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エンフェアウェルの記憶

夜な夜な文を書くことが癖になってきたとみーです。以前に書いたエン企画の記事を出した時、それより過去に参加したものについても記事はありますか?とTwitterにマシュマロを送ってくださった方がいました。もちろん当時はnoteを書く習慣なんてなかったのですが、私がエンさんの世界を好きになって間もない頃の、今でも色濃く残る企画展でしたので、少し思い出してみようと思えました。かなり断片的な記憶を少ない写真を頼りに。時差投稿ですが、記します。
あくまで私が受け取った記憶です。

斎藤エン様、勝手に記事にすることをお許しください!

ちなみに前回の記事はこちら↓

(この時、エン企画の記事書くの初めてだからめちゃくちゃ前置き長くてすごく商業的な感じに書いちゃったのもっと上手いこといかんかったかなって反省してます・・・!もっと品のある記事書けたのでは・・・?あとエンさんへのお礼を書くのを忘れて後から書き足したりしてますとかなんとか長い言い訳はさておき。)

エンフェアウェルは
farewell=さようなら、お別れ
の意味が込められた作品。
もちろん私たちも参列者です。
ドレスコードは黒。

故人がどんな人だったのか、私たちには、参列者の姿や言葉でしか知る術はありません。

エンフェアウェルはインスタが存在します。人物の紹介など載っているのでぜひ。

当時、エン企画への初めての参加で、あまりの緊張にカメラすら持ち込めずスマホで写真を撮りました。下手くそだし。枚数も無いので、許してね。あとずーっとアプリで撮っていたみたいでロゴが入っているけどお許しください・・・。金土日と3日間あるうちの最終日だったかな?で大変混み合っていたのですが、名残惜しくてなかなか帰れなかったのを覚えています。

故人の眠る棺桶と、

人間なので忘れていることもありますが、思い出しながら書きます。人によって感じ方も違うでしょう。

会場は2階建。1階は写真の展示と販売スペースで、オリジナルカクテルも振る舞われていました。お目当てのキャストさんとお話できるのもここです。2階は完全にインスタレーション。無声劇が繰り広げられ、キャストさんは役として生きています。

わたしが到着した時間、“弟”がちょうどバレエを踊っていました。
それをブルーの目をした姉が見つめていました。
弟のバレエは情熱的で、それが故人に向けたものなのか、果たして

弟くんのお写真はこれだけ・・・

あとは当日いただいた写真をお裾分け。

私の手元に残るもの

形として残るって素敵ですね。

かわいい少年の素性は分からない。

君は誰?
寄り添うハウスメイド

ハウスメイドが面倒を見てくれていたようだけれど、誰だったんだろう。
分からないけれどそういえば、参列者の中には一人、見知った人を見つけたようだったかな。

容姿の整った双子もいた。

何を話しているのか

故人はどんな人だったろう。丘の上の洋館に住んでいたらしい。

妙に悲しむレディがいたよ

隣にいるのは?

顔に傷を負った青年が傍に。彼は“庭師"だそうだ。
関係はわからない。今振り返ると、それぞれに負った傷を埋め合っているようにも見えた。

私の目によく止まったのはバトラー。

靴を磨いていた。

一挙手一投足が美しくて目で追ってしまった。胸元のブローチは認められた証なんだって。ハウスメイドも同じものをつけていた。

そして、弟のバレエを見ていた、

“Sister”

姉の心がどこにあるかは分からなかった。

1階に降りて、あまりの人の多さに、エンさんにも話しかけられず、それでも胸がいっぱいになったから帰ろうと思ってドアに向かった時、

「帰られるんですか?」

綺麗な水色の瞳に見つめられて、「はい」と小さく答えたのを覚えています。その節はありがとう。


それぞれに故人への想いを抱えて集まる参列者たち。
その胸にあるものは一つではなく、それぞれの人間模様も色濃く。

故人はこの参列者たちに、何か集う理由を与えたくて自ら消え去ったのではないか、とさえ思うほどに。

お別れできたのかな?

さて、この辺で終わりにします。わたし自身もこの記憶を辿れてよかったです。
深夜に辿った記憶の世界にあてられておかしな語り口調だったかもしれませんが、ご愛嬌で。

この機会をくれたマロ主さん、時間が経ってしまったけど読んでくれるかな?ありがとうございます!

そして斎藤エンさん、唯一無二の扉を何度も開いてくださりありがとうごさいます。

読んでくださったあなたも、ありがとうございました!

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