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名前のような生き方をしていきたい、と強く抱いた一年だった

 2022年も間もなく終わりということで、今年一年が、僕にとってどんな年だったかを振り返ってみたい。

 どんな年だったか。それをひとことで言い表すと「名前のような生き方をしていきたい、と強く抱いた」年だった。

「笑太朗」という名前。これまで初対面の人ほとんどに、まず名前を褒められることが多かった。また、誰かに名前を書いてもらうときは「朗」でなく「郎」と間違えられることも多かった。朗は「ほがらか」と読む。親は、僕にどれほど笑っている人になってほしかったのだろう。あるいは、周囲にどれほど笑いを生む人になってほしかったのだろう。

 大学生までの僕は、この名前が嫌いだった。好印象な名前かもしれないが、男らしさは感じられない。どうせならもっと男らしく、カッコイイ名前が良いと思っていた。

 また僕は、真顔が怖いといわれることが多々あった。そしてあるとき親に、名前を引き合いに出され「いつもニコニコしてなよ」と言われた。その当時は思春期ということもあってか「おれだって腹立つときくらいあるのに、なんでいつも笑顔でなきゃいけないんだ」と反発心を抱いた。

 ところがある時期から少しずつ、名前に対する向き合い方が変わっていった。それはおそらく、子供に関わる仕事を始めたことが関係している。

 子供は、喜怒哀楽の振れ幅が激しく大きい。それはとても素敵なことだ。僕自身、割と落ち着いている印象を持たれるが、それは見方を変えれば、感情をしっかり伝えられてない証拠ともいえる。そのぶん子供は正直だ。どんな状況だろうと関係なく、泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑う。

 そして、子供の笑顔というのは、見るだけで癒される。誰であろうと関係ない。魔法のように、僕の心の不純物を取り除いてくれる。そんな笑顔が毎日見たいから、僕は子供に関わる仕事を始めた。最初は、それがきっかけだった。

 だが今年は、社会人2年目。いまの会社に勤めても2年目。年齢は28歳。20代の人生も残すところ僅かだ。そんななかで少しずつ、意識のあり様が変わっていた。

 僕は、この仕事を始めるようになってからか、自分自身も含め、多くの人が何かしらの「不安」を抱えているような感覚を得るようになった。

 そこには時代の流れも影響しているかもしれない。2020年に新型コロナウイルスが、世界に蔓延した。そして、様々な悪影響が僕達の生活を不安定にした。

 僕自身は未だ幸いコロナウイルスに感染してないが、流行当初はやはり不安だった。高校生のときに東日本大震災も経験していて、その際もショックはショックだったが、周りと力をあわせれば乗り切っていけるという根拠なき自信があった。しかし新型コロナ流行当初は、根拠なき自信すら湧かなかった。

 そして、仕事を続けていくうちに、多くの人が直接言葉にしなくとも、不安を抱いていることが伝わるようになった。だが僕が不安でいれば、仕事で関わる子供たちはそれを敏感に感じとる。子供たちまで影響されてしまう。

「不安から目を背けず、向き合い続けるんだ」

 そう思うようになった。向き合うためには、不安を無いものとせず、目を背けず、言葉で自分なりに説明できるようにし、吸収できるようになったほうがいい。だから他者のために、まずは己を大切にする。そのように決意したのが昨年のことだった。

 そして今年は、自分が持っている武器とは何なのかを、今一度考えなおした。新しく手に入れる必要はない。きっとそれは過去に転がっているはずだ。

 そこから導き出した僕の答えは「笑太朗」という名前だった。

 昔から笑顔が似合うと言われてきたが、僕は、この世に笑顔の似合わない人などいないと思っている。日頃どんなに怖い印象を持たれている人でも、笑う姿を見るだけで、僕は嬉しくなるし、素敵だなと思う。だから僕は、誰であっても自分と関わっている間は、その相手が自然と笑顔になれるような人間でありたいと考えている。

 そして、相手が笑顔になり、その場が明るくなるような空気を生み出すには、大前提として、自分自身がそれなりのエネルギーを保ち続ける必要がある。

「利他」という言葉があるが、その対義語は「利己」でなく「自利」という言葉らしい。そして本来は「自利利他」と一緒に使われる言葉のようだ。他者のために生きる始まりは、自分自身を大切にすることからなのだ。

 そのため僕は、改めて来年、は生活習慣や使う言葉について丁寧に考えなおしたい。言い方を変えると「すること」を選ぶのと同時に「しないこと」もより意識的に選択したい。例えば僕はタバコは吸わないが、それはある種「自利」に至るまでの手段である。また僕はNGワードに「頑張る」を入れているが、それも「自利」に至るまでの手段だ。

 このように「自利」を突き詰めていくことが、結果的に、名前のような生き方をすることに繋がると考えている。

 僕は来年が20代最後の年だ。『論語』のなかに「三十にして立つ」という一節があるが、残り約1年でこの言葉の僕なりの意味を導き出したい。そのキーになるのが、名前のような生き方をすることだと考えている。

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