ロッキードが政権を揺るがし、ミグがソ連を見限ったとき日本はアグネスに酔う1976の日本車を待ち受けるのは?
ロッキード機選定をめぐる政界ぐるみの大スキャンダルが表面化したこの年、函館空港には亡命希望のソ連パイロットが操縦するミグ25が強行着陸!モントリオール五輪では体操の花=コマネチ選手の10点満点が話題に!そんな中ハワイ在住で74年型VWカルマンギアを愛車とする東洋系女性モデルの美しい肢体が日本中の広告媒体から雑誌グラビアまでを席巻しました.名前はアグネス・ラム、中国系の血筋を引く多国籍美女であり、果実のような美しい胸元を惜しげもなくカメラに向けて数多のクライアントの引き合いを受ける事になりました。
自動車業界ではトヨタがスプリンターの追加車種リフトバックのCMキャラクターとして俳優の近藤正臣をフィーチャーし、CMソングはブレイク前のゴダイゴが担当していました。
ミニ・サイクルと見紛う程の全く新しい50ccバイクのエンジン始動用のゼンマイを巻くためにイタリアの大女優ソフィア・ローレンをお茶の間のテレビCMに駆り出してラッタッタと奇妙な呪文を唱えさせたのはスーパーカブを発明したホンダでした。
変速ギアがない代わりエンジンは低回転から高トルクの出る2ストロークエンジンを遠心クラッチのみで後輪と繋ぎチェーンケースもろとも後輪迄をひと固まりのモジュールにして一本のスプリングで吊った一体構造の足まわりが特徴で、これ以降登場する各種スクーターは皆これに倣うことになります。
スプリンター・リフトバックと同様ハッチバック・ドアを持つ3ドアがアコードと名付けられてホンダからデビューします。印象としてはVWシロッコの様なスタイリッシュなハッチバック・クーペ.これがやがて北米現地生産に着手し全米ベストセラーを争う事になるアコードの原型で、当初3ドアハッチバック一種のみでのスタートでした。シビックより大きなCVCC1600ccエンジンは1800迄拡大されたほか、後にパワーステアリングを追加して重く大きな前輪駆動車の普及にも道を開くことになります。
閏年のトヨタ・マークIIモデルチェンジは恒例、ですがデザイン的には大きな転機だったのがこの年。当時アメリカで流行の兆しが見えていたクラシック調の保守的プロポーション、ファストバックからオーソドックスな3ボックスに立ち返ったばかりか、驚くべきはヘッドライトにスターレット同様の丸型二灯を用いたことで、これはアメリカ流を踏まえたものでした。
日産はブルーバードU610系の派手な出で立ちを改めて810系ではやや地味に高級感を押し出す路線変更を図ります。2ドアでは後方視界の確保のためにオペラウィンドウを新設し、6気筒車はGTシリーズを改めG6シリーズを名乗ります。実はこのロングノーズ版の中には4気筒しか載せていない見掛け倒しのバリエーションもあって、虚栄心をくすぐるにはコスパの高い仕様でした。
全車ファストバックで登場した初代ヴァイオレット・4ドアセダンはその大胆さが災いしたのかトランクフードからリアウィンド、リアフェンダーに至るまでプレス金型を作り替える大幅な手直しでまっとうな3ボックスセダンのプロポーションに改善されました。グラマラスさを競うあまり、後方視界を犠牲にしたスタイルは長続きするものではありません。
三菱は旗艦車種のギャランを全面刷新しますが、スタイルは直線と平面を組み合わせた前年のランサー・セレステに準じたもの。逆スラントした精悍なフロントグリルでサイズ感もアップし、ライバルの小型タクシー車種に見劣りしない見栄えと販売実績を手に入れました。
そしてギャラン・シリーズに、2ドアハードトップのΛ(ラムダ)を新設。アメリカ基準SAEに則った角型4灯ヘッドライトを初採用しリアのウインドウガラスをコの字型に大きくラウンドさせて、後方視界を極めて良好にしたのは、事実上の先代、GTOとは大きく違うトレンドです。
実はこの時代トヨタも日産もあまりデザインに注力した様なクルマがなかなか現れなかったのは、世界に類を見ない厳しさの53年排ガス規制に労力と開発資金を割かれた為とも思われ、厳しい台所事情を反映した結果の様にも見えます。
三菱の場合はMCAジェットと称して吸入バルブの他に渦流を起こす為の第二の吸気バルブを追加して後処理のない低公害エンジンを完成させます。
日産のNAPSーZはツインプラグで急速に燃焼させる事で不完全燃焼を抑え燃焼温度を上げない工夫が自慢.複雑なバルブ機構には手を加えないこともメリットです。マツダはご存知、福燃焼室という後処理で燃え残りを一掃。
トヨタは多角的な対応を目論み、ホンダの特許を受けたTTC-V、希薄燃焼のTTC‐Lと三元触媒に頼るTTC‐Cほか、様々なアプローチで最適解を模索しました。最終的には触媒コンバーター式に収束することになるのですが、2020年代の電動化戦略を見ても解る通り、可能性があれば多方向からアプローチするトヨタらしいやり方でした。自慢のツインカムエンジンを止めることなく,GTの名前を絶やさなかったのもトヨタだったから、とみる向きもあります。
もう、ツインキャブでパワーアップしてスポーティーさを競う、なんて小技は通用しない世の中になっていたのでした。軽乗用の元気がなかったのも70年代中ごろの特色。新規格に合わせてサイズアップすることはあっても、この時期大がかりなモデルチェンジを断行するメーカーは現れませんでした・・・・