ヤラセとは

某キー局の某番組がヤラセで終了してからもう一年以上経ったのか、よく覚えてはいないけれど、あそこからテレビ業界では、どごまでがヤラセなのかが話題になることが多くなった。

事前に動物をバラまいて、確保しやすくした、ないお祭りを作った、ピッチャーの球のスピードを上げたなどなど。

一回のヤラセでひとつの番組が終了する。そこで思うのがヤラセって何がどーいけなくて、そもそもそのリスクを犯してまでやる必要があるのか?

まずヤラセのダメな理由はシンプル。嘘だから。嘘を実話かのようにしてしまうから。だけど、テレビにおいて全てウソがダメというわけではない、例えば田舎へ泊まろう的な企画で触れ合ったご老人にお若いですね!と声をかける、本当は全然若々しくなかったとしても、これはOKなウソ。相手と気持ちよくコミュニケーションをとるための嘘だから。
芸人さんがリアクション芸で、そこまで熱くない風呂であつがる、これもOKなウソ。なぜなら誰も傷つけてないから。

では、街頭インタビューで、例えば今、話題のスポットに、常連客に話を聞いた!というテイで、俳優に、こちらが欲しい意見をのべてもらう。これはダメなウソ。なぜダメなのか?その偽物の常連客が、語った魅力に感化され、そこへ足を運ぶ人がいて、その人たちがそのニセ常連客が語った魅力を感じない可能性があるから。これは、ちょっとした詐欺。これは、冒頭かいた、祭りを作ること、いない動物をはなつことと一緒。コレらはみな、リアル風コント。リアル風コントですとうたえば、セーフだけど、リアル風コントに誰も興味がないので、本来あるもの、本来の意見、本来の収穫かのように表現する。
ちなみに、このリアル風コントは、CMという明らかに企業がお金を払って宣伝しますよ!という分かり切った枠組みなら話はべつ。

では、街頭インタビューで、そこにきたお客さんに話をきき、撮りたいコメントが出なかった時、例えばこういう魅力って感じませんでした?と聞いて、向こうが確かに、こんなところがよくて、最高でした!と言ってくれた時に、そしたらごめんなさい、今のコメント良かったので使いたいと思ってて、ただ僕からきっかけで話が始まってしまったので、〇〇が最高でした!ってコメントを言ってもらえますか?とお願いして、相手がいいよ!と言った場合、
これは、ヤラセをしているけれども、その人が本心で思ったことを使っているので、制作者側のボクからするとOKだと思っている、嘘はついてないし、誰もそれで傷つかない。ただ、ここでのリスクはこのやりとりを近くで誰かが見てたとした時に、ヤラセと言われた時に、ヤラセじゃないとは、言い切れない。なぜならこっちが、意図的にコメントをヤラセているから。

そんなこと言われたらもう何も作れないよ、というのが制作側のよくある意見。

ただ、ヤラセがないと本当になにも作れないのか。その〇〇が最高でした!ってコメントがないと成立しないのか?それによって視聴率は変わるのか?

まず、構成上必要なら、実はここ〇〇が魅力!って振ってから、そのあとのコメントを使えば成立する。ただ、〇〇が最高でしたってコメントがあった方がテレビVTRとして美しいというだけ。ただ、この美しさは、テレビを見てる人には、なにも関係ない。これを作って満足してるのは制作者側だけ。謎のプロ意識。この謎のプロ意識を根強く持っているのが現場に出ないタイプの総合演出、もうながらく、ロケに出ておらず現場の感覚も鈍くなり、このコメントいう人いませんでした、という報告を受けたら、だったら撮ってこいよ!と返すだけ。言われた方は期日までに撮ってこないといけないというプレッシャーから、あの手この手でヤラセを敢行する。この悪習の末路が、密着相手に内緒で動物を配置する。
現場のディレクターは決められた期日、予算の中である一定以上のクオリティのものをあげなければならない。それができなければ、罵倒され、職を失う。だから、ヤラセをする。
悲しい現実。
ただ、これをバレずにうまくやるのが腕のいいディレクターという価値観の人たちもいる。リアル風コントの名手であればあるほど、実力者ぶれる。で、ここからは、完全にボクの私見でしかないが、
リアル風コントを上手く作れることほどかっこ悪いことはない、それは、面白いコントを描く才能がないからリアル風コントで嘘ついてでも、笑わせたり感動させたりしようとしてます!ってことだから。ヤラセして、虚構で、勝負したいなら、完全フィクションの作り物の世界で勝負しろよ!と思う。ヤラセ自慢は愚の骨頂、才能ないですをひけらかしてるだけ。

では、現場に発注する側のトップで、くそな総合演出のあるある。撮れませんでしたじゃなくて、撮ってこいよというやつ。完全に二流。撮ってこれないディレクターをそこへ、派遣してたとしたらそのDにその仕事を任せてるそいつの責任だし、信頼してるDをいかせて、それが出来てないのなら、それは、そもそもこの期間、この予算でやるのに無理があったと諦めて、どうすればよりクオリティが上がるかを考える人の方が人間的にステージが上だと思う。

ただ、この悪習は、根本のシステムを変えないとなくならないと思う。総合演出がいて、その下に演出がいて、その下に何人もディレクターがいるというこの組織の構図が、よくなくて、その総合演出というハイパーメディアクリエイターの日本語版みたいな、謎の肩書をすて、週一のオンエアーを演出家と少人数のディレクターで、突き詰めて作るYouTubeのチームの作り方をした方が今の時代健全なものが作れる思うし、総合演出3本やってますと、かっこつけるのをやめ、一本の番組に心血を注ぎ、自分のために頑張って働いてくれる仲間を敬うスタイルに変えていかないと、広告費がどんどん減り制作費がなくなる地上波の番組は破綻していくのではないかと思う。

つまるところヤラセの根元は総合演出というシステムかなと勝手に思ってますー!

ちなみにボクのYouTubeは、ヤラセはしないし、ヤラセするしても、そのときは、ヤラセをお願いするところも、全部使います!そうすれば、ヤラセからお願いに変わるから!

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