10年ぶりに生身の人間を推すことになった
【注意】この記事には「機能不全家族」「毒親」とそれらに関連するワードが使用されています。現在進行形で苦しんでいる方、フラッシュバックする可能性がある方は十分注意してください。
*2022年6月29日 お礼追記
はじめに
10年ぶりに生身の人間を推すことになった。
「生身の人間」というのは私のよく使う言い回しで、つまるところ「実在の人物」、二次元のキャラクターに対して「三次元の人物」を指す言葉だ。
自己紹介がてら少し過去の話をしよう。十年と少し前の私はとあるアイドルグループが大好きだった。上記の「生身の人間」というやつだ。
当時中学生だった私はテレビの向こうやステージ上からいつも歌と踊りとキラキラの笑顔を届けてくれる彼らに夢中だった。もっとも当時は「推し」という表現は一般的ではなく「担当」と呼んでいた。そんな時代だ。
当時は事務所の方針もあり、今のようにタレントがSNSアカウントを持つこともなく、本人たちからの発信はテレビとラジオを除いてはファンクラブの会員のみが閲覧できるサイト内のコンテンツに限られていた。
しかしそれは自由に使えるお金の少ない中学生にとってはある種好都合で、自分がかけられるお金の範囲内でCDを買いライブに行き、ケータイにはフィルタリングがかかっていたのでSNSなどを通してほかのファンと自分を比較することもなく、中学生特有の無尽蔵かというほどの溢れるエネルギーをいかんなく費やして友達と大騒ぎしていた。
──TIGER&BUNNYに出会うまでは。
今思い出してもとんでもないタイミングでとんでもない作品に出会ったと思う。
TIGER&BUNNYは私が初めて見た深夜アニメで、それまでどちらかと言えば二次元オタクを毛嫌いしていた私をその後10年単位で二次元コンテンツの底なし沼へと叩き落とすだけの衝撃であった。
鋭利な刃物を使って私の任意の骨を切断したなら骨髄からはTIGER&BUNNYが流れ出るはずだ。
あれから10年、20代半ばの今に至るまで数多のアニメ・漫画・ゲームにハマり、架空の人物に想いを馳せ、時に自分でイラストや漫画を描く、そんな日々を過ごした。多感な時期に触れた作品の中には今の自分の価値観形成に深く根差しているもの、辛い時期に心の支えにしたものも少なくはない。
誰かが描く物語に魅せられ、追い求め、救われた、そんな10年間だった。
なぜ生身の人間を推せなくなったのか
かくして二次元コンテンツにハマったオタクの三次元離れに拍車をかけるのが私をとりまく環境だった。
「なぜ生身の人間を推せなくなったのか」、一言で表すなら「人間不信が加速したから」だ。
私の実家はいわゆる機能不全家族で、母親は幼少期から私を決まったレールに乗せるためにコントロールしようとしていた。
毒親あるあるなのかもしれないが、私の母は自分の知らないことをとにかく無価値だ無駄だと否定する性質の人だった。
知らないし知ろうともせずに真っ向から否定するので、親と暮らした21年間は、私は彼女の望んだ「いい学校に行っていい企業に勤めて親を養う」という理想を外れることを許されなかった。
実家ではプライバシー(自分の部屋)はなく、かといって親子間で対話をすることもなく、幼少期より日常的に精神的、身体的な暴力で親のいうことを聞くように圧力をかけられていた。そして大学に入って活動範囲が広がると「親をバカにしている」「お前の考えていることがわからない」とまたヒステリーを起こされる。まともに話をしたことがない人間同士が分かり合えるはずがない、ということを彼女は知らなかった。
幸か不幸か私の専攻は教育分野、そこで子供の発達や心理学、子育てについて学ぶうちに、自分の生家が異常であることを確信することができた。
ここまで読んだ方の中にはお気づきの方もいるかもしれないが、これを書いている人はアダルトチルドレンだ。他人を信頼することや誰かといると安心するという感覚を獲得できないまま生き延びてしまった個体である。
親を通じて学習したことといえば
「他人とわかり合うのは労力がいる」
「人間はきまぐれ」
「大人はそこまで万能じゃない」
「他人をコントロールしようとする人がいる」
そんなことだった。
だからどんな人を見ても、それが芸能人でも職場の同僚でも
「でも所詮、人間だしな」
「不安定な人間なんてものに振り回されて一喜一憂したくない」
と思うようになっていた。
心に余裕がなく不安定から遠ざかりたいばかりに、設計された創作物の安心感に縋り、生身の人間を一緒くたにして自分の世界から締め出したのだ。
そしてもう一つに、私の持論である
「神として扱うのもゴミとして扱うのも、等身大の人間として見ていない時点で同じように相手の権利や自由を侵害している」
というものがある。
私自身、過大評価されることにも過小評価されることにも強い不快感を覚えるからだ。
自分自身を含め人間というのは好き嫌いいかんで簡単に他人に対してこれを振りかざす。
大好きな人ならあばたもえくぼだが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのだ。
人間のそんな不安定さがどうしようもなく嫌いで、また罷り間違っても自分がそのような愚行に走らないように、生身の人間に目を向けないようにしてきた。
ほとんど事故のようなハマり方をした
そんな人間不信限界二次元オタクは、ある日事故に遭った。
いつものようにTwitterを開いて、ハマっているコンテンツの出演声優のツイートをなんとなく遡っていた、と思う。
詳しいことは覚えていない。
なんせ事故に遭ったのだから。
すると、あるツイートが目に留まった。
石谷春貴さんという方のツイートだった。
声優が写真集、ねぇ。
最近の声優はビジュアルの露出まで求められるから大変だなぁ、
声で芝居がしたくてこの業界に入っただろうに、アイドルまがいの売り方をされるのは本人的にどうなんだろうか。
やっぱり売れるとこういう声がかかるんだろうな……。
私の「声優の写真集」に対する感想というのは概ねこの数行に集約される。
が、しかしだ。
ツイートに引っ掛かる点がある。
「僕は学生時代から写真を避けていて、ほとんど写真が手元にありません。」この一文だ。
おおよそこれから写真集を出版する人から出る言葉ではないと感じた。
そしてこの「写真を避ける」ことには私自身、覚えがあるのだ。
先にも記したように私の親というのはまぁまぁな毒親で、毒親というのは往々にして子供の人格と容姿を貶すものだ。
個人的に他人の容姿を貶すというのは犬に向かって「お前は犬だからダメなんだ」といっている様なものだと思うのだが、毒親にそういう分別を期待してはいけない。
親という一番身近な他人に貶され続けたおかげで、私はここ最近まで「笑って」と言われても自然な笑顔を作ることができなかった。
当然のように容姿に自信を持つことはなかったし、それより何よりとにかく写真に映る時の表情がぎこちなくて(目が笑っていないらしい)写真が嫌いだった。貶され続けて好きになれない自分を写真に残すことも嫌だった。
あのツイートを見た時、彼が写真を避けていた訳を知りたいと思った。
芝居を生業に選ぶ人だ、今日に至るまで苦楽様々あっただろう。
写真として残せなかった、その日々と、彼を作った時間を知りたいと思った。
しかしどうすれば知ることができるだろうか。
持ち前の検索力でツイートを浚っても、インタビューを探しても、求めた答えは見つからなかった。
……買うしかないのか。
写真集発売を特集したネット記事には、ロングインタビューが収録されている という情報があった。
どうもそこでしか読めない情報が載っているらしい。
きっとこれだ。
勘でしかないが、そこに自分の求めるものがある気がした。
しかし先述した通り、私は「声優の写真集」に対してそこまで肯定的ではないのだ。
肯定的ではないどころか、若干否定的に見ている嫌いがあった。おまけにファンでもない声優の写真集を買うなど……。
求める答えはすぐそこにある(はずな)のに、オタクは二の足を踏んでいた。
──オタク's セカンド・ステップの3日後。
人とは知的好奇心に抗えないものである。
……などとかっこよく言い放ちたいのだが、その実態は
「徹夜明けにエナドリ流し込んで外回りの仕事した帰り、フラフラとジュンク堂池袋本店に行ったら地下1階写真集コーナーにラスト1冊を見つけてしまって気づいたら買っていた」
これである。
よい子も悪い大人も徹夜はしないように。
変な汗をかきながら会計して家に持ち帰ってきた生まれて初めての「写真集」なる書籍、
ここに自分の好奇心を満たす答えがあるはず。
そうこれは疑問を解決するための資料、レポートで言うところの参考文献なのだ。
私は本は頭から読んでいくタイプなので、謎の緊張感に包まれながら表紙を捲り読み進めた。
自然の中、公園、海辺、飲食店、さまざまなロケーションの写真が並んでいた。
ファンの人はこういう彼の姿を見て喜ぶのだろう。
ページを捲る。
ベッドで横になっている写真があり、
だんだんライティングが暗くなっていく。
なおもページを捲る。
ライトが真っピンクのページに差し掛かる。
捲る。
コントラストを下げたぼんやりとした雰囲気の写真がある。
捲る。
ベッドで布団に包まれた寝起き時のような明るい写真が目に飛び込む。
耐えきれず写真集を一旦閉じる。
……ろ、露骨すぎる!
露骨すぎる……演出が!!
カイジ、もとい福本作品みたいな……と!の使い方もしたくなる。
一体何を匂わされているんだ私は!今日日の声優はこんな演出のされ方をするのか!大変な職業だなぁ!などと叫びやはり変な汗をかいていた。
いかんせん生身の人間に耐性がないもので写真集で演出される距離感(?)にゾワゾワしきりだった。
しかし巻末インタビューまであと少し。
意を決して残りのページに目を通し、文字がずらりと並ぶそこにたどり着いた。
息を整え読み進めると、そこには彼の半生が綴られていた。
(ファンにとっては本当に読む価値があるインタビューなので、以下はその価値を損ねない程度に、各所で本人が公言した情報中心に触れる)
生まれた環境を不自由に感じていたこと、そこから抜け出すためにスポーツ推薦を狙えるほど陸上競技に力を入れたこと、怪我をしてその道を絶たれたこと、絶望の中触れた作品の影響で声優になろうと思ったこと……
決して楽ではなかった養成所時代の生活、家族との関係の変化、念願かなって声優になってからの苦節、得たもの、それを還元する喜び。
相当な情報量にも関わらず本筋から脱線することもなく、芯の強さを感じさせる文章でそれらは語られていた。
インタビューを読み終わるころ、オタクは、私は、涙が止まらなくなっていた。
この人は挫折を知っている人
絶望を知っている人
苦労を知っている人だと、そう思った。
写真を避けていたのは純粋に多忙からか、将来への不安からか、飛躍していく同期を横目に夢に届かぬ自分への無力感からか、燻っている自分を肯定しきれないからなのか。
それがはっきりと明かされているわけではなかった。
他人の心情を断定するつもりは毛頭ないが、しかしそれはきっと、同じく写真を避け続けた私も知っている感覚だった。
そして私が現在進行形で抱える、「人と違う道を選ぶ」ことの孤独と痛み*を彼は知っていると確信した。その孤独と痛みに耐えながら表現という営みを続けるには想像を絶する努力と労力が必要なことを私もまた、痛いほどに知っている。
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*21歳の頃に毒親と絶縁し、一人で学費と生活費を工面しながら大学に通っている状態。わりと地獄。
(昼間課程に通いながら税金年金学費生活費医療費全部1人でどうにかしないといけない地獄。救急搬送された時に「家族の連絡先は?」って聞かれて「家族1人もいなくて……」って嘘つく地獄。保証人用意できない地獄。理解のない他人から心ない「え、でも自分で選んだんでしょ?笑」「甘えんな」を浴びせられる地獄。お金なさすぎて月の食費最低記録3000円地獄。電気ガススマホネット止まってた地獄。)
親は話通じないし怒鳴るし殴るけど教員は怒鳴らず殴らず根拠を述べて論述すると話聞いてくれる上に評価してくれるからうれしい!
学べば学ぶほど世界の解像度が上がってたのしい!
大学っていいなぁ!24年3月卒業見込み。
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正確に言えば、彼だけでなく「人(大多数)と違う道を選ぶ」人なら誰もが多かれ少なかれ共感できるであろう感情なのだが、偶然見つけたツイートをきっかけに手にとった写真集を通じて帰着するというこの一連の流れはあまりにもドラマティックなのだ。
曲がり角で衝突するパン食いJKと転校生のような、「事故」としか形容しようがない出会い方とハマり方をしてしまったと、ボロボロと泣きながら考えた。このころにはオタクはすっかり石谷春貴その人のファンになっていた。
かくして私は10年ぶりに推せる生身の人間を見つけるに至った。
「石谷春貴はいいぞ」
自分の人生に不満があるのならいくらでも努力して変えてやる、
と口にするのは簡単だが、彼はそれを地でゆく人だ。
有名なキャラクターに起用されて仕事が安定した今もそれは変わらないらしく、ファンとして、また地獄を生きる1人としてこれほど勇気をもらえることはない。
ちなみに件の写真集のインタビューを読んだあと居ても立ってもいられずニコニコChに入会し番組にお便りを送ったら普通に読んでもらえて「石谷春貴って実在するんだ……」と人間初心者並みの感想を漏らすなどした。
放送は毎回視聴者の悩みや相談に乗ったり、体をほぐすストレッチを一緒にやったり、といった構成だが、本人の人生経験から導き出されるアドバイスがなかなかに芯を食っている上、真剣に相談に乗ってくれるあまり相談室か懺悔室のような雰囲気を呈していてシンプルに見応えがある。(若い人がノリで喋るようすが苦手な人の感想)
また、彼自身健康に気を遣っているため、運動・ダイエット・健康分野の質問への返しは特にキレがあり、なんなら健康番組を名乗っても通用しそうな勢いである。
苦労話を読んだ後オタク特有の「ウッ……幸せになって……美味しいものいっぱい食べてくれ……」の感情で放送を見るときんに君リスペクトVtuber好きのすこぶる健やかな30歳が見れるので安心感がすごい(?)お得(?)
(なんならオタクが願うまでもなく本人のインスタで食べたことある美味しいものをいっぱい紹介してる)
以下にChリンクを貼っておくので気になる方は放送の前半部分(誰でも無料で視聴できる)だけでもチェックしてみてほしい。(※100回の放送をもって2022年12月22日に終了しました)
音泉でラジオもやってる。
こっちは構成作家の思惑に抗いながらも飲まれていく様子を観測できる。
石谷春貴はいいぞ。
おわりに
この6月、私は10年ぶりに生身の人間にハマ(事故)って大いに混乱し、仲の良いフォロワー複数人に石谷さんの話を聞いてもらっていた。
それはもう連日のように聞いてもらった。話すことで落ち着きたかったし、生身の人間から得られる情報量の多さとそれが全て現実に存在する事物だということに若干パニックを起こしていたので半ば助けを求めていた。
が、フォロワーはみんな一様に「楽しそうで何より」「狂ってる深山さん見てるのほんと面白い」とニコニコするばかりだった。
このnoteを書いたのも、未だ収まらない混乱を言語化することで整理したかったからだ。
そしてあわよくば誰かがこれを目にして推しに興味を持って欲しい、それが巡り巡って本人の利益になるのならファン冥利に尽きるというものだ。
生まれた環境のせいで何かを諦めたくなくて頑張っている、嵐のような日々の真っ只中で勇気づけてもらえた、その上残りの20代の使い方について考える機会を作ってくれた存在を、1人でも多くの人に知ってほしいと思った。
ついでに彼に救われた人がいることも知ってもらえたら、という目論見だ。
実在する人間が推し、という感覚にはまだまだ慣れないが、とりあえず推しみたいなかっこいい30歳になることを目標に生きたい。
そしていつか自分の抱えているあれこれをすべて解決したら「あなたのおかげで頑張れました」とお礼の手紙の一つでも送りたい。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
推しとあなたに幸あれ。
【2022年6月29日 追記】
公開以降このnoteの内容に関して、予想だにしないほど様々な方から感想やねぎらいのお言葉をいただきました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。
長い間自分の意見を取り合ってもらえなかったり、抑圧されて本音を言えない環境にいたので、このように長い長い自分語り+推し語りを読んでいただいた上
ポジティブな感想までいただけることに大変驚き、また嬉しい気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
○参考文献
田中賢一(2022) . 『石谷春貴1st写真集 ひととき』 . 株式会社東京ニュース通信社
【通常版】
【Amazon限定表紙版】
おわり