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「薄い拒絶感」が形になっている気がする「回収ボックス」を見て、ゴミのことを考えた。

 街からゴミ箱がなくなっていった。

 最初はテロ対策で、非常時対応といったことが言われていたはずだけど、それはゴミ箱にからんだ実際のそうした事件がなくても、そのまま非常時が日常になっていったように思えていた。


「薄い拒絶感」

 そういう基準があいまいなまま、説明もなしに、変化していくのはあまりいいことではないと感じていた。

 だけど、そんな個人的な気持ちとは全く関係なく、あちこちからゴミ箱がとにかくなくなっていって、だから、外出先でゴミが出ても、どこにも捨てられない気持ちになる。

 そのうちに、それまで、それでも透明なビニールにするなどして、駅には比較的あったゴミ箱もなくなっていった。

 さらには、ペットボトルや空き缶を回収するボックスまでが減ってきた上に、そこには金属のフタが設置されるようになった。

 それは、ぱっと見には、もしかしたら捨ててはいけない場所なのか、と思ってしまうし、そのふたを片手で持ち上げて、残った片手でペットボトルを入れなくてはいけない手間もかかるし、そのふたは見た目以上に重かった。

 そのウエルカムな気配からは遠いシステムには、「薄い拒絶感」まであった。

 それは、考えすぎかもしれないけれど、なるべくなら入れてほしくない、といったメッセージがかたちになったように思えた。

なくなっていくゴミ箱

 2000年代に入って、ゴミ箱がなくなっていった印象もあったのだけど、どうやら鉄道各社のほとんどがゴミ箱を撤去したのは、2020年代なので、ここ数年で一挙に姿を消していったことになる。

 鉄道の駅からごみ箱が姿を消している。以前からテロ対策で封鎖や撤去が求められることが多かった上、家庭ごみを持ち込むなどマナー違反が後を絶たないためだ。コロナ禍で使用済みマスクが捨てられる衛生上の問題で撤去の動きが広がり、首都圏の主要な11事業者のうち、ごみ箱が残るのはJR東日本のみとなっている。

(『読売新聞』より)

 そんなに減っているのか、というのと、一社だけとはいえ、まだゴミ箱を設置している会社があったのか、という意外さの両方の気持ちがある。

 大阪公立大の水谷聡准教授(廃棄物管理工学)は「ごみ処理にはコストがかかる以上、ごみ箱の撤去はやむを得ない面がある」としつつ、「一部のマナーの悪い人のために、多くの人が不便を被る。撤去して解決ではなく、ごみを誰が引き受けるのか、そのコストをどう賄うのかといった議論が必要だ」と指摘する。

(『読売新聞』より)

 そうした議論がされた記憶もないまま、ただゴミ箱が減っていく。

 その変化に対して、一時期は、携帯もスマホも持たないので、ホームに設置された公衆電話を使うたびに、その周囲にビールや焼酎の空き缶が、電話の周囲だけではなく、その上にまで置かれていたことがあって、ちょっと嫌な気持ちはしていた。

 そうしたこととは関係ないように、とにかく公衆電話は減っていき、ホームで見かけることもなくなり、同時に、これだけゴミ箱がなくなっていくのに、車内で空のペットボトルが転がっていることはたまにあっても、ほとんどゴミのポイ捨ては見当たらない。

 それは、かなり不思議な気持ちにもなる。

ゴミのポイ捨てが少ない理由

 日本の路上には、ごみが少ないです。海外の方々が驚く点でもあり、日本人が世界に自慢できる事でもあります。なぜ世界的な視点で見ても、日本の路上にはごみがあまり落ちていないのか、それには主に2つの理由が挙げられます。最初の理由ですが、日本人の持つマナー意識が高い点です。ごみのポイ捨てに限らず、日本人は公共の場でのマナー意識が全体的に高いです。

 ごみのポイ捨てが格好悪い事、という意識が世代にかかわらず、根付いています。若い世代の間でも、路上に食べ物のクズやペットボトルを捨てる事は、ただただ格好悪い事だとする意識が根付いており、もしも街でポイ捨てをしたら、どんな相手でもしっかりと批判する、そんなマナー意識を国民全体で持ち合わせています。

 さらにポイ捨てされたごみは見つけた人が、なんの見返りも期待せずに拾って持ち帰る、そんな美徳も日本人の間で根付いています。

(『ごみメソッド』より)

 こうした見方をする人がいて、それはある程度以上の説得力もある。

 ただ、昭和の頃、電車の駅のホームで、大勢のサラリーマンがタバコを吸って、しかも吸い終わったら、線路に向かって、ポイ捨てする姿が当たり前のようにあったし、飲み終わった缶コーヒーなどを道路に捨てたりするのも自然だったから、元々のマナー意識が高い国民性とは思えない。

 いつから、これだけポイ捨てが減ったのだろうか、と思っていた。

 それは、確かに駅の光景だけを見ても、明らかに清潔になっているし、ゴミのポイ捨ても昭和の頃と比べたら少ないと思う。だから、ゴミ箱がこれだけ減っても対応できるのだろうかとも思っていた。

 ただ、これは考えすぎかもしれないけれど、今の時代に露骨なポイ捨てを、公共の場所で行えば、動画で撮影されて、それをインターネット上で拡散されるリスクがあるのでは、とスマホを持っていない私のような人間すら思うし、何より、「人の目」がある場所では、ポイ捨てが少ないのかもしれない、と思った。

 日本は相互監視社会とも言われていたのだけど、それが本当だったんだと思えたのが、コロナ禍が始まった頃だった。

 自粛警察、と言われるような存在が本当にいることがわかった。

 こうしたことがわかれば、「人の目」がある場所では、怖くてポイ捨てもできにくいのではないだろうか、とも思う。

旅の恥はかき捨て

 「人の目」がないところでの振る舞いに関しては、昔から「旅の恥はかき捨て」という言葉があった。

「日本人のマナーは世界一」という話が触れ回られるようになったのは、実はこの20年程度の比較的新しい話である。それまでは観光地でバカ騒ぎをして、ゴミをポイ捨てするといえば、日本人の定番だったのだ。

 どこへ行っても大声でバカ騒ぎをして、地元住民を悩ました。教会や聖なる場所にもズカズカと土足で踏み入って、「ハイ、チーズ」とバシャバシャ写真を撮って、ゴミをポイ捨てして帰っていく。その傍若無人な振る舞いは、1987年の米タイムス誌に、「世界の観光地を荒らすバーバリアン(野蛮人)」なんて特集されるほどだった。

 「それは今の中国人観光客と同じで急速な経済成長で、まだ国際感覚が追いついていなかったから」と言い訳をする人も多いが、そういう表面的な話ではなく、100年以上前から確認されている、伝統的な日本人の「旅先での振る舞い方」なのだ。

 例えば、1899年(明治32年)から1914年(大正3年)まで中国・長江に滞在していた帝国海軍・桂頼三は『長江十年:支那物語』のなかで、国際都市・上海を訪れた日本人たちが河原で「日本式花見」を催した時について触れている。

 「飲む、食ふ、歌ふ、三昧や太鼓の楽隊入りの大騒ぎ、果ては踊る、舞ふ、跳る」という「乱痴気」や、「狂ひ廻はる有様」を見た外国人が珍しそうに眺めていて、「赤面の至り」だったと記述している。

 100年以上前から日本人は「旅の恥はかき捨て」と言わんばかりに観光地でハメを外してきたのだ。

(『DIAMOND online』より)

 そして、この記事は、「日本人のマナーは世界一」などと言われるようになった後の、2022年の5月の連休後の記事で、全国の観光地でのマナーの悪さをテーマにしているのだった。

 3年ぶりの「行動制限なし」の大型連休に浮かれるあまり、「モラルの制限」までなくなった人が続出している。全国の観光地で「ポイ捨て」どころではない、ゴミの不法投棄被害が問題になっているのだ。

 例えば、日本テレビが5月9日、神奈川県の海岸で清掃活動を同行取材したところ、バーベキュー食材などのゴミが山積みになっているのは毎度のこととして、なんと「バーベキューコンロ」までが放置されていたのだ。アウトドアブームもあって、ホームセンターやネットで手頃なものは2000円程度で購入できるので、「使い捨て」にしているのだ。このようなコンロの不法投棄は、コロナ禍で飲食店が休業してバーベキュー人気が高まった時期から、全国各地の河原やビーチで急速に増えているという。

 また、同様の問題はキャンプ場でも多発している。

(『DIAMOND online』より)

 さらに、この記事では、「旅の恥のかき捨て」について、このように分析している。

「自分が周囲にどう見られているか」を過度に気にする日本人は、自分の生活圏ではあまり悪さをしない。家の前で、ゴミの不法投棄をしたり、バーベキューコンロを道路に放置すれば、「あそこの家はヤバい」と白い目で見られてしまう。「周囲の目」が抑止力になっているのだ。
 しかし、ひとたび生活圏から離れた海外や観光地に行くと、その抑止力が一気にパアになってしまう。周囲は知らない人ばかりだし、ヘタすれば二度と訪れないので、心おきなくゴミもポイ捨てできるし、バーベキューコンロの不法投棄もできる。酔っ払って人の家の前で吐くこともできる。
 普段は「周囲の目」を気にしながらビクビク生きているので、そこから解放されると反動で急に気が大きくなって、「旅の恥はかき捨て」のフィーバー状態に陥ってしまうのである。

(『DIAMOND online』より)

 この記事が書かれた時期は、コロナ禍で海外からの観光客が訪れていない頃だった。

 近年、外国人観光客が増えていたので、ゴミ問題など観光地のトラブルはすべて彼らのせいという風潮があった。それがコロナ禍で外国人観光客が消えてしまったことで、罪をなすりつける相手がないので、これまで目立たなかった日本人観光客の「悪行」が一気に表面化してきている。

 裏を返せば、外国人観光客の受け入れを再開したら、またこの問題は「マナーの悪い外国人が悪い」という話にすり替えてウヤムヤにされるということだ。

 そういう意味では今がチャンスだ。観光公害はマナーやモラル、そして民度などの精神論で解決できるものではない、という現実としっかり向き合う。そして、世界の観光地を見習って、有料化やペナルティなど観光客側にも一定の負担があるシステムを導入するのだ。

「日本人のマナーは世界一」なんて夢みたいなことを言っていないので、マナーの悪いお国柄ならではの、現実的な観光公害対策を考えていくべきだ。

(『DIAMOND online』より)

 この提案は、コロナ「5類移行」後の今も、それほど生かされていないまま、2022年頃から、鉄道各社からゴミ箱が消えていった。そして、ゴミの問題は、本質的には、ほとんど解決されていないようだ。

みんながしていること

 日本人はマナーがいいからゴミはポイ捨てしない。

 という見方がある一方で、

 日本人は「人の目」があるところではマナーがいいが、それがないところでは「旅の恥はかき捨て」になる。

 という視点もあった。

 個人的には、後者の視点の方により強い説得力を感じたが、そうなると、ホームでタバコを吸って、ポイ捨てする光景については、「人の目」があることを考えると、少し混乱するが、その現象も「みんながしていた」と考えれば、それほど不思議ではない。

 昭和の時代の駅のホームでは、タバコを吸って、線路に捨てる人が多かった。
 
 みんながしていれば、それが(本来は間違っていたとしても)「常識」になってしまうから、「人の目」は気にならない。隣の人も同じ行動をしているし、それに、通勤電車で一緒になる人は、別に知り合いでもなければ、同じ会社の人でもないことが多かったはずだ。

 もし、近所の知っている人が、同じ電車に乗って、同じような場所へ通勤していた場合は、もしかしたら、あの時代でも、タバコを吸ってポイ捨てをしていなかったのではないだろうか。

 もしくは、一緒にポイ捨てしていたかもしれない。(とも思ってしまうから、想像が徹底していないのだろう)

 21世紀の現在では駅のホームでタバコを吸う人はいなくなった。いたとしても喫煙所という定められた場所になる。

 それに、ゴミが出たとしても、ポイ捨てをしなくなったのは、周りの人たちが、そういうことをしなくなったから、自分もしない人が増えたのだろう。さらに、自粛警察に見られるように、人のマナーに対して注がれる視線は厳しくなっているので、それが抑止力になっているのだろう。もし、ポイ捨てする姿を、動画で撮影されてインターネット上に出回ってしまえば、それでこうむる被害はとんでもなく大きくなる。

 そう思えば、ゴミ箱がなくなっても、ポイ捨ては思った以上に増えないのも、理解できる。その上で「人の目」がないところでは、ポイ捨てが減らないのもわかるような気がする。

ゴミ処理システムの再構築

 でも、通常の生活で、駅にゴミ箱がないのは、やっぱり困る。

 海外から来た人だけではなくて、困っていても、あえて主張しない日本在住の人も思ったよりも多い気がする。

 だけど、ゴミ箱を設置し、溜まったゴミを速やかに回収し処理する。それを日常的に繰り返すことを考えたら、誰がそれをするかは問題になる。鉄道各社のスタッフがそれを行うとすれば負担が大きすぎるだろうし、街や観光地などでは、誰がその役割を担うのか、などと思えば、いったんなくなったゴミ箱は戻ってきそうにない。

 では、どうすればいいのか。

「旅の恥はかき捨て」の記事の中で、観光地の有料化という話が出ていた。富士登山に料金が掛かるようになったのは、直接のポイ捨て対策ではないかもしれないが、こうした問題に対する、一つの具体化かもしれない。

 でも、ゴミ箱の設置と、管理は、やはり会社を作って、その上で日常的な業務として行ってもらうしかないのだと思う。

 その資金をどこから集めるのか。

 飲料や、食物、ゴミになる包装物などがあるものに関して、最初から「ゴミ処理料」として、薄く広く、購入者に負担してもらい、その代わりに鉄道や屋外でのゴミ箱を復活させる。

 そのためにはゴミ処理会社のようなものが新しく必要になるが、そのことで雇用も創出できるのだし、最初にテロ対策として、ゴミ箱撤去を働きかけたのは、公的な機関であるのだから、ゴミ箱復活のために、そうしたマネージメントの後押しもすべきではないか、と思うは、無理があることだろうか。

 回収ボックスにさえ「薄い拒絶感」がある現代では、そのくらいのことをしていかないと、誰かの心がけや善意では変わっていかないと思う。

 何しろ、この記事のシリーズでも触れたけれど、私自身は、日本は「冷たい社会」だと思うからだ。






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おちまこと
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