴えた冬の夜空にたなびく煙の行く末を眺めながら瞑想にも似た時間がながれその時間に身を任せる至福感といったらなかった。
時々は素晴らしい名文が浮かんだり、いいアイデアが閃いたりすることもあってこの一本に費やすわずか10分程の時間をこよなく愛していた。
ある日…いやある日ではない、あの日のことだった。
私の誕生日のまさにその日に私はタバコをきらし、近所の薬局の前に設置されているタバコの自販機に急いだ。
母が私の祝いに晩ご飯を作ってくれているその時間帯に私はいそいそと自販機にタバコを買いに行ったのだった。
いつものように小銭を自販機に入れていたまさに…まさにその時だった。
まるで天啓のように脳裏に貧しい国の子供たち…黒人も白人もアジアンも汚れたような顔の子供たちも…さあ、30人ほどの数であったかどうだか定かではないが実際に見ているかのようにその子供たちの満面の笑顔が広がったのだった。
小銭を自販機に入れたまんましばし佇んでいた。
私は今、何を見たのだろう…あるいは私の脳は何を伝えようとしてあんな映像を私に見せたのだろう…。
気がついたら入れたお金を返金レバーを押してお財布に戻していた。
…もう何年私はタバコを吸ってきただろう…。
数えきれないほどの数だ…そしてびっくりするほどの時間だ。
タバコを育てる畑をジャガイモ畑に変えたら世界から飢えた子供はいなくなるのだろうか?
そんな思考が脳裏をよぎり…「もういいな、もう充分だな。」
そう胎(はら)から不思議な納得がやってきたのを感じ取っていた。
私はその不思議にきっぱりとした日からただの一本もタバコを口にしていない。
タバコを吸うという習慣に再び囚われることが怖かったからでなくその後に起きたことに「タバコを辞めた」ことの必然性を読みとったからだと思う。
そのきっちり3ヶ月後から私は3歳のこどもの親代りをすることになった。
本当になにもかもが不思議である。
けれどあの時タバコを辞めることにして本当によかったと何度も思った。あれほど辞めるつもりがなかったにもかかわらず…だ。
仕事といきなりの子育ては経験のない私には全エネルギーを費やすことが要求される一大仕事であった。タバコを吸うような時間などどこにもなかった。
それで良かったと思う。
この世は全て不思議でできている。
自分が大人になるにつれてすこしはなにかがわかったような気になる。
だけど本当はますますわからない不思議さに居ることがただただひたすら身に沁みてくるだけである。
この間、14年ぶりにタバコをもらってみた。
インディアンの絵が書いてあるケースから抜いた一本に火をつけ深々と肺まで吸い込んでみた。
今も変わらず美味しかったことにも、むせもせず吸えたことにも少し驚いた。
けど、それがどうしたというのだ。
もう私には必要がなかった。
私の肺も心もあれから一生懸命に人を愛して一生懸命に生きた時間で満たされていたからだった。
吸っても吸わなくてもどっちでもいい。
一人でも多く子どもたちの笑顔を守れれば。
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