読書感想 『啓蒙思想2.0 ー 政治・経済・生活を正気に戻すために』 「絶望の前に知っておくべきこと」
本を読むきっかけは、いろいろなところにあるけれど、今回の場合は、テレビだった。
こうした「サブカルチャー」の歴史を映像で振り返っている番組を見ていると、1990年代以降であっても、自分がどれだけ映画を見ていないか。さらには、この番組はアメリカを中心に紹介されているから、こんなに歴史の出来事を知らないのか。もしくは、そのことに衝撃を受けていたはずなのに、どれだけ忘れているかを確認して、そのことにちょっとしたショックを受ける。
こういう番組は、必ず「評論家」的な人たちが、出来事などに対して分析的な言葉を発するのだけど、おそらくアメリカでは著名なのかもしれないが、自分が無知なせいなのか、その人たちが誰なのか全く知らず、だけど、映像とはいえ話しているときの気配を見て、この人は信頼できるのではないか、といった勝手な判断をしている。
そして、何人かのジャーナリストや、評論家的な人たちの中で、その話す内容と、それをしゃべる時の表情などで、信用できそうだと思ったとき、そのときに画面の下に出ていたその人のプロフィールを覚える。その中にあったのが、この本のタイトルだった。
『啓蒙思想2.0 ー 政治・経済・生活を正気に戻すために』 ジョセフ・ヒース
著者は1967年生まれ。肩書は哲学者で、大学の教授をしている。だから、もちろん人によるのだけど、社会を俯瞰で見るには適した場所にいるはずだ。その上で、その社会の動きの意味を分析することができる能力もあるのだとは思う。
日本にとって、1945年の敗戦以降、アメリカは、それまで戦争をしていた相手なのだから、それほど単純なあこがれだけではないとしても、今度は、追いつく目標となっていたのは間違いないのだと思う。
だから、アメリカで起こった出来事や風潮は、それを真似したい、という欲望があるせいか、しばらく経ってから日本でも広がっていくことが、本当に長く続いたはずだ。
バブル崩壊以降は、その傾向がやっと薄れたとは思っていたのだけど、このジョセフ・ヒースの「真実っぽさ」を伝える言葉は、2010年代以降の日本のことだと書いても、納得できるくらい似ている。
今の日本社会でも、政治家だけではなく、あらゆる人が、理性の前に「感情」に訴えることを競っているように感じる。だから、この著作の内容も、すべてではないにしても、アメリカだけではなく他の文化圏でも通用するのではないかと思えた。
理性の危うさ
この書籍の大部分のページをさいて証明しようとしているのは、「理性の力の危うさ」のように感じる。
つまり、何かを判断するとき、どんな人でも、どうしても直感的な力を使ってしまうのだけど、それは、合理的な思考をするときに比べて、かなり「ラク」で、人間は認知的資源をケチってしまう、ということらしい。
このワーキングメモリは、短期記憶とも言われているはずだけど、人間の、その記憶の能力は、一般的に思われているほど高くなく、短期記憶に優れている人でも、どうやら限界があり、だから、基本的には直感的な判断を優先させてしまうということのようだ。
そして、それは啓蒙が成功したとしても限界があることの根拠の一つでもある。
「理性」に訴えかけても、その「理性」の能力は、一般的に考えられているよりも、はるかに「危うい」ものだから、と著者はさまざまな例を挙げて、繰り返している。
同様に、人間の良心の働きという内発的と思われる行為も、環境に大きく左右されることも指摘している。
この本を読み進めると、こうした歴史的な視点も含めて「理性の危うさ」を再確認するのは、想像以上に重要なことではないか、と、思えてくる。
もしも、「理性」の能力に対して、これからも必要以上に信頼を置くような状況が続けば、それこそ、大衆が「理性」にめざめる「啓蒙」を目標としてしまい、その目標自体が、困難な上に、達成できたとしても、結局は「理性」の能力はそれほどではなく、より良い社会にならないのだから、その前提をわかっていないと、虚しい努力を続けることになってしまうからだ。
革命と刷新
人間の社会をどのように変えていくのか?
その変化を、一気に実現すれば、それは革命と呼ばれる。今の人類の社会につながる大きな変化の一つは、フランス革命だろう。
フランス革命がなければ、今の民主主義はないかもしれない。
だけど、この著者も指摘する通り、それは、急進的な変化でもあって、そうした「社会を更地のようにして、理想の社会を作ろうとすること」に関して、著者はこうした指摘もしている。
それは、人間の「理性」というものの力を過大に評価していたのかもしれないし、人は直感的な判断の方をどうしても優先させてしまうということを軽視してしまっていた可能性もある。
そうした本質的な検討が、おそらくは十分になされないまま、それから長い年月が経ち、現代では、人の欲望をコントロールするテクニックばかりが進化しているようだ。
その効果が十分過ぎるほど発揮されているのは、21世紀を生きる人間であれば、誰もが分かっていることだと思うが、その方法は政治の世界にも持ち込まれている、という。
これが、2005年頃からアメリカで顕著になってきた「真実っぽさ」の問題でもあって、2020年代では日本でも、もしかしたら世界でも、さらに先の「ポスト・トゥルース」に進んでしまっているのだろう。
この状況に対して、同じように感情に訴えていたのでは、おそらくは混乱がひどくなるはずだ。
そして、どれだけ不完全でも、判断が遅くても、理性の判断は尊重すべきだと著者が繰り返すのは、合理的な判断ができるのは、人間の能力の中では「理性」だけだからだろう。そして、その判断によって目指されるのは、「革新」(レボリューション)といった急激な変化ではなく、「刷新」(リノベーション)と言われるような地道な変化、ということになりそうだ。
スロー・ポリティクス
理想の政治があったと言われる古代アテネの偉大な哲学者であるソクラテス、プラトン、アリストテレスが、実は民主主義に対して、強く反対していた、と著者は指摘する。
そのため、現代の民主主義の国は、「政治判断を直接の民主的コントロールから分離しておくための多岐にわたる制度」が設置されている、という。
そうしたさまざまな工夫によって、民主主義はなんとか生きながらえてきたようだ。
約500ページにわたる本書では、現状がどれだけ絶望的なのか、「理性」を十分に働かせるような環境からどれだけ遠くなっているのか、未来は真っ暗なのか。といった冷静な分析と指摘が続いているように思うが、それでも、そうした前提が、どれだけ気力を萎えさせるものであっても、正確に把握しないことには、将来はないことは明らかだろうし、その上で、著者は「スロー・ポリティクス」を提案している。
だから、政治でも、その要素は外せない。
それが、困難なことであるとしても、それしか「正気を取り戻す」方法がなければ、それを目指すしかないことを、著者は訴えているようだ。その意志を示すために、「スロー・ポリティクス宣言」とし、本書の最後の部分に、まとまった文章にしているが、その一部を紹介する。
これだけの悲観的な現状であることを正確に理解しようとし、そのかなりの部分が成功しているように思えるから、そこで絶望してもいいはずなのに、著者は、こうして「スロー・ポリティクス宣言」として、自らの意志も明らかにしている。
その思考の過程の成果として、やや厚い著書だとは思うし、出版からすでに約10年が経っているけれど、今でも「知っておくべき」ことが書かれているし、これからを生きていくとすれば、「知っておいた方がいい」ことでもあると思う。
この記事を読んで、興味を持ってもらえたら、どんな方であっても、全文を読むことをおすすめしたいと思います。
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