読書感想 『彼女は頭が悪いから』 姫野カオルコ 「暴走するプライドの醜さと恐さ」
2016年に東大生の強制わいせつ事件があった。
そのことに関しては、そんなに強い関心もなかったので、忘れていた、というよりも、2000年代の早稲田での事件の方がもっと質が悪く見えたし、その後も、医学部生が、同じような事件を起こした、といったニュースは時々聞いていたので、その中の一つとして、記憶の中にうもれてしまったのかしれない。「東大」ということで注目は高いのだろう、といったくらいの気持ちしかなかった。
それは、ある意味で失礼な関心の持ち方ではあったと思うのだけど、それでも、そういう事件のニュースを聞いて、やはり、薄々感じていたことはあった。
もちろん強制わいせつや、性的暴力の事件は、どうしても表に出にくいから、実態を正確に把握すること自体が難しいし、有名大学や医学部生が事件を起こした方が、ニュースバリューがあるから、それが注目される確率が高いのでは、と思いながらも、こういう事件の加害者には、いわゆる「有名大学生」が多いと感じてしまうのは、自分自身のひがみも入った偏見なのかもしれない。
「彼女は頭が悪いから」
この本は、2016年の東大生の事件をもとにして書かれたものと知って、しばらく読めなかった。それは、男性の読者が読むと、それこそ下品な興味だけが盛り上がってしまい、ちゃんと読めなくて、フィクションとはいえ、事実をもとにしているので、失礼なことにつながらないだろうかと、考えた部分もある。そう思うこと自体が、どこか傲慢であるとも思い、ややこしい理由だけど、興味がありながらも、読めない時間があった。同時に、個人的な偏見でもあるのだけど、事実を元にしたフィクションが、どっちつかずに感じることもあったので、それも、読めない理由になっていた。
それが、書名の「彼女は頭が悪いから」は、加害者が語った言葉と知った時に、気持ちが完全に変わった。ここには、おそらく他では読むことができない、とても大事なことが書いてあるはず、と思ったからだった。
「明暗」を思い出させる会話
夏目漱石を全部読んでいるわけでもなく、そんなに語る資格はないと自覚はあるものの、「明暗」を読んだ時は、その夫婦の会話や心の動きの描写を読んでいて、まるで現代の話のように思えた。あまりにも高い自意識とプライドに邪魔をされて、(当人には、そういう自覚はないが)、素直に気持ちを表明できないし、受け取れない。
「彼女は頭が悪いから」を読み始めて、思い出したのは「明暗」のそういう印象だった。もちろん、フィクションでもあるけれど、登場人物たちが、「東大生」同士でも、他の人たちと会話をする時にでも、何に気を配っているかといえば、自分が頭が悪く見えないように、できたら頭がよく感じてもらうためには、どうしたらいいか。そこに神経を集中していて、これは、疲れるし、緊張感が強くて、大変そうだと思った。
そして、これはフィクションだけど、実社会でも、似た印象の人には会ったことがあると思うし、まずは、自分が頭がいいことのマウンティングが癖になっているような人が、特に21世紀になって増えてきたのは、自己責任という言葉の隆盛と、新自由主義の台頭と関係あるかもしれない。そういう世界では、弱みを見せられないからだ。
そう考えると、まずは受験という戦いでの勝者である「東大生」がそういう精神状態であることは、社会の反映でもあるとも思えてくる。もちろん「東大生」だけでなく、社会の中で強者であろうとしている、または、強者であると見られている人間は、違う側面から見たら、そうした不自由の中にいるのかもしれない、とも思えてくる。
プライドが邪魔をしていること
そんな、とてもプライドが高い「東大生」が、何人も出てくる。
その中でも、もちろん、プライドの濃度や種類の差はあって、そして、そのプライドは、自尊心というよりは、見栄に近いものであると感じさせることが多い。
生まれた環境に恵まれていて、その恵まれたことは、自分にとっては当たり前だから、それに対して疑問は持たないタイプ。
育った環境は決して恵まれていないのだけど、いわゆる猛勉強をして「東大生」になり、さらには、元々恵まれているグループに所属することで、プライドを保とうとするタイプ。
どちらにしても、自分を特別と思いたい、という気持ちは強く、そして、そのことで無意識のうちに、自分の本心を感じとることを邪魔されたりもしている。しかも、「東大生」のプライドの中に、あり続けることによって、それこそ、プライドの毒に染まっていくから、より自分の気持ちも見えなくなっていくように思える。
たとえば、のちに性暴力の加害者になる男性の主人公が、のちに性暴力の被害者になってしまう女性の主人公と、一時期、付き合い、その時、その男性は明らかに心から惹かれていて、気持ちも安心できているはずなのに、「東大生」の自分は特別であるというプライドが、自分の付き合う相手は、世間的に、もっとスペックの高い女性であるべきで、この人じゃない、という「プライドの呪い」のために離れていくことになる。
最終的には、その延長線上で、本当にひどいことをするのだけど、自分の本心に気がつくのを、みずからのプライドに邪魔されているようにも思える。
「プライドの暴走」による性暴力の事件
不運にも、性暴力の被害者になってしまう女性の恋愛感情は、かなり切ない。育った環境や本人の資質もあるのだろうけど、利他的な性格の傾向があり、それは美点でもあるし、一時期はその部分も含めて惹かれていたはずなのに、それを、「東大生」は分かっていて、利用する。その根拠は、おそらくは、「自分は特別であるから許される」という「プライドの醜さ」で、それが高まっていって、事件へと結びついていく。
だが、性暴力の事件の前の、「東大生」たちの行っている、かなりひどい性的搾取のような行為について、私自身としては、一方的に非難はできない、と思えてしまう。特に自分が若い頃、もし似たような環境にいたら、同じようなことを本当にしていなかっただろうか、と思うと、自信はない。それだけ、性欲に振り回されるような部分もあっただろうし、自分が特別だと思いたい気持ちも、ないわけではなかったからだ。
それでも、「醜いプライドの暴走」による、この本のモチーフとなった「性暴力事件」については、自分とは、ちょっと違うのではないか、と最初は思えた。このプライドの質は、やはり象徴的な意味での「東大生」に特有かもしれないと感じたせいだ。だけど、よく考えれば、ここまでのプライドの濃度の濃さはないにしても、自分にも、やっぱり、攻撃性が吹き出すかもしれない瞬間はありえて、だから、読んでいると、完全に他人事に思えないから、そういう意味での恐さも感じる。
そして、この性暴力事件が、本当にひどかったことも初めて知った。
それは、「東大生」の彼らが、プライドの源泉でもある「知的優越性」が、女性によって脅かされたことで(女性には落ち度はなく、素直に質問などに答えただけなのに)、怯えと怒りによって「プライドが暴走」し、自分たちのほうが「上」であることを見せようとする焦りもあって、どうしてここまで、ということをしている。それは、相手が「下」だということを自分たちに納得させるという身勝手な理由のために、人間としての扱いをしない、というひどい選択に見えた。「露骨な差別」を形にした、ということでもあったと思う。
「つるつる、ぴかぴか」について
彼らのうちの何人かの感情の有り様を「つるつる、ぴかぴか」と著者は表現していて、その表現が、実際の東大生からは、こんな東大生はいない、と指摘されることにもなる。だが、この言葉は、ある種の人たちの特徴を、かなり正確にあらわしているように思えた。
恵まれた環境で育っているから、苦労などでゆがむことが少なく、だからのびのびとしていて、困窮する環境にいる人の存在を知らない人は、一定数いると思う。大きな例えでいえば、マリー・アントワネットが言ったとされる「パンがなければケーキを食べればいいのに」という言葉は、本人にとっては善意からの言葉でもあるのだろう。
そして、当たり前のことだけど、どんな人にでも、悩みや挫折はあって、「あなたの心はつるつる、ぴかぴかですね」と指摘すれば、否定するに決まっている。だから、そのことを議論しても、あまり意味がなく、問題は、そう見える人たちが、どんな人なのかを考えることだと思う。
生まれつきの「つるつる、ぴかぴか」の人たちは、自分が特別と思いすぎて、愚かな差別をするのでなければ、貴重な存在になる可能性もある。ゆがみが少ない素直な人は気持ちいいと思う。どこかの時点で、その恵まれた環境などに気がつき、必要以上に卑屈になることもなく、その能力を自分のためだけでなく、世のため、人のために発揮してくれたら、とても尊敬できると思う。そんな偉そうな言い方をして恥ずかしいが、誰でもそうだけど、自分でも、ある面では恵まれていると感じる時があるから、より、そんな風に思うのかもしれない。
そうした人たちと違い、生きていく時間の中で「つるつる、ぴかぴか」になっていくことを選択している人たちも一定数いて、それは現在、個人的には増えている印象さえある。それは、象徴的にいえば、「人のこころ」といったものを考えない、という態度を続けることによって、自分の心は、悩むことも少なくなるから「つるつる、ぴかぴか」になっていくような人たちのことである。同時に、それは、「人のこころ」という面倒くさく、コンピューターでいえば、たくさんメモリーを使う「重い」データを無視することにもなるから、思考の速度も早くなって、自分がとても頭がよくなった気持ちになりやすいだろうし、実際に頭がいい人たちも少なくないと思う。
そして、プライドも育っていく。
本当に頭がいいとしたら、できたら、「人のこころ」という面倒臭い要素も含めて思考し、それでいて速度をあげてほしいし、その上で成果も出してほしいが、そこまで能力の高い人は、すごく少ないし、そういう方法を選択するような性格の人は、もっと少なそうだから、頭がよくないとしても、こうして細々と自分で考えていくしかない。(なんだか物悲しい気持ちにもなる)。
ただ、そうやって「人のこころ」について考えないようにして、「つるつる、ぴかぴか」を選択して成果をあげて、社会的にも成功した人の、「プライドが暴走」した場合は、性暴力として現れるかもしれないし、セクハラやパワハラなど、相手を「下」に見る形であらわれてしまう気がするので、そういう人たちの「つるつる、ぴかぴか」の笑顔は、やっぱりこわい。
どんな人に読んで欲しいか
こうして、私のようにそれほど苦労もなく、現代の日本で「ジェンダー 男性」として生きてきた人間が、こうして、「彼女は頭が悪いから」を読んで、なんだか偉そうなことを書いていいのだろうか、といった、うしろめたい気持ちはあるけれど、それでも、この本を読んでよかった、と思っている。
昔、男女雇用機会均等法ができた頃は、あと30年くらいたてば、男女が平等になって、少しは生きやすい世の中になるのでは、とぼんやり思っていた。だけど、あれから、時間がたっているのに、男尊女卑の空気が、まだ強い場所が多くて、何もできなかった自分にも責任はある、という後ろめたさはある。
そのことにつながるわけでもないのだろうけど、この「彼女は頭が悪いから」は、社会的にも私的にも男性として生きている人たちにも読んで欲しい、と思う。特に社会的に有利な立場にいる男性や、男子学生にオススメしたい。21世紀のこれからも、より有能でいようとするならば、こうした本は、基礎教養だとも思う。
「東大生」が読むと、こんな東大生はいない、といった気持ちになって、落ち着いて読めないこともあるようなので、(前述「東大ブックトーク」より)もったいないような気持ちもある。だけど、自分自身も、介護に長く関わっているから、介護をテーマにしたフィクションに接すると、「これは違う」などと、すぐに否定的に思いがちだから、しかたがないとも思う。
それでも、この「東大ブックトーク」で起こったことは、ただ、記録を読んだだけだけど、この小説の内部の出来事のようにさえ思えた。
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