惑星ワタシと観測者ミンナ
私は昔から、ただ観測するだけの相手を見て育ったなと思う。ただ観測するだけの相手とは、例えばテレビの中にいる人だとか、マンガのキャラクターだとか、そこにいるにはいるけれど私が何をしようがその人の人生や生活に何の影響も及ぼさない相手。
ちょっと前まではそういう相手に囲まれている感覚というのは、なんというか当たり前だったように思う。今でこそSNSが発達し、知らない人やテレビの向こうの人に声をかける手段が普及したけれど、私はたまに(いや本当は結構頻繁に)ちょっと前の距離感が懐かしくなる。
私は次元の壁を越えられないしがないオタクなので、無論、現在進行形で私の声が届かない領域で生活している存在(キャラクターたち)を観測している。私はきっとこの「観測」という距離感を好んでいるのだと思う。
私はアイドルという概念が好きだ。「偶像」という意味を持つアイドルは、正に手の届かない天上で命を燃やして煌めいている星だ。私は現実世界ではハロープロジェクトのアイドルたちを応援していて、彼女たちを眺めていることも私の中では「観測」である。
そう、眺めている。私は大体のことを眺めていたいのだ。
私が、徹底的に偶像をやり遂げているアイドルたちを好みがちなのは、地上に落ちてこない安心感があるからである。安心して「観測」を続けられる存在。「安心して。決して、あなただけのものにはならないわ」と言ってくれるような「みんなの」アイドル。「みんな」としてその煌めきを眺めているのが好きなのだ。
私はそんな「観測」の距離感を許してくれる存在を好みがちだし、自らもそういう存在風になりたいなと思って生きてきたみたいである。急に、さっき気づいた。
だから、私のことを見つめて応援してくださる皆さんは私の観測者なのだなと、こちらもさっき気づいたわけである。ファンさん や フォロワーさん という呼び方はどうもぴったりしないなと思っていたけれど、今後は皆さんのことを観測者さんだと勝手に思いつつ、せっかく観測してもらっているのだからひとつオーロラを出したり、ムーンボウをかけたりして、愉快な惑星でありたいものだなと思っている。だって、せっかく広い宇宙の中で見つけてもらえたのだから。
宇宙の果ての何気なーい天体だが、これからも惑星ワタシをゆるりと観測していただけたなら幸いである。