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ケンとメリーがゆっくり走ろうと唄った1972年に結婚しようよと旅の宿で共鳴した国産車は

日中が国交回復し沖縄が本土復帰。戦後の大きなしこりを除くかの様にグアムから元日本兵横井庄一さんが救出されて始まった1972年はクルマCMソングに彩られた一年でもありました。

あれほど隆盛をきわめたグループサウンズはフォークソングのブームに取って代わられ吉田拓郎や泉谷しげるといった新たなスターが脚光を浴びます。

グループ-六文銭のヴォーカル上条恒彦が歌い上げた「ゆっくり走ろう〜おおローレル♫」は,列島改造論をぶち上げて首相就任を果たした田中角栄総理大臣とは別の方向を打ち出した強烈なメッセージ性を持っていました。前年にも石油元売りのCMで、やはり「の〜んびり行こ〜よ♬」と鈴木ヒロミツが歌っていた流れを汲んでいます。

初代から大きく大胆に生まれ変わった二代目ローレルは同時期のスカイラインGTと多くのパーツを共有する兄弟車で合理的な欧州デザインの初代とは打って変わったアメリカンな迫力あるスタイルが後々人気となります。

当初ローレルとはデザイン志向を異にしたコロナマークⅡでしたが、最上級グレードにはローレル同様6気筒エンジンを据えた大型の大胆なデザインのボディを纏って二代目に進化しています。車名からはコロナの文字も消え,トヨペット店の上級車種としてクラウンとコロナの隙間を上手く埋めました。

エレガントさが魅力だったマツダのルーチェも同様に大型化、バリエーションを増やし低公害仕様のAPをいち早く加えます。


そして日産スカイラインとなって二代目、プリンス時代からは4代目となるケンメリことC110系スカイラインが、バズの歌い上げるCMソング「愛と風の様に」共に各メディアを席巻してゆきます。先代C10系スカイラインは、愛のスカイラインと銘打って顧客の若返りを見据えたイメージ戦略を展開しましたが、よりイメージを具体化したのが無名の若手モデルを起用したケンとメリーの2人です。
こちらもローレル同様、大型化したボディに自慢の6気筒エンジンを載せていますが、遅れてデビューした最強版GTーRは先代のレースでの戦績を引き継ぐべく発売されたものの、自動車レースを取り巻く環境の激変で活躍の場を失い,無冠のGT−Rとなってしまいました。以後このクルマの象徴である赤バッジが復活するまでに日本車は大きな壁をいくつも越えなければなりませんでした。

フォーク・ブームの頂点に立っていた吉田拓郎がCMソング「僕らの旅」を書き下ろしたのが軽自動車スバルREX.スバルR2からは僅か3年での刷新でしたがデザインの潮流はフィアットにも似た合理的なものから抑揚の効いた大胆な造形へと激しく変化したモデルチェンジで、水冷エンジンの為のラジエーターグリルを備え、ウェッジシェイプをとりいれた(当時にしては)スバルらしから大変身ぶりをみせたものです。

その頃黄金時代を迎えていた軽自動車マーケットには,老舗マツダも古くなったキャロルに代わる最新型を投入。シャンテと名づけられた2ドアは当時の軽規格(全長3000mm)で最長のロングホイールベース(2200mm)を誇り,室内スペースの長さをアピールしましたが、ライバルの様な4ドアを加えることは無くプロペラシャフトと板バネの後輪を持つ無難な構成でした。当時このシャンテにはロータリーエンジンが搭載されるともっぱらの噂でしたが、業界の圧力なのかエンジン小型化が困難だった為か結局は実現しませんでした。

三菱も古いレイアウトのままミニカを刷新しますがスバル程の大胆さは無く、4ストロークエンジンを採用したものの4ドアの設定はありませんでした。

ライフで大胆な路線変更を打ち出していたホンダが,1300に代る5ナンバー登録車(当時の軽は6、8ナンバー)として用意していたのは、ライフをそのまま拡大した様なレイアウトのFF2ボックス、シビックでした。それまでの様に派手なキャンペーンを打つこともなく地味にデビューした新型車でしたが、当初から環境保護に配慮したようなイメージ戦略をとっていたのは注目に値します。

独立したメーター類を置くトレイタイプの計基盤は時代を五年以上も先取りしたデザインで10年後には日本中がこれに倣います。このクルマがホンダの将来を決定づける大きなマイルストーンとなったのはご存知の通り。当時本田宗一郎社長はシビックをモデルチェンジしないと公言して話題となりましたが・・・・

ホンダからはもっと目立たない形で重要なモデルが生まれていました。ライフのFFユニットを商用車バンに載せ背の高いトールコンセプトを20年以上も先取りしていたステップバン。発売当時よりも10年後の中古車市場で人気が爆発しただけで無く、今日のホンダ商用バンがFFに全面移行した事からもその50年時代に先駆けた先進性に驚かされます。

カローラ・サニーの大衆車クラスには勿論三菱も刺客を送り込まずにはいられません。ギャランの成功を機にそれまでのコルト800〜11Fを刷新するかたちで、ギャランクーペFTOを送り出します。一見すると人気のギャランGTOの弟分のようなデザインでしたが、その実体は新開発のOHVエンジンに小振りなシャシーを組み合わせたお洒落な2ドアクーペで、実はこれが翌年現れる新大衆車=ランサーの母体となるものでした。シビックもランサーもやがては会社を代表する量販車種へと成長しますが、そのタネはこの時点で既に撒かれていたことになります。

発売後2年が経つカローラ/スプリンターにセリカやカリーナGTの1600ツインカムエンジンを押し込んだTE27型レヴィン/トレノがデビューします。日産の看板GT−Rに倣い,質素な外装、ワイドタイヤも捜着可能にする張り出したオーバー・フェンダーを装備。背景にはツーリングカー・レースで圧倒的人気と強さを誇っていたサニー1200GXの存在があったことも否めません。

スカイラインやローレルと同様、6気筒エンジンを基本に据えたセドリック・グロリアにはこの年日本で初の4ドア・ハードトップが追加されます。ハードトップでは遅れをとっていた日産も4ドアHTではこの後トヨタの追随を許さず独走。苦戦していたクラウンを尻目に同クラス販売首位を獲得していました。

高度成長を続けた日本経済もそうそう長く好調は続けられませんでした。モデルチェンジの度に大きく豪華に変身した国産車にはこれから大きな路線変更を強いられる運命が待ち受けていたのです…


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