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読書感想 『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』  「“教育”の怖さと凄さ」

 この作品は、読む前に抱いていた自分のイメージを完全に超えた。

 ラジオかどこかで、この本の評判を聞いた。
 子供の頃、教育を受けない過酷な環境で育った女性が、大学に入って、それまでの人生を変えた話であること。オバマ元・アメリカ大統領が絶賛したらしいこと。
 そんな話を断片的に聞き、勝手に頭の中で、ある種の「サクセスストーリー」を作り上げていた。
 タイトルと、表紙も、そのイメージを補強するものだった。

「エデュケーション 大学は私の人生を変えた」 タラ・ウェストーバー 著  村井理子 訳

 自分自身の無知もあり、まず、著者の育った環境が、イメージしにくいものだった。
 アメリカアイダホ州。山岳地帯が広がっている場所。

 それだけなら、広大な自然に囲まれたのどかな環境といってもいいのだけど、著者の両親は熱心なある宗教の信者で、さらにはサバイバリストだった。

 それは、基本的には自給自足であり、自分たち以外は、ほとんどが敵であり、だから、銃などの「軍備」も欠かさない生活になる。父親は、政府が、子供を学校を行かせるために攻めてくる、というストーリーの中で生きていて、それを家族にも強いている。

 仕事はスクラップ業で、大きく危険な機械を使っている上に、父親が、それほど慎重ではないこともあり、兄も、著者も、父親自身も、場合によっては命に関わるような大怪我や、大火傷を負う事故に、何度も遭遇する事になる。

 そのたびに、この家族は病院へ行かない。そこは、「敵」のいる場所だからだ。神が認めた方法ではないからだ。母親の手製のオイルだけで、あとは、とても強靭な自己治癒力で治っていったりするのだけど、それは、どこか信じられない光景でもある。

 ただ、当たり前だけど、生まれる環境は選べない。
 これが、1986年生まれの著者が経験していた、20世紀が終わる頃の光景とは、読んでいても、とても信じられないし、「エデュケーション」というタイトルだけには収まらない気がする。

 この著者の故郷の出来事は、不謹慎な例えかもしれないが、私にとっては「007シリーズ」か「ミッション・インポッシブル」と思った方が、イメージしやすかった。

大学という「異世界」

 こうした環境で育った人が、「大学」に来たら、そこは、それこそ「異世界」だったと思うし、他の「一般的な大学生」には、「特殊な人」に映っていたに違いない。

 当初は「ホロコースト」が何かを知らない人間だった。その後、「教科書を読む」という「常識」を教えられるようなところから、さらに勉強に励むと、著者の元々あった知的能力が、それにふさわしい場所を得たように、急激に「優秀」な実績を示し始める。

 そういう中で、ちょっとうらやましくなるのは、大学の教授たちのフェアな姿勢だ。「優れた知性」には、そこまでの経緯に関わらず、それにふさわしい対応をしようとしていることだ。

 たとえば、最初に通っていた大学では、それまで隠し気味だった、全く学校へ行っていなかった過去を伝えると、こんな言葉が返ってくる。

「君は自分自身を伸ばしてあげる必要があると思う。何が起きるか見てみよう」

 そこから、ケンブリッジという世界有数の学問の場所を勧められ、そこからも著者は基本的には、自力で道を切り開いていく。

学問という戦い

 実は、当初は、著者は音楽について学びたかったらしい。
 ただ、大学で学ぶ時間の中で、歴史学へ惹きつけられていく。
 それは、自分自身の「これまで」と切り離せない「学問」だったからだ。

 人間が過去について知ることには限界がある。それはこれからもずっと同じだ。歴史は常に、他人が語ったものにすぎないのだ。思い違いを正されることがどういうことなのかを、私はよく理解していた。  

 生まれ育った「世界」と、大学へ行ってからの「世界」のあまりにも違う「歴史」。それを体感しつつ、言葉として伝えられる人間は、考えたら、この著者以外には、いないのかもしれない。

 それからも、自分の深いところにあるものを切り離さず、それを生かし、そのことでオリジナルなテーマに命を吹き込んでいく。

 個人的な見方だけど、芸術の「世界」でも似たような印象がある。

 世界で戦うように作品を発表し、評価も上げてきたアーティストの村上隆は、作品を制作するときに、自分の深いところの必然性を引きずり出すようにしていかないと、とても戦える作品はできない、といったことを書いていたのを思い出す。


 同様に、学問というものもある種の戦いなのだ、といったことも、「エデュケーション」の著者は、分からせてくれた。そこで本当に戦えるようになるには、著者が、ローマに行った時に、突然自覚した、こんな感覚を持てないと不可能なのではないか、とも思えた。

 何が私を変えたのか、なぜ突然に過去の偉大なる思想家たちを崇拝するだけでなく、彼らと交わることができるようになったのか、私にもわからない。でも、歴史がちりばめられ、車のライトがきらめき、白い大理石と黒いアスファルトのあるこの町はこう教えてくれた。私は過去を敬うことができるが、過去によって沈黙させられる必要はないと。 

 そして、さまざまな苦難を乗り越え、著者しか書けないようなテーマの論文を仕上げた。それは「歴史学」という学問そのものに、おそらくは、新しい視点を加え、部分的とはいえ、質的な変化をさせるものらしい。それくらいでないと、ケンブリッジでの博士号は取得できないのかと思うと、「世界有数の大学」という言われ方は、やはり伊達ではない、と思った。

本来の「教育」の力

 この作品が、ノンフィクションであり、フィクションでないから、教育を受けられなかった女性が、ケンブリッジで博士号を取得した、というサクセス・ストーリーのまま、ただの分かりやすいハッピーエンドでは終わらない。

 その状況でも、両親は変わらないし、兄弟もそのままだった。そして、「愛情」や「愛着」や「恐怖」の感情に働きかけ、著者を再び「過去」に戻そうとし続ける。

 だけど、そこに対抗できたのは、やはり「教育」の力があったからだと思う。

 でも、それは、私自身が無知なのかもしれないが、今までイメージしていた「教育」という概念に収まるようなものでなく、もっと人を根本から変えてしまうような、恐ろしくも凄みがあるものでもあると、改めて思った。

 それは、例えば、ケンブリッジの教授が、こんな発言をするような場所が「教育」機関と、初めて言えるのではないか、というようなことにも、関係していると感じる。(引用文中の「金」は、ゴールドの意味です)。

「君は特別な明かりの下でだけ光る見せかけの金ではない。それは君のなかにずっといたんだ。ケンブリッジにではない。君のなかにだ。君は金だ。ブリガム・ヤング大学に戻ろうとも、君が生まれた山に戻ろうとも、君が変わることはない。周りの見方さえ変わるかもしれない。君自身の自分への視線も変えられるかもしれない---金でさえも光によっては輝きが鈍る---しかし、それこそが錯覚だ。そしてずっと錯覚だったんだ」

切り捨てない力

    個人的に、何よりすごいと思ったのは、この著者の現在だった。

 著者の過去の経験について、「訳者 あとがき」では、こう書かれている。

 タラに対する家族からの執拗な暴力と精神的虐待の描写は、訳す手が止まるほどすさまじいものだった。

 著者は、周囲の人間の力を借りながらも、学問の世界で成功を収める。その過程で、自分の「元の家族」ではなく、自分が新しく「家族」と思えるような人たちとの出会いもあった。

 そういう状況になったら、もし、私自身であれば、その「元の家族」は、切り捨ててしまうと思う。

 だけど、著者のタラ・ウェストーバーは、この本の出版後も、その選択をしていないらしい。

 タラは現在でも、両親、そして家族への愛情を捨ててはいない。たとえ両親が、本書の内容が虚偽に満ちているものだと声明を出したとしても。

 もちろん、これは、同じように家族に虐待などを受けていた人たちに、縁を切るべきではない、ということではないし、必ず見習うべきことでもないと思う。人によって、状況も違うし、選択が違って、当然だからだ。

 だけど、こうした「切り捨てない力」を示すような言動に、この著者の「人としての力の凄さ」を垣間見たような気がして、著者本人には迷惑だろうし、突飛な発想だけど、こういう人が大統領になってくれたら、とつい願ってしまった。

 それは、この人なら、追い詰められ困窮している人の声も、聞き逃さないはず、と思ってしまったからだった。

オススメする際の注意点

 本来であれば、どなたにも読んでいただきたい作品ですが、一部、読む際に注意していただきたい点があります。

 こういう言い方自体が、余計なお世話だと思いますが、もし、過去に虐待や大きな怪我などをされた方は、この作品を読むことで、いわゆる「フラッシュバック」を起こす危険性があるのではないか、と思えるほど、具体的で正確な描写があります。その点だけを注意していただければ、と思っています。

 その点を踏まえれば、本当に広く読んでいただきたい作品です。

 それは、こうして書いてきたことについても、この作品のごく一端しか触れることができないと感じているので、ぜひ、本書を読んで、もっと全体の豊かさを味わって欲しいと、勝手ながら思うからです。読む方にとって、全く違う感想を抱くのではないか、とも考えています。



(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただけると、うれしいです)。


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おちまこと
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