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籠神社(カゴメ唄・六芒星・夜明けの晩)2021年2月

日本三景・天橋立


天橋立を渡りきったところに元伊勢籠神社はある。



カゴ(籠)と書いて「この」と読む。
ずっと行きたかった場所の一つである。
なぜなら私は遥か昔にユダヤ人が日本へ渡ってきたという、いわゆる日ユ同祖論を、心底信じているからである。日ユ同祖論において、極めて重要な鍵をを握っていると言われているのが、籠神社なのである。

籠神社の裏社紋は六芒星(ダビデの星)であり、ユダヤ教との繋がりを示す証拠だと言われている。

籠神社の本殿から歩いて10分くらいのところに、奥宮の眞名井神社がある。
元々は眞名井神社の方がメインの社で、古くから豊受大神が祀られていた。
眞名井神社の入り口付近に置かれた石碑には、かつては六芒星の紋章があった。


インターネット上で探せば出てくるが、今は六芒星の紋章を確認することができなくなっている。


現在は六芒星があった部分に三つ巴の社紋が、被せられている。
文字との離隔、バランスを考えると明らかに不自然である。



絵馬やお守りにも近年まで六芒星が描かれていた。
これもデザインが変えられてしまっている。(ネットで探すと出てくる)

2021年2月、唯一見つけることができたのはこれだけである。





籠神社は、カゴメ唄に隠された暗号とも関係していると言われている。

『かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だーれ』




ここまではちまたで言われている都市伝説と変わりはない。

これから私の今日までの研究との関連について知っていただきたい。
私はカゴメ唄の暗号のうち、多分まだほとんどの人が知らないであろう「夜明け」の意味について1つの仮説を打ち立てるに至った。そのこともお伝えしておきたい。

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1987年、元伊勢籠神社に集まった取材陣60名、4機の取材ヘリが上空を飛ぶ中で会見が行われた。
会見を開いたのは元伊勢籠神社の宮司(海部氏)と学者らのグループであった。
宮司の海部氏の家系は、天照大神の孫の天火明命を始祖とし、古代から代々伝わる家系図が国宝に指定されている。
「日本史を根底から揺るがすような発表がされるかもしれない」、もしかしたらそのような期待もあり、会見は世間の注目を集めた。

会見で発表されたのは、籠神社に2000年以上前から伝わる2つの鏡の存在であった。
息津鏡(おきつかがみ)と邊津鏡(へつかがみ)である。

2つの鏡は、古墳などから出土したわけでなく、宮司家に代々受け継がれてきた。伝世鏡として国内最古のものとされている。

写真を貼り付けるのは恐れ多いので控えるが、籠神社のホームページに掲載されているので是非見ていただきたい。

https://www.motoise.jp/about/houbutsu/


私が注目するのは、鏡の中央の模様である。
2枚の鏡には、八つの頂点を持つ花、「八頭花崎八葉形」がある。


伊勢神宮の八咫鏡は八頭花崎八葉形であると『御鎮座伝記』に記されている。

伊勢神宮の八咫鏡は、現物を見ることができないので、一般的には上の平原遺跡から出土した鏡の写真がイメージとして広く使われている。


八頭花崎八葉形は私の研究するエチオピアにもある。

(なぜ日本の古代史の話をしていながらいきなりエチオピアが出てくるのかを話すのは今はやめておこう。私には確信があっても、それを説明しようとすればするほど、理解し難いものと認識されてしまうことをすでに学んだからである。1つ言えることは、日本とエチオピアの古代史における共通点が1つなら、それは偶然と呼んでいい。しかし、3つも4つもあれば、真実に近づいていく。それどころか、真実であることを疑わなくていいくらいの証拠をすでに見つけている。)


重要なのは、エチオピアのどこに八頭花崎八葉形があるかという点である。
それは、旧約聖書に出てくる契約の箱が納められている教会の敷地の中である。






日本のお神輿のルーツは契約の箱なのではないかと言われている。
これも私を含む日ユ同祖論者の中ではよく知られている。


日本にもし本物の契約の箱があるとするなら、伊勢神宮の外宮である。
なぜ内宮ではなく、外宮なのか、私は証拠を見せることができる。

私が発見したのは、2つのレイラインであり、かつての神の姿である。

契約の箱が納められたエチオピアの教会と、外宮を直線で結んでみる。




ご自身で確かめていただくのがよろしいかと思うが、奈良の東大寺、春日大社などの巨大宗教施設、世界遺産、国宝、重要文化財などの密集するエリアのまさにど真ん中を貫く。




いくつもの天皇家陵墓(前方後円墳)も貫く。




ちなみに前方後円墳の形をエチオピア人に見せると、アクスムを象徴する形によく似ていると言う。(その点はここでは省略)

さらに、直線は出雲を通る。
大国主の時代に出雲王国の中心だった可能性のある出雲平野を通る。
そこは出雲屈指の古墳密集エリアである。

日本書紀の記述の中で、出雲から大和へ神宝が渡ったと読み取れるヤムヤの淵の物語がある。出雲国風土記には夜牟夜社として記載がある、現在の塩冶神社をピンポイントで貫く。




(すでに混乱させてしまっているかもしれない。申し訳ないが続けることにする。)

エチオピア以前に契約の箱が収められていた場所がある。
三大宗教の聖地と言われるエルサレムの神殿である。
ダビデ王の時代には確かに契約の箱はエルサレムにあった。





エルサレムの神殿(現在のイスラム教の岩のドームの頂点)から伊勢神宮外宮を直線で結ぶ。





京都の伏見稲荷大社、東寺、出雲大神宮を通る。
出雲大神宮の位置付けは謎であるが、伏見稲荷大社と東寺については、日ユ同祖論者の中でも有名な秦氏、そして今なお生き続けて、我が国の宗教史上、最も大きな役割を果たした空海が関わっている。建立された場所に、なんの意味もないはずがないのである。



この2つのレイラインはいずれも外宮から結んだものである。


古事記・日本書紀の記述からのみでは、外宮の神の偉大さにたどり着くことができない。
中世の伊勢神道では、外宮の方が内宮より格の高い神だと言われてきた。
世界の創造神であると言われてきた。

世界一の超能力者と言われたベラ・チェコフスカは外宮を訪れた際に、異変に見舞われた。後日、外宮にはヤハウェが祀られていると言ったという話もある。


話は元伊勢籠神社に戻る。
籠神社にもともと祀られていたのは、豊受大神である。

豊受大神は、雄略天皇の時代に、籠神社(奥宮・眞名井神社)から外宮へお移りになられた。

籠神社の宮司によって書かれた『元初の最高神と大和朝廷の原始』という本がある。
567ページ、10,780円の重い本である。
Amazonなどで買うとさらに高いので、悩んだ末、現地で買うことにした。

籠神社もまた、豊受大神は天照大神よりも格の高い、この世界の創造神だと考えているように読み取ることができた。


私もやはり、豊受大神は、この世界を創造した最高神であったと考える。
ユダヤ教でいうところのヤハウェなのである。


明治政府による神仏分離令や、戦後のGHQによる工作によって外宮の神のルーツとその神威は隠されてきた。しかし座標を動かすことはできなかった。
「夜明け」とは、太陽が昇るという意味ではない。
豊受大神の祀られている外宮から、エチオピアにあるもう一つの契約の箱に向かって光が現れる。光の姿をした神が、再び世界にその姿を現すのである。

神の姿を目撃した人類は、目を覚ますことになる。
何が真実で、何が偽りの神によって見せられている偶像なのか、判断できるようになる。その精神的な目覚めこそ、世界の夜明けなのである。

それは世界の終末に起こることであり、必ず起こることである。




まだ世界でも限られた人物しか、「夜明け」の意味を知らない。
しかし知っている者がいることも確かである。
例えば、ワンピースの作者(とその背後の組織)はそうであろう。

これは私が書いた本である。



エチオピア研究の果てに発見した日本とエチオピアの繋がりや、日本史・世界史を貫くような様々な発見について、知っていただければ幸いである。

また私はこれからも、この神の存在を世界に発信していこうと思う。
力を貸していただきたいと願う。

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