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夏期休業の終わりにこれまでを振り返ってみる。 #日々短文随筆
長かった大学の夏期休業もようやく終わろうとしている。
ここ最近やっていることといえば、卒業研究であったり、インターンであったりなのだが、やはり大学4年の後半になろうとしている中、今後の人生について考えることが多い。
大学入学時に思い描いていた将来像を思い出そうとすれば案外思い出せるもので、自分はさまざまな人と出会ったり、色々な知見を得たりしては考えが変わったりするタチだ、ということをそうして過去を振り返ってみるたびに思う。
考えが変わらないことはいいことだ、考えをコロコロ変えることはよくないことだ、と言う人もいるが、所詮二十数年しか生きていない自分からしてみれば、そんな青二歳の分際でありながら「譲れない考え」を持とうと言うことの方がよっぽど危険で生意気なように思う。自分のような凡人においては尚更だ。
生きた時間の長さ(=年齢)で人を判断するべきではないと言うのには全くもって同意なのだが、例えば同じ結論であっても、時間を使い、さまざまな事を踏まえた上でのものと、そうではなく安直に出したものとの間では重みが違う。時間を使うと言うことにはそれだけの意味があり、何事も可能な限り時間をかけて取り組むべきだと思っている。つまり、言いたいことは、あらゆる仮説を取り入れ検証した上で結論を出すべきだと言うことだ。当たり前のように思えて、これを実践できるようになるのに時間を要した。
大学に入学したての頃は今思えばある種尖っていて、自分の価値観にそぐわないものを排除するような姿勢であったが、今思えばそれは単に自分に余裕がなく、異物から自分を守るための拙い防衛手段であった。そこから数年をもってようやく「謙遜」「卑下」と言うものを身につけ、素直にあらゆることに向き合うことができるようになったと思う。異物から守るだけの価値が今の自分にあるのか、と言う事を客観的に捉えることができたためだ。
これは、言ってみれば「自分に価値があるのか」と言う問いかけであり、自らニヒリズムに飛び込んでいくようなものなのだが、これを乗り越えた先に、自分にとっての幸福な人生の歩み方を発見できたと思っている。
とはいえ、やはり自分はさまざまなことに影響を受けやすいタチなので、今回思うままに過去を振り返ったこの文章もまた、「あの時は若かった」と見返してみる時が来るのかもしれない。
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