夏の好きなところの話
夏の話がしたすぎて「夏の好きなところ」を募集したところ、沢山の方が教えてくださいました!皆さま、ありがとうございました!
ひとつずつ読ませていただき、お返事をさせていただきたいと思います。夏って良いですよね、本当に。
呼びかけたところ、沢山の方々が教えてくださって、とても嬉しかったです。本当にありがとうございました、私の中ではもう夏が来ました。
聞いてばかりはいけないので、わたしも「夏の好きなところ」を書きたいと思います。と言っても皆さまとなんら変わりがないかも知れません。
結論から言えば「全てが好き」です。
まずは、青い空です。目がじりじりしてくるような濃い青に「夏」を叩きつけられるのが好きです。
それからなんといっても、大きなもくもく雲は外せませんね。どう見ても奥行きがあるあの白くて大きい大きい入道雲を見ると「うわあ夏だ……」となります。実はまだ春なんですよ、と言われてもいやいやいや…絶対夏だろあの雲は…と思ってしまうくらい雲の存在は大きいです。
蝉の声は絶対聞きたいです。
アブラゼミの声は暑さの追い風でもあり、夏特有の圧倒的な空気をギュッと締めてくれます。
ヒグラシはそれとは正反対で、夕方に聞いたものなら溶けます。一日の終わりそのものを強く感じて、切なくなります。また「たった今、私も夏なんじゃないか?」とわけわからんことが浮かびます。
夏の夜、虫の声やカエルの声を聴くと「ひとりじゃないな」と思わせてくれます。
でも1人外に出て、夜空を見上げると凄く「自分の内側」に入り込む感覚がして自分がひとりでちっぽけであることが浮かびます。
それは全く寂しくなくて、自分自身とふたりでいるような、自分とのふたりの時間を過ごせているような気分になります。自分の五感に集中しているからかも知れません。
それから単純に「寒くないってこんなに幸せなんだ」と思わせてくれます。
夏というだけでご機嫌になり始めたのは、大人になってからなのですが原因やきっかけは全く分かりません。ある時「夏って最高!?!?」という感情が生まれてそれっきりです。
毎年、落ち込みきった「冬ごめんなさい人間」から五感に感謝の「夏ありがとう人間」に変貌することができます。
夏の夕方の切なさってすごく不思議ですよね。一日が終わることにいちばん敏感になる季節のように思います。
でも実は、自分の感じている切なさは厳密に言えば、「終わってしまう切なさ」ではないような気がしています。
「切ない夏が来る」でもなければ「冬が来てしまう切なさ」でもなくて、抱えきれない「あふれてしまう・こぼれてしまう切なさ」がそこにあるような気がしました。
全部受け止めたいけど、体ひとつ分の五感じゃ全然足りない。見たり聴いたりを目一杯、一所懸命しているはずなのに、その殆どを自分の中に留めておくことが出来ない。夏が終わったあとに思い出して、暑かったとか、梅雨がどうだったとか、夕方やっぱり良かったなあとか思うことは出来るんですけど、本当は言葉にならない瞬間ばかりがそこに在ったはずなんですよね。そんな言うほど、全部をずっと覚えてはいられないんです。
肌で感じた風や耳で聴いた音、目で見つめた光のグラデーションなんかは一切残らなくて。動画で残しておいた「耳で聴いた音」だけを聴いても、写真で撮っていた空の色を眺めても、そこに居た頃の私はもう自分の中には居ないんですよね……。
「肌で風を感じつつ耳で音を聞きながら、目で見つめた光のグラデーション」を感じられるのは動画でも写真でも記憶でもなくて、次の年の夏のみなんです。
だから、次の年の夏が物凄く待ち遠しくなるんだなと思います。
そう思うと、私は夏に生かされているなと改めて強く感じます。
正直、論理的に考えれば夏だけの現象ではなくて、他の季節でも同じですよね。
私の場合は「今この瞬間」を強く意識させてくれる一つが「夏」らしいです。
これを書いていて、一所懸命生きることが出来る夏が、きっといつまでも好きなんだろうし、次の夏をいつまでも見据えていられるように元気でいないとなと思えました。
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