「正しい問い」が無ければ「正しい答え」が導き出せないという話
「誤った問い」とは何か??
最近、若手のメンバーから「誤った問い」を受けることによって、コミュニケーションロスが起きる機会が多かったため、簡単に記載してみた。
「誤った問い」とは「正しい答え」に至ることができない、もしくは、至るまでに遠回りをしていることである。
日常のコミュニケーションで感じることは少ないが、こと業務に於いては致命的なロスとなり得る。
「問いの正否」については本人にとっては気づかないケースが多いため、場合によっては、誰にも指摘されずに「間違った問い」をし続けてしまっている人も多いように感じる。
「誤った問い」の事例
例えば、下記のような問いは正しいだろうか??
「〇〇さんは、明日の13:00からスケジュール空いていますか??」
この質問について私は YES or NO の二択を迫られているので、YES(もしくはNO)と答えるか、「何故、その質問をしたのか??」を逆に問いかけなければいけない。
「問い」には下記の二種類がある。
オープン・クエスチョン
「どう思うか??」などのように答えに制約が無い問い
クローズクエスチョン
「YESかNOか??」のように答えの選択肢が制限された問い
状況によってこれらを使い分けなければいけないが、これは意識的に訓練しなければなかなか難しい。
「正しい問い」に至るために必要なこと
相手から「正しい答え」を引き出すためには、「正しい問い」の設計が必要である。
やや逆説的ではあるが、「正しい問い」無くして「正しい答え」が無いのと同様に、「正しい答え」無くして「正しい問い」に至ることはできないのである。
「正しい問い」に至るためには、下記の整理が必要である。
・ 自分が知りたいことは何か??
・ 相手が認識・把握していることは何か??
・ 「問い」に対して相手はどのような反応をしそうか??
「問い」を投げかけることは、キャッチボールと同様に相手によって受け取り方や反応が千差万別である。
相手の反応を見ながらより良い「問い」は何だったのかを振り返りながら磨きをかけていく必要がある。
「問い」の設計が甘くても良いケース
下記のように問いについて厳密に考えなくても良いケースがある。
・ 両者に暗黙の共通理解がある
・ 「正しい答え」を引き出すことが目的ではない (コミュニケーションなど)
前者の場合は、特に前提条件等を伝えなくても、「正しい問い」について察して補正した上で、返答してもらえるケースである。一緒にいる時間が長く、お互いの理解が十分にある場合はこのケースでも上手くいく。
後者の場合は、日常のコミュニケーションや営業時のアイスブレイク等である。これらは何か明確な答えを引き出すことを目的としていない。「問い」の正しさの是非について日常会話で持ち出しすぎるとサイコパス扱いされるので注意するべきである。
「玉子焼き理論」とは??
「誤った問い」について気付いていない若手のメンバーに対して、私が提唱しているのが「玉子焼き理論」である。
これは、「あなたは玉子焼きを食べますか??」という「問い」の是非を問うものである。
この「問い」には「何故、その質問をするのか??」 「いつの話をしているのか??」・・・等々の前提がすっぽりと抜け落ちている。
例えば、上記のような「問い」をしていても本当に知りたい「答え」は「あなたが今日の夜ご飯に何を食べるか??」だったりするのである。
「正しい問い」はアートである
「正しき問い」は「正しき答え」を引き出す。それは本来、「問い」の投げてにとっても受けてにとってもWin-Winであり、非常に有意義な行為である。
そして、より「美しい問い」にはより「美しい答え」が宿るのである。