タイトル未定
ひりひりとひとりを見た時に書いた、どうしようもない私の感想が今でも私そのものだと思う。
賢のどうしようもない春男への憧れ、羨望の目。
否、私は賢以下である。
賢はそれでも努力して春男の元に居続ける。春男の存在を、自分の劣等感と戦うためのストーリーとして人生の中に捩じ込み、親友として戦う戦友として受け入れ、自分の人生をものとしている。
私はどうだ。
努力する才能や持って生まれた人生の厚さや魅力に羨望の思いを抱きながら、そこに負けないようにと努力をしてきたか。
一人暮らしの部屋を決める時も、進路を決める時も、自分の力を発揮しようとしたか。
暖かく差し伸べられる手に甘え、気が付いたら道が用意されていて、その上を歩いたほうが楽だとろくに考えずに進んで、進んだ道に後から後悔する。
この前、私の友人別れた男とやってること変わらないな。恥ずかしい。
私は人に恵まれてきた。ダメな私を、私よりも大変なところで頑張っている人がなぜか助けてくれて、ここまでやってこれた。
それで羨ましがる資格なんてない。私は同等の努力も決断も研究もしていない。
そんなことを最近ずっと考えている。
そして私が出来なかったことを寝ている間に夢に見ては、朝起きて絶望して、
現実で実際に「頑張っている」人の話を聞いてはあの人のようにはなれないと嘆き、努力をするキャラクターを好きになってあの人に憧れると言う。嘘をつけ。少しも憧れてなんかいない。憧れているのならばその人に近づこうと頑張れ。
そんなことばっかりだ。
ただ唯一、自慢できることといえば、私の周りの人はとても優しいのだ。
その人たちの優しさに甘えてばかりではいけない。優しい人たちが私のために苦労した分を、返さねばならないのだ。
言葉にすれば容易いが、本当に難しい。
人は変わるのが難しい。
では、今から私ができる、何か違う形で出来ることはないか。
後先考えず、周りの人のことも何も考えず全て投げ出す勇気は無い。そうするには遅すぎる。
せめて、
選択を間違えたのならば、間違えた道の上から、手を伸ばせるものに手を伸ばすこと。周りの支えてくれている人の気持ちを裏切らず、自分のやりたいことに、少しでも近づく努力をすること。
間違えた道を好きになること。間違えたなりに程々に頑張って、好きになって、そこに関わる時間を無駄だと思わないようになること。
できるだろうか。キャラクターに憧れて、それを大事に保存する袋ばかり探している。
キャラクターになる覚悟はあるか。
P.S.
とかなんとかやさぐれたことを考えているままコブクロリーディングミュージカルを観劇。あれよあれよと力をもらい、とにかく生きることにするのであった。