クリープハイプとしょうもないやつ
”愛情の裏返しとかもう流行らないからやめてよ”
これはクリープハイプの新曲『しょうもな』の歌詞である。
僕はこのフレーズに衝撃を受けた。
学生の時からクリープが好きでファンクラブ”太客倶楽部”に入っていた。
クリープは変化を厭わないバンドだと、僕は認識している。
これまでのクリープ
フロントマンの尾崎世界観以外のメンバーが全員脱退してしまったこともあるが、尾崎世界観は1人でもクリープハイプとして歌を歌った。
ギターの小川 幸慈、ベース兼コーラスの長谷川 カオナシ、ドラムの小泉 拓という現在のメンバーになったのは2009年のこと。そこから3年後、アルバム『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』でメジャーデビュー。
資生堂 アネッサのCMソングなどタイアップにも恵まれ人気バンドになっていく。
2014年、ベストアルバム『クリープハイプ名作選』がリリース。
しかしこれはレコード会社がバンドおよび事務所に一切伝えずに制作されたものだった。著作権自体は会社が持っているため、発売中止などにはならなかった。
バンドはビクターからユニバーサルシグマへ移籍。
当時流行っていたUSTREAMという動画共有サービスで、ベストアルバムの曲順で演奏し、騒動に落し前をつけた。
尾崎世界観の声が出なくなってしまった時期もある。
原因不明だった。セールスにもフェスのステージにも影響は出ていたと尾崎世界観は話す。音の出し方から整体まで、あらゆる術を尽くして再び元のように歌えるようになった。
尾崎世界観が作家として生み出した一作目『裕介』はバンドが解散の危機を迎えていた声の不調期に執筆されたもので、尾崎世界観にとって救いでもあった。アルバム『世界観』は対になるデザインで製作されており、バンドと尾崎世界観の本名でもある裕介は切っても切れないものであると証明された。
サブスクはかなり早くから解禁しているし、アーティストによって意見が分かれるTik Tokとも進んでコラボレートした。
映画の主題歌になった『イト』ではホーンを取り入れて一際ポップになった。丸くなったとも言えるが、結果的にその次に出した『栞』はクリープを代表する新たなアンセムになっている。
尾崎世界観がテレビにも出ていくようになったのはその辺りからだった。
様々なバラエティ番組に出て、怒りをぶつけ、笑いを取る。
クリープにとっても、尾崎世界観にとっても怒りは武器だったし実際僕はそこが好きだった。
それなのに変わってしまったのはアルバム『泣きたくなるほど嬉しい日々に』だ。かなり丸くなった作品。初回限定盤のケースはスチール缶パッケージになっていて、これまた”丸”だ。
…こういう前振りの場合、ここで怒った方が自然だが、この作品はこの作品で好きだった。
変化し続けるのもクリープだなと思ったからだ。確かに全体的にトゲはないけれど、音と歌詞によるストーリー性は今までのどのアルバムよりも深く感じたし、『金魚と(その糞)』という怒りの楽曲は対照的にその鋭利さが際立っていた。幼い頃に宝物を入れていたようなカンカンの入れ物は、車用のCDを入れるケースとして使っている。
『愛す』はラッパーをはじめ、様々なアーティストによってリミックスされた。その中には昨年亡くなった赤い公園の津野米咲もいる。人には人それぞれの愛すべき人がいることを認識させされる企画だった。
12月には新しいアルバムがリリースされる。タイトルは『夜にしがみついて、朝で溶かして』。
活動初期はよくも悪くもバンド間はギスギスしていたという。だからこそ鳴らせた音もあると思う。しかし、メンバーのコミュニケーションが上手く取れている今には今の、あの頃とは違うクリープハイプがいる。
これまでの僕
バンドが変わっていく中で、リスナーである僕も少しずつ変わっていった。
クリープを知ったのは高校3年の頃。変わったバンドがいるとYouTubeを見せられたのがクリープハイプの『HE IS MINE』だった。
高校生で、まだ童貞だった僕にはあまりに刺激が強かった。メッセージが強烈すぎるあまり自分からは聴くことはなかった。それでもなんか忘れらなくて出会ったのが『おやすみ泣き声、さよなら歌姫』だった。クリープを好きになったのはこの曲がきっかけだったと思う。綺麗なメロディーと叙情的な歌詞と疾走感が好きだ。
千葉の片田舎で生まれ育った僕は、高校を卒業して都内で1人暮らしを始めた。
通っていた専門学校は新宿、住居は調布市を選んだ。電車で片道30分程度だった。「1人暮らしなのに家が遠いね」と何度か言われてきたが、田舎から出てきたばかりの僕には電車で30分はそんなに遠くはなかったからだ。下町感溢れる街の6畳1間のアパートは小さいながらも愛すべき城だった。東京での暮らしは刺激的で、専門卒業までの2年間で様々なことを経験した。
茹だるような暑い夏、同級生の女の子に『吹き零れる程のI、哀、愛』を貸した。その人と親しくなり、生まれて初めてラブホテルにも行った。何号室かはもう覚えていないが、『HE IS MINE』を刺激的すぎると嫌った高校生は、やがて大人の階段を上がり、自ら好んで聴くようになっていく。
それは学校生活の雰囲気が一変した就職活動でも例外ではなかった。
これまでの曲とは少し毛色の違う『二十九、三十』はしっとりとして優しい曲だ。少しくすんでいるが、その温もりは就活で不安に襲われる僕を何度も何度も救ってくれた。
2018年、僕は武道館行った。
クリープハイプの二度目となる武道館公演だ。
カッコよくて優しくて、メリハリもキレもある最高のライブだった。
そこで発表されたのがアルバム『泣きたくなるほど嬉しい日々に』。らしくないタイトルだと思ったと同時に、満たされないことを歌にしてきた彼らも、ちゃんと幸せになったのだと思った。
そこに収録されている『燃えるゴミの日』『一生のお願い』は、結婚や同棲といった幸福な歌だ。
終わる愛を歌い続けてきたクリープは、長く続く愛を歌うようになった。
時を同じくして、僕は結婚した。
全く異なる環境で生活してきた人間と同じ屋根の下で同じごはんを食べる生活が何日も続くなんて不思議だった。
その生活の中で『一生のお願い』の”一生に一度じゃなくて、一生続いていく”というフレーズが離れない。
時代の流れ
同じように、時代も変わり続けている。
コロナがもたらした変化もかなり大きいが、音楽の聴き方も、ジェンダー観も、ネットの声の大きさも、絶え間なくどんどんと変わっていっている。
エンタメの傾向も変わり、人々は分かりやすいものを好むようになった。
映画監督の庵野秀明は時代の傾向について「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」と話していた。実際、シンエヴァは旧劇に比べて分かりやすかったような気がしているし、大ヒットを記録した。
クリープハイプはどんなバンドよりも、“愛情の裏返し”を書き続けていたバンドだ。
嫌い 嫌い 嫌い 嫌い 嫌いと
突き放したって結局ここに帰ってくるんだよ
『あの嫌いのうた』
愛しのブスがあんたにも居たんだろ
『傷つける』
複雑で繊細で、分かりにくい愛情表現と得意としてきた彼らも時代の傾向に合わせて変わろうとしている。
それは決して時代に媚びているわけではない。バンド自身を色褪せさせないためにも、時代に合わせた戦い方を選んだと僕は思う。
もしかしたら、この表現すらも本音とは裏返しで一つの皮肉かもしれない。
シンエヴァでは、シンジ君は補完ではない方法で、自分の殻を破り大人になった。
僕は昔から内気だったり、妬みがちだったり、引っ込み思案な性格をしている。
小説では朝井リョウの『何者』の主人公二宮拓人、マンガでは『モテキ』の藤本幸世、アニメでは旧エヴァのシンジ君などが自分と重なる側面をもった登場人物だった。
しょうもない自分へ
僕は結婚してからも性格は変わらない。それどころか、結婚して「前向きになった」と言われるのが嫌で、過去の自分をより強く引き摺っている。生活や環境が変わったのに自分を変えようとしなかった。
変わった自分は、自分じゃなくなりそうで怖い。
どこまで変わったら、どこまで変わらなかったら自分が自分でいられるのか分からなくて漠然と不安になる。
2014年にリリースしたシングル『エロ/二十九、三十』にはこんなコピーが書いてあったことを思い出した。
”変わりたいな、変わりたくないな”
その当時も、あれから7年経った今でも、この気持ちは良くわかる。
しかし、クリープはその不安や恐怖を乗り越えて、ちゃんと変わっている。
僕にとってクリープは生活感のあるバンドだった。
高校の教室、調布までの電車内、アパートのベッド、緊迫感ある面接会場、何年経っても慣れない職場、左手の薬指につけた銀の輪っか、量の増えた洗濯物、出生届。
クリープはいつだってすぐ隣に居てくれたような気がする。特に『おやすみ泣き声、さよなら歌姫』、『二十九、三十』、『一生のお願い』には思い出が詰まっている。
ここまで書いた今も変わるのは怖い。
それでも、『しょうもな』を聴いていたら変わっていきたい気持ちの方が少しだけ強くなった。
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