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消費税5%にアップ、山一破綻、安室結婚 野人=岡野の1997年に生まれたプリウスは

プリウスデビューから遡る事10年、東京晴海会場で催された最後の東京モーターショーに地味に出品されていた一台の試作車、ハイブリッドカーが晴れて量産第1号車として世に送り出された。21世紀に間に合ったのである。社長の命はただ一つ「燃費を倍増させよ」だった。

様々なアプローチのうちの一つの解がエンジンとモーターを使い分けるハイブリッドだったのだ。一定速度で回せば高効率のガソリンエンジンと発進加速から大きなトルクを捻り出せ、減速時には運動エネルギーを回収、再利用できる電気モーターのいいところどり。
逆の見方をすればガソリンタンクと電池を両方積まねばならず、コスパでは当然ガソリン車の敵ではなかった。ブレーキにしても同様、エンジンブレーキとモーター回生をバランスさせた上で油圧ブレーキとの協調も図らなければならない・・・操作するのはブレーキペダルひとつなのに・・・・(この問題は今に至るEVも同様)
でもトヨタ技術陣、見事に課題を解決。そのエンジン役を務めた内山田主査はやがてトヨタの牽引役、取締役社長の重責に就く事になる。性能はまあまあ、燃費は確かに抜群!でもデザインはパッとしない・・・・それは売り上げにも、懸念されていた利益率にも言える事だった・・・・時々計器盤に現れる亀マークの如く、歩みはゆっくりと、しかし確実に次世代大ヒットの素地は築いていたのだった。

他方ガソリン・エンジンの歴史に大きなマイルストーンを築いたのは三菱だった。ギャランの新世代の目玉商品として登場したGDI(ガソリン.直噴インジェクション)はディーゼル機関のようにシリンダー内に直接、ガソリンを噴射して気化させるもの。圧縮過程の高圧状態にシリンダー内噴射できるポンプの開発や音、振動の制圧も課題。でも高効率、ハイパワーが売り物で三菱エンジンの面目躍如。のちにトヨタもD-4として商品化、プリウスにも応用される事になる技術だった。

さて、この年の4月には消費税がそれまでの3%から5%にアップするとあって、春先には一時的な駆け込み注文ラッシュ・・・・も瞬時に終わり各メーカーは需要を発掘すべく新型車の発売に精を出した。

ダイハツが新規のリッターカーとして秋の東京モーターショーに出品したのは翌年デビューするストーリアという猫の目のような顔を持つコンパクトな5ドア。3気筒で1000ccは初代シャレードを彷彿させるもの。大きく成長したシャレードから見れば弟分なサイズ。でも車格は上級者に見劣りしないよう幅広の太いメッキ・サイドモールを奢られた。カルト的な人気を誇ったユーノス・ロードスターもマツダのロードスターとして翌年の発売が予告される。

90年代も過半を過ぎ、ミニバンカテゴリーの車がポツポツ目立ち始めるようになると、カローラ・スプリンター連合の一翼、セレス・マリノのおしゃれな兄弟車も3列シートの腰高なミニワゴン=カローラ・スパシオに生産ラインを譲った。
2列目は補助椅子並みの簡易なものながら、いざとなれば7人乗車できるコンパクトな車体はのちに登場するシエンタの土台となるもの。ノア、ボクシーといったワンボックス派生はまだ後輪駆動でプロペラシャフトが存在していた。

トヨタからはRAV4の大型版ともいうべきハリアーがデビューする。モノコック・ボディながら本格的クロスカントリー四駆風なデザインで、都会的なイメージと悪路走破性の高そうに見える足回りは売れないはずが無い組み合わせ。四半世紀後の今もトヨタのカタログを飾る。

大衆車のインテグラにタイプRを導入し、人気を得たホンダはシビックにも当然のごとくタイプRを追加する。タイプR一族の中では最小となった1・6リッターエンジンはリッター100馬力を凌駕する185psを発揮。この世代まで四輪ともコイルに吊られたダブルウィッシュボーンのサスを前後に装備。未だ人気の衰えない車種でもある。

ホンダに限らず、各軽乗用メーカーは翌98年に控えた軽四輪・枠拡大を睨んで新型車デビューを見合わせていたが、ホンダだけはこの間隙をぬってワゴンRのヒットに倣った背高ワゴンスタイルの新型ライフを投入した。名称こそ、かつての名車=ホンダ・ライフを受け継ぐがボディは新規開発。2年後にはモデルチェンジが必至なのに、瞬間風速で好調なセールスを見せたのが爽快だった。

変わり種といえば、珍車・迷車の筆頭に挙げられるのがいすゞビークロス。売れ筋の本格SUVのミューを土台にモーターショーから抜け出して来たようなコンセプトカー風なデザインを纏った2ドアの4×4。生産台数が少ないためプレス部品の雌型はコンクリートを使ったという逸話も残っているくらい、ユニークな存在。パジェロ・ミニやRAV4といったヒット作がなければ生まれ得なかった企画かも知れぬ。

ブッシュ・父大統領がわざわざ日本まで押しかけて購買を迫ったアメリカ製小型車の真打、サターンが販売会社もろとも上陸したのもこの年のこと。
小型車を作り慣れたオペルの技術を土台に日本のタクシー・サイズのセダン、クーペ、ワゴンをラインナップした。
とにかくユニークなのはフェンダー、ドアといった板金修理の多そうなパネルを全てバンパースキンのような樹脂製に置き換えたことで、強度はインナー・フレームが担保した。クーペには左右非対称3ドアが追加され、リアシートからの出入りを若干助けはしたものの、左側通行の日本に右側通行用のボディを持って来たためにその恩恵は大して評価されなかった。

スバルは売れ筋のレガシィをフルチェンジ。外観はあまり変わっていないように見えて実は図面をゼロから描き直したもの。最大の変化はリアサスペンションをストラットからダブルウィッシュボーンに改変し、操縦性とにしつスペースを改善したことだった。消費税が5%にアップしてからの登場にも関わらず、好調なセールスを維持したのはGT-Bやアウトバック(海外の呼称と統一)の存在ももちろん、4ドアセダンの頂点たるB4の存在も無視できなかった。

バブル崩壊後に企画され不幸な時代に生まれ落ちた車種には少しづつ多目的車やSUV人気に傾倒してゆく過程が見られる。この年には人気絶頂だった、安室奈美恵が突然結婚を発表し、サッカー日本代表は初めてのW杯出場を決め、歓喜に沸いたと思ったら山一證券の経営破綻、エジプト・ルクソールでの観光客を標的にしたテロ事件など喜怒哀楽の振幅の大きな一年でもあった事が懐かしく思い出される。

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