『オン・ザ・ロック』主人公のお父さんに感じた気持ち悪さ
早稲田松竹で『オン・ザ・ロック』を観てきました。一般の劇場公開中には認識していなかったので、たまたま観れてよかったです。
主人公のローラが夫ディーンの浮気を疑い、お父さんフェリックスの協力で浮気調査をする。フェリックスが調子に乗って行って調査はエスカレートしていく...というコメディ作品。
フェリックスのジェンダー観
物語序盤にローラとフェリックスがランチするシーンで
人間が四足歩行していたときオスはメスのお尻を見て興奮していたけど、二足歩行に変わってからその対象はお尻から胸に変わったというのは興味深い。
というフェリックスのセリフがありました。オスはメスを追いかけるもの、メスは追いかけられるものだというフェリックスのジェンダー観が表れています。これ以外のシーンでもジェンダー観をはじめ、いろいろな考えがアップデートされていない、現代からしてみれば古臭い考えを持った人間だとわかります。
この映画はお父さんフェリックスという古い考え方、ジェンダー観からの卒業がテーマだと思いました。ラストシーンでは、お父さんからもらった時計から旦那さんからもらったカルティエに付け替えるシーンでそれを表現されていたのはよかったですね。
なんかフェリックスが嫌い
僕はずっとフェリックスというキャラクターに対してどうにも得体のしれない気持ち悪さがあって好きになれませんでした。
どうせこういう人は他人に自分の価値観を押し付ける。「俺が若いころは~」などと言って武勇伝を語るし、いい家を買って良い車に乗ることが人生の目標で、それが良いことだと思い込んでいる。
なぜなら視野が狭く、新しい価値観にアップデートすることができないのだ。迷惑している人もいるかもしれないが、金銭的に成功しているので周囲に文句や意見を言う人がいないから変わっていかない。
と、映画鑑賞直後は思いました。だから僕はフェリックスのことが苦手で好きじゃないのかなぁと。
でも理由はこれだけじゃありません。もちろんこれもありますが、なんだか他の気持ち悪さもありました。
もっと細かくこのお父さんについて思い出すと、お父さんは男女の関係に詳しくてプレイボーイ。そのためローラも、まだ確証はないのに浮気されているのではないかと電話でお父さんに相談している。
車には運転手がいるので金銭的にすごく成功している人だということがわかります。相手の名前を聞いてから会話したり、初対面の人間同士にはそれぞれに紹介するなど紳士的な人です。運転手や店員にも偉そうにはしませんし、小粋なジョークも言う娘思いのお父さんです。
客観的に見てこのお父さんは悪い人間ではありません。しかし僕はこのお父さんが気持ち悪い。その理由が何なのか考えながら映画を見ていましたが、帰宅してからわかりました。
このお父さんの劇中での行動はすべて主人公に対する親切心で行っていて、悪気がないのです。それが裏目に出ているかどうかは関係ありません。
・娘の誕生日に花を送っておいて、夜にサプライズで連れ出してあらためて誕生日を祝う。
・自分から勝手に探偵に浮気調査を依頼して写真を撮らせる。
・夫の浮気現場を抑えるために娘と一緒に出張先のメキシコまで追いかける。
どれも親切心や相手に楽しんでもらいたい思いからなのでしょうが、娘の立場からすると心から嬉しいことではありません。
サプライズで連れ出されたので急に娘の面倒を見てもらうために近所の人に頼むことになってしまったし、おそらく探偵に調査をさせた段階ではローラはまだ現実を受け入れる準備ができていなかったのでしょう。なにより夫の浮気を暴くことよりも家庭の維持が重要です。
結果的に夫の浮気疑惑も誤解でした。
もっと細かいところでも表れていました。メキシコで周りを楽しませるために歌を歌っていましたが、目立たれても子供からすると恥ずかしいだけです。
尾行している相手を見失わないようにと信号無視をした結果、警察に車を止められました。自信満々に警察と話して罰則を回避しましたがそういう問題ではないです。
ローラも本心ではやめてほしいと思っていたと思いますが、今まで挙げたことは本人からすると悪意は全くない。しかしそれが問題で、僕はすごく気持ち悪かったです。
無自覚な善意による暴力
松尾スズキさんの著書『現代、野蛮人入門』を思い出しました。
「無自覚な善意が人を傷付ける」という章で、松尾スズキさんが大学生の時に失恋した時の女性が、実は親友とデキていたことをしばらく経ってから後輩から教えられた、という話を書いていました。
その後輩本人は良いことをして安堵した表情をしていたそうです。松尾スズキさんはすでにその失恋を「良い青春の1ページ」として心にしまっていたのに、女性不信を植え付けられたので迷惑以外の何物でもない。知らずに死んだ方が幸福だったと言っています。
『オン・ザ・ロック』のお父さんがやっていたことはまさしく「無自覚な善意」で、これによってローラに余計な心配をさせることになっています。最悪夫婦の関係を壊すことにもなっていたかもしれません。
これがフェリックスに対して映画の鑑賞中から気持ち悪く、ムズムズしていた原因でした。
「無自覚な善意による暴力」に対して松尾スズキさんは、
どんなにそれがハタ迷惑な行為でも、おのれが「善意である」と信じている限り、彼らは絶対に反省しません。(略)普通は、悪意がないんだからと、ほだされてしまいます。しかし、悪意があろうがなかろうが、迷惑なんだよこっちゃあ!と、「あくまで心の中で」叫ぶ自由は、やさしい野蛮人のたしなみとして持っておきたいものです。
と書いています。
フェリックスはここまで生きてきて家族や周囲に言われることが少なかったのでしょう。メキシコで主人公から怒られていましたが、おそらく数十年間自覚がなかったのだろうから同じことを繰り返すのだと思います。
無自覚な善意が「ボケ」として通じるのは作品の中だけであって欲しいです。自分はあくまで野蛮に、無自覚な善意に対しては声を上げていきたいなと思いました。