「母なる筋肉の世界」
刺激に飢えているんで、インスタグラムで凄い肉体を誇るひとたちをフォローしたら、思いもよらずに世界のマッチョたちからフォローされて、複雑な心境ながらも、ある種ホクホクの幸せでもあります。
彼らを見てると「鍛えない」を近年の信条に置いてた僕ですら、鍛えてもいいかもと、揺らぎつつあります。
Owen Harrison & Lewis Harrison
生活や労働のみの負荷で肉体を維持したいと思い、多感な頃に読んだ漫画でトレーニングすら女々しいと思わせた喧嘩師花山薫をチワワにしたような僕ですが、実感として、どんなハードワークも、あまり胸筋や腹筋を育てない、これはなんともジャケットの悪い名盤のようなことではないか。
よくよく腕立て腹筋が定番なのも理解できる話で、彼ら鍛える人々が目指すものも、力を役立てる事ではなく、まずは見た目の重要性、それこそが皆を酔わしているのであって、実際の筋力はその副産物に過ぎないのです。
聴覚が無いと喋れないように、視覚的な実感が無ければ、筋力の増強も差し障るもので、まず先に「美」が在って、そこからが「用」なのが、不思議ながらも「用の美」を否定するような話なのです。
ですのでこれまで甘く見ていた、見た目のみの危うさ「ハリボテ」に、妙な薬効を見付けてしまったような、そんな形になります。
もはや武田真治さんの鍛え方を邪道だと言い放つ気分にはもう、相成れないのかもしれません。
マッチョの秘訣は、少なくともその姿に酔う方が効果的であるという、見栄えの有る筋肉に投資せよとのことで、僕のように、猫を手本にしていたのでは、胸筋腹筋が未熟のままで、しいては全身の筋肉の発達の遅延に繋がるかもしれないという、やな感じの結論なのでした。
実際、胸筋腹筋がどんなに立派でも実労ではあまり役に立たないのですが、それが心理的な呼び水になって、腕筋背筋すら育むのなら、喜んで捧げたいと思うようにすらなりましたよ。
それが、ある意味、そういう時代だった、幼心の念願でもあるのです、残念ながら。
なんか、ほんとにこういう世界見るの久しぶりで、すっかりスーパースターたちに酔ってます。
まるで子供の頃見た漫画の世界だけど、きっとそれも侮れないもんで、この人たちも、もしかしたらそういうの見て、現実にないものになろうとした結果、本当に人間を超越した姿になれたのかもしれない。
アルフレッドトマティスは「聞こえない音は発声できない」と言いましたし、ジュールヴェルヌは「想像できることは実現できる」と言ったとか言わなかったとか。
なにごともイメージが重要という話です。
そしてプロテイン、ケミカルで独特なこの粉もん文化ですが、それもまた、茶道の域にすら感じるようになってきました。
僕とは全然違った生き方の人たちなのに、みんな楽しそうでいいですね、微笑ましいです。
焚き火に当たると、説明出来ないくらい本能的にホッとするけど、なんですかね、この、筋肉に対する言い知れぬ気持ち。
筋肉に当たってます。