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ひねくれ者・斎藤による結婚礼賛

どうもこんばんにちは、斎藤海鈴です。今回はタイトルの通り綴っていきますが、いつもと違ってだ・である調を使いますので、予めご承知おきくださいm(__)m


結婚礼賛

環境が変わり、周りに既婚者が増えた。別にノロケを聞くとか結婚の良さを布教されるとか、特にそんなことは無いものの、結婚するということについて今までよりも一歩具体的に考えるようになった気がする。

わたしは自己中あるいは我儘で、客観的に考えたり行動したりすることを苦手としている。すなわち「今・わたしは」という視点のみによってその場の行動を選択することが多く、「長い目で見て……」という賢明な損得勘定を中々意識できない。
そんな人間にとって、(少なくとも日本にい続ける限り)同棲と出産・育児がその先に待っている結婚とは、したくないどころか考えたくもないものである。

しかし、社会通念として「人は結婚してこそ一人前である」ということが未だ言われている気がするし、既婚者の「結婚してみて(結婚することの/同棲することの)良さがわかったから、あなたも結婚しなよ」という悪意のない発言が耳目に入る気もする。
未婚者からすれば、自身に結婚願望があろうとなかろうと、上に挙げた言説はどうしても己に非があって責められているような、すなわち被害妄想を抱きやすく、反発心を抱いてしまう。

では、結婚のどこがいいのか、結婚する人はなぜ優れているとされるのか。捻くれた未婚者なりにメリットを考えてみることにした。但しあくまで主観的な列挙ではあるが。

・血の繋がっていない他人との同居に耐えられる器の大きさ
・結婚すると決められる覚悟
・(生まれながらに既婚者という人はもちろんいないので)独身という肩書や環境から脱する決意
・今の自分(と相手)は結婚をすることで、より良い何かを得られるという結論を下せる判断力
・そもそも、他人を愛することができること
・他人からも愛される、あるいは選ばれる何らかの資質を備えていること

結婚までの過程には、概ねこのようなものが求められているのではないだろうか。一番上に関してはカップルの同棲についても言えるし、別居婚という選択肢があることも承知しているが、ここではそれらの場合について割愛する。

また、結婚したその先には、次のようなことが予想されるだろう。

・「血の繋がっていない他人」が「身内」となり、周りからそのように扱われるというある種の枷
・相手にしろ環境にしろ、「思ってたんと違う」が発生しうること
・それらのギャップを、すぐさま解消できるとは限らないこと

「案ずるより産むがやすし」とはよく言ったものだ。未知の将来はいくら予想しようにも限界がある。結婚も「分からないこと・不安なことがあったとしても、いっそのことやってみちゃえ!」と覚悟を決めることが必要だ。
それができる人たちはすごい、とわたしは思うのだ。何より、親がそれを選んでいなければわたしはこの世に生を授かっていないし、それは遠く先祖についても(出産とごっちゃになって言及している気もするが)言えるだろう。

だから、わたしは今後、結婚を決めた人たちをまずは讃えたい。わたし自身が未婚である限り、「己がしていないことをした」人たちに敬意を表せる人でありたい。


今回はひとまずこんなところで。
ではでは、安らかな日々を祈って。

🌊最後までお読み頂き、ありがとうございました。ぜひ感想をお寄せください!🎐


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