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絶望と正義のギャップ、-新聞記者-
今、SNSで話題になっている「新聞記者」。
ものすごく気になっていたので、観てきました。平日のお昼だったのに結構席が埋まってて驚き。そして、平均年齢の高さ。
私が最年少だったような気がしました。
この映画は私にとって、ものすごく考えさせられる映画でした。
観ている途中で、自分の感情がぐちゃぐちゃになりすぎて涙が止まらなかったです。
観終わった後もなかなか気分を切り替えることが難しかったです。
このnoteには自分の思っていることを書き殴るための場所だけど
何をどこまで書いていいのか分からないし、あまりプライベートな事を
書くことはよくないとも感じてしまいます。
世の中は不条理な事ばかりだけど、その中でも人々の祈りや信条をいいように使うことだけは許し難いことだと思います。
「正義」とは何か。「正義」という名のもとになら何をしても許されるのか。大儀のために行うことが正しいのか。よくわかりません。答えが出ません。
「新聞記者」の中で殺されてしまう神崎さんのような状況の人が近くにいたから余計に苦しかったです。本当の正義のために闘う人々を圧倒的につぶすことの出来る権力の強さは重々、理解しています。
権力に従わなければ手のひらを返して、徹底的に潰される。「新聞記者」の中で起きていることがそのまま現実世界で私が見てきたものと一緒で、なんとも言えないです。
何も知らなきゃよかった、何も知らないでたとえ偽りの「正義」でも信じていれたらよかったと思うことが多いです。そのまま生きていくことが出来ればよかったのに、と何度も思いました。
でも、もう知ってしまって。声を上げることを行ったとしても潰されることが目に見えている。
権力に潰されて、殺されていった人を見てきたからこそ、権力がどんなに恐ろしいのかを他の人よりも理解しているつもりです。
私はもう、権力から逃げることしかできなかったし闘うことから逃げてきました。もう権力に守られた世界に戻りたいとは思わないし、もう関りたくないです。
ああ、もうしんどかった。あの権力の偽りの世界の中で息をすることがしんどかった。偽物の正義のために声を上げている人達を見ているのがつらかった。
”この人達は何も知らないんだ”とか”もしこの人達に私の意見を言ったら排除される”と思いながらひっそり、息をひそめることしかできなくてつらかった。
誰が味方で誰が敵か分からない世界にいるような気がして、ここは本当に守られた場所なのか、って毎日しんどかった思い出しかないですね。あの時は。
私は「新聞記者」の中の吉岡や杉原みたいに闘うことはできないし、怖いと思ってしまいます。
周りの人間が偽りの信条を貫く姿を見ていて、苦しくて、自分が間違っているのではないかと思うようになったりもして、ぐちゃぐちゃな感情だけが増えていくだけです。
みんなそれぞれが、守らなきゃいけないものがあったり、貫きたい正義があって、そういうものを全部矛盾させて動かす権力って本当に恐ろしい。
私は権力が嫌い。
本当の信条を貫くという理想と、権力に包まれてしまった信条の現実の間で生きることがしんどいなと感じます。
私が信頼してる方が「この絶望的なギャップが原動力になるんだよ、」とおっしゃっていた姿が忘れられません。
やっと、やっと権力の呪縛から解放されたときに真剣に話した時に一緒に涙してくださった本当に信頼している方。どうかどうか、負けないでいてほしい。これからもずっと闘っていてほしいです。
ああ、このぐちゃぐちゃな感情がまとまる日はいつか来るのでしょうか。
上映が打ち切られる前に、もう一度この映画は観に行きます。