歳差運動3-⑧
ひとりひとりの授業例を聞いていたら不思議に新鮮な気分になった。
俺は週にたった1時間しかない道徳の時間が来るととても気分が悪くなる。道徳の授業なんて自分の人生観をぶつけていけばいいなどと高をくくっていたが、実のところはその時間を軽視していたのだった。嫌な気分になるのはおそらく不安から来るのだろう。指導書とか事例集とかマニュアル本はたくさんあるが、それを読んでみても実際どのように教えていいのかわからない。授業が終わると必ずや嫌悪感に襲われる。教室にいる子どもの5,6倍も長生きしてきたことをいいことに、ただ自分の人生訓を垂れ流すだけの指導しかしてこなかったのだ。
それがこの若者たちは俺と違って一生懸命やっている。 授業づくりの参考にと保護者や児童にアンケート調査をしているとか、卒業生の著名なアスリートを特別講師として招いたとか、劇を採り入れてシナリオづくりをさせたとか…彼らなりに必死でやっているのが切実に伝わってくる。指導書にある手引き通りになんか授業が進まないことをみんなわかっているから……だからもがき苦しんでいる。でも彼らはそこから逃げてはいない。
俺は恥ずかしくなった…
肩身の狭くなった俺は、生き生きと語る若者たちとは対照的に意気消沈しぐうの音も出ない。
さて、どうする種田クン! 君は司会者だよ…
さっきの元気はどうした?
若者たちにいい影響を与えるのではないのか?
しばし思案の果てに…
「みなさん、ありがとうございました。残りの時間を考えると、最後のテーマになると思います…ちょっと難しい質問かも知れませんが……道徳の授業をする前に皆さんが心がけていることって何でしょうか?根本的なことだと思いますが、あまり難しく考えないで、自由な意見を聞かせてください」
説明が足りなかったかなと思ったが、かえってその方が話しやすいと思い直し、口を挟もうとしたのをやめた。それにこのテーマをどのように捉えたのかも知りたかった。根本的と言ったが、捉えようによっては漠然とした大きなテーマにも感じられる。
……子どもたちの意見は肯定的に採り上げるとか、子どもたちの考えを多面的に理解するのに作文に書かせているとか、ねらいとする価値にふさわしい資料かどうかよく吟味しているとか、自分の考えを押しつけないように心がけているとか……
いろいろな話が出たが、これらは全て技術的なことなんだろうと思った。
次は自分の番だ。 若干心拍数が上がったのを自覚した。
~続く