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名前と自己の間
物心ついてから今日まで、おそらく最も耳にしてきた僕自身への褒め言葉は「名前」に関してのことだ。
「笑」という字が名前に入っていることを人は褒めてくれる。たしかに言われてみれば僕自身、僕以外で「笑」という字が名前の一部である人と出くわしたことがない。
けれどもいつからだろう……、いつからかこの名前を背負っているような感覚が生まれてしまった。背負うという表現は大袈裟かもしれないが「よっこいしょ」といった吐息とも溜息ともつかない、声にならない声が、身体のどこかしらから常に漏れている気がしてならない。
ポール・オースターの『ガラスの街』を読んだ。
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主人公クインはミステリー作家で、ウィリアム・ウィルソンというペンネームを使用している。作中では新作を書いてる最中で、語り手は探偵マックス・ワーク。
クインは作家活動を続けながら、本名よりも自ら創作した探偵ワークのほうにリアルな存在を感じるようになる。
ウィルソンはひとつの幻想であれ、ほか二人の生に根拠を与えている。実在はせずとも、クインが自分自身からワークへと渡っていくための橋となってくれている。そして少しずつ、ワークはクインの生活において確固たる一個の存在になっていった。彼の心のなかの兄弟、孤独のなかの同胞に。
僕自身、友達や先生や病院の待合室で「笑太朗」と、誰かの声で呼ばれた過去はあまりない。だいたい苗字かあだ名で呼ばれる。
しかしときたま役所の受付などで、書類に名前を記載した際、そこにある「笑」という字だけ若干浮かんでいるように見えるときがある。自意識過剰。その一言で片づけられると思った。現にいまもそうしている。ただそれは、浮かんでは沈み、沈んでは浮かびを繰り返す。感情が激しく淀んだブルーになるということでもない。
10代後半からだったろうか。笑ったとき、そこに無意識に強制的な作用が働いてるのではないかと疑問を覚えたのは。ある種の義務感、というと聞こえはいいが、そんなサッパリしたものじゃない。
例えば成人を迎えた際、自由に名前を変えれる法律があったとしたら。クインにとってのウィルソンやワークのように、それはまた違う人格を持って踊りだすだろうか。「笑」というたった一字を取り除くだけで、今までの青はまったく僕の知らない青として、この眼に映るだろうか。
聞いたところによると、僕は国分寺にある産婦人科で産まれたらしい。また、当時メディア等に出ていた有名な産婆さんに取り出されたようだ。そして「オギャー」と産まれた僕は、頭か身体に臍の緒がぐるぐる巻かれた状態だったという。それをみた産婆さんは一言「この子は苦労するよ」とつぶやいたとかなんとか……
僕はこれまでの20年弱の人生、これといった身に覚えのある苦労はしてないように思う。けれども他人と会話していて自分が笑っていると自覚したとき、産婆さんが漏らしたというその一言をなぜか思い出す。思い出したからといって、それで不安になるとかじゃない。ただ陽炎のようにあらわれ、陽炎のように消えるのだ。僕はそれを見ているだけにすぎない。
先日読んだアーシュラ・K. ル=グウィン著『影との戦い ゲド戦記』では、主人公の少年ゲドは元々別の名前を持っていた。師匠となる魔法使いオジオンから新たな名を告げられる場面が象徴的に描かれる。
まじない師の伯母は、まず、赤ん坊の時母親が与えたダニーという名を少年からとりあげた。名をなくし、衣服を脱いだ少年は、高い崖をあおぐ岩間に湧くアール川の水源の泉にひとり入っていった。彼が水に足を踏み入れたとたん、太陽は雲に隠れ、日がかげって水面は暗くなった。少年は清冽な泉の中を、寒さに震えながら、それでもまっすぐ顔を上げて、ゆっくりと対岸へ進んでいった。向こう岸にはオジオンが待っていた。彼は手をさしのべて少年の腕をつかむと、その耳もとに、「ゲド。」とささやいた。それが少年の真の名まえだった。
もし僕に「笑太朗」とは別の、真の名前があるとしたら、一体何だろう。
大学一年生のときに、大して好きでもないのに夏目漱石の作品を読破した。数ある作品のうちの、そのどれかに次の言葉が書かれていたと記憶している。
東雲
この言葉が漱石のどの作品に、どんな場面で使われていたのか思い出せない。それでも大学一年生の僕は、その言葉を目にしたとき、一枚の油絵をみたような感慨を味わった。また、仮にふとした間違いから、自分が物語を書くことがあって、ペンネームを使うとしたら「東雲」を入れようと思ったことも、ぼんやりとだが覚えている。ぼんやりと5年以上たったいまでも記憶に転がっている。
といいつつも、「笑太朗」という名前には、20代後半を迎えたあたりから少しずつ愛着が湧いてきた。馬鹿みたいな空想だが、もし僕の名前そのものに意志があるのだとしたら、こう言ってやりたい。
「これからもよろしく頼むよ」
まだこの名前をギュッと抱きしめることはできないが、手を繋げるところまではいったかもしれない。