クラウンとグロリアが二代目に進化して本格軽乗用が揃い始めた1962年の三重県にサーキット建設の槌音が
金髪女優マリリンモンローの急死のニュースに驚かされた翌週には関西の堀江青年が小さなヨットで一人太平洋を風の力だけで横断して世界を驚かせた。明治マーブルチョコのTVCMには上原ゆかりが登場し国民的知名度に!サカモトキュウと言う東洋人の歌うsukiyakiソングが全米1位に輝くまで、それから一年と経っていなかった…
1955年登場のクラウンが最初のモデルチェンジを受け低く広いスマートなデザインに生まれ変わる。4灯式のヘッドライトを採用して、ドアハンドルはプルアップ式の幅広いモノ。観音開きだったドアも普通の前ヒンジに。サイズも5ナンバー枠近くまで拡大して全高は低くまとめられた。もはやアメリカで流行したラップラウンドした前後のウィンドウは時代遅れの代物だった。
このクラスはタクシーやハイヤー需要もあって、俄に活気を帯びたような状態。プリンスはスカイラインを大型化した様なグロリアの新型を発表。6気筒搭載が前提で後にスーパー6として国産6気筒セダンに先鞭を付ける。またスカイラインを母体にした海外デザイナーの作品、スカイラインスポーツがデビューするもののグロリアの倍近い値段とあって路上で見かける事はほとんど無かった。
セドリックも縦目のヘッドライトを手直しした上スカGよりも早い時期にロングノーズ化して6気筒エンジンを積んだ3ナンバー車セドリックスペシャルを送り出していた。
英国車ヒルマンミンクスのノックダウン生産からノウハウを得たいすゞはクラウンと互角に勝負できそうな6人乗りセダン、ベレルを開発、発売する。
得意のディーゼルエンジンも搭載したがパワーや騒音振動の問題は解消せず、陽の目を見たのは後々のフローリアンの世代まで待つことに。この時点でクラウンのライバルにセドリック、グロリア、ベレルと役者が揃ったことに。
スバル360が脚光を浴びた軽乗用マーケットは他社も放っては置かない。マツダは4枚のドアワゴン持つセダンボディを4気筒のエンジンで後ろから押し進めるキャロルを発売。スバルには無い自動車らしさを強調した。後席頭上スペースワゴン稼ぐ為絶壁のようにリアウィンドウを縦に置いたクリフカットがユニークで一時は販売シェアでも大勝した。
三菱も水島工場産のライトバンをトランク付きの2ドアセダンに仕立て直してミニカのネーミングを与える。こちらは2ストロークエンジンながらプロペラシャフトを持つ保守的なFR。独立したトランクルームを持つ5ナンバーセダンの縮小版だった。
兄貴分の小型車三菱 500は販売テコ入れの為600にグレードアップ、顔立ちやテールのデザインも大幅に見直したコルト600をリリース。グレード感はアップしたものの販売アップには繋がらずコルト800の登場を待つしか無かった。
2ボックスFFの意欲的な軽乗用スズライトはまだまだ売れ筋とは遠い存在でスズキという会社がトップ企業に成長するとは誰も想像できなかった時代。
けれどもホンダはこの時点で三重県鈴鹿に国際規格の本格的サーキットをいち早く完成させていたのでした。そこで開かれたグランプリの成績は販売をも左右する影響力を持ち…