
【スイクラ】密原・久瀬√ 感想考察
SWEET CLOWN ~午前三時のオカシな道化師~
密原・久瀬√から。とても面白い作品でした。
⚠️ネタバレを含みます。
【恋愛心酔ナルシスト】
♚ 密原誠丞 ♚

♡ルートテーマ:白雪姫
♡スイーツ:マカロン(軽佻浮薄)
【恋愛心酔ナルシスト】
キャッチコピー通りの「ナルシスト」っぷりに、序盤は完全に虚無顔になってしまいました。後述しますが、久瀬くんが「無償の愛を捧げる人」なら密原誠丞は「自分の為なら何でもする人」ではないでしょうか。そして、そんな彼だからこそ徹頭徹尾生者の側に居るように感じました。自己犠牲とは対称の、一番生々しく、したたかに生きる人。柘榴ちゃんとは、ある意味で似た者同士かもしれません。
ステレオタイプと子どもの視野
彼のルートで特に印象的だったのは、「好きになろうと努力する」ものの全く心動かされない柘榴ちゃんの姿と、そんな彼女と触れ合ううちにとうとう発狂してしまい本性を表す密原のシーン。柱に頭を打ち付ける密原の姿は、はじめはシュールで面白く、次第に恐怖を感じ、そして時間が経つと哀しいものに思えました。
彼の魅力であり、哀しいところは目的に向かって努力できるところ。密原にはそれが「発情した犬」のように思えても、モノにするためなら「女の子」の好みそうな甘い言葉を囁き、自身の容姿も使えるだけ使う。これは他の分野でも同様で、外に出るためなら柘榴ちゃんをスイートクラウンにする手助けも進んで行う。顔だけではないと証明するためなら、寝る間も惜しんで勉強する。彼は根本的に努力の人なのです。
彼がアスリートや受験生ならそれで良いのですが、問題は彼の価値観がステレオタイプに囚われすぎているという点。「友達や家族が心配するから外に出たくて当然」、「女は皆、常に自分に共感を示してくれる相手を求めてる」、「何を馬鹿なこと聞いてんだよ。女が嫌いな男なんていない。それだけだろ?」の辺りのセリフはツイッターならまず槍玉に挙げられている主語デカっぷりです。これが彼だけなら発売した当時の価値観やクリエイターの思想とも取れますが、ビーンズ一つ一つの多様性を尊重していた久瀬くんの性質からして意図的に対象なものとして描かれていると感じました。
スペックの高さをアピールするものの、価値基準が自身のものではなくステレオタイプである以上、それを極め続けても虚しいだけです。だからこそ、終盤では「理想の密原誠丞」を求められる外の世界ではなく、「素の自分」を愛してくれる柘榴ちゃんとスイートクラウン城に残ることを良しとする。生きていないが故に理想像の塊となった弟と比較され続けた彼にとって、ありのままの彼を見つめ、承認されることが救いだったのではないでしょうか。深愛では自分だけを見つめる目が好きだった彼が、歪愛では他を見ないように制限する展開は対比構造として美しく、頽廃的な魅力に満ちていました。
世界から自分を切り抜いて、救い取ってくれた人への愛情と、相手から全てを奪ってしまい、自分だけを与え続ける愛情。目的に向かって手段を考え、実行できる密原だからこその罠には驚かされました。
「それでも嘘吐きより勘違い糞野郎」
「“ありのままの貴方が知りたい?"綺麗事言うな」
「人間、知り合いには皆偶像を作る。興味があ
ればあるだけ、偶像は膨らんでいく」
「そしてその通りの人物でなければ、人は失望
する。“ありのまま”を受け入れる人間なんていないんだよ」
上記の歪愛エンドのセリフは、柱のシーン同様「理想の自分」を頑張って演じていたのに何の成果も得られず、あまりの理不尽さに打ちのめされて癇癪を起こす子どものようで、心に来るものがありました。
密原も柘榴ちゃんも、根本的に自己肯定感が低いのですよね。密原は自尊心が高く柘榴ちゃんは低いので、一見真逆に見えますが、密原はプライドは高くともそれを維持するために努力していて、自分はありのままで愛されて当然とは思えない。常に作り物の自分で外界と接するという点で、彼らは似た者同士なのです。
だからこそ「それでも嘘吐きより勘違い糞野郎」というタイトルは面白かったです。このルート、柘榴ちゃん自身も言ってしまえば自分のことしか考えられておらず、かなり頑固に行動しています。どれだけ説得されても自分がそうするべきだと思えば外野の話は聞かず、心配してくれる人の気持ちは顧みずにスイートクラウンになる決意をする。自分をスイートクラウンにするために甘い言葉を吐き続ける密原に、真摯に向き合って心を動かさなければ彼が傷付く、とは思えない。
はじめ、自分は犠牲になるべきだという自己評価の低さと、柘榴ちゃんをどうでも良いと思っている密原の評価が一致した、つまりは利害の一致から密原と行動を共にしたようにすら思えます。彼が豹変するまで、彼の心を見ようとはしなかった。
そもそも柘榴ちゃんは弟の件でかなり精神的に追い込まれているので、他者に心を配れるほどの余裕がないのも仕方のないことなのですが、それでは欲が伸びない。そんななかで、密原がついに発狂する。自分自身を酷く低く置く柘榴ちゃんにとっては、自分と同じ「嘘吐き」よりも自分よりずっと足掻いて生きている勘違い糞野郎のほうが魅力的に思えたのです。柘榴ちゃんが彼を知りたい、と動き出したのは、それまでの反省というよりは、当たり障りなく生きていた自分のような偶像ではなく、等身大の密原に興味を惹かれた結果だと思います。
白雪姫
『鏡よ鏡、鏡さん、世界で一番愛されているのはだぁれ?』
『それはお前の双子の弟、密原宗助だよ』
密原のルートでは白雪姫がモチーフになっていました。自分の美しさを鏡からの評価でしか信じられなかった女王と密原の姿が重なり、白雪姫がモチーフでありながら白雪姫ではなくそれを妬む女王役に据えられてるところが密原らしくて何とも言えない気持ちになりました。久瀬くんのルートも併せて考えると、白雪姫も「眠っていた」ところがシナリオとしてあまりにも良くできていて感動してしまいます。
双子の弟ではなく自分が生まれてきたことで、存在しない完璧と常に比較されてしまった彼。けれど、「生き残ったのが自分で申し訳ない」と考える柘榴ちゃんとは対象的に「それでも今生きているのは自分だ」としたたかに努力できる密原。似た部分もあり、自分にできない生き方だからこそ柘榴ちゃんも惹かれたのかもしれません。
【天然騎士は自称"弟"】
♞ 久瀬蒼馬 ♞

♡ルートテーマ:眠り姫、いばら姫
♡スイーツ:プリンアラモード(大胆不敵)
【天然騎士は自称"弟"】
個人的に久瀬くんが一番好きでした。天然で、穢れなく、最も理想的な人。密原とは対象的に、どこまでも無償の愛を捧げることのできる人。理想像から生み出したように完璧で、だからこそ虚しい。密原が生々しく生きる人なら、彼は絵に描いた餅といったところでしょうか。美しく、完璧で、自己犠牲も厭わない。死者の側の存在。
祈り、生、アイデンティティ
彼のセリフ、どれもこれも素晴らしく、特に密原ルートの終盤の家族愛や、お前の望みならと尽くしてくれる姿勢、守ろうとする姿、非があればすぐに謝り、柘榴ちゃんが自己否定すれば救い上げてくれる「お前は悪くない」という言葉、何枚も何枚もスクショしてしまいました。
突然弟になると言い出し、「お前を守るのが俺の役目だ」とどんな時も気に掛けてくれる久瀬くん。彼がここまで親身になってくれるのは、そう作られた菓子人形だからでした。
このルートの辛いところは、久瀬蒼馬という人間がらどこまでも清らかで正しい人なところです。自分が弟として作られた菓子人形だと知った久瀬くんは、道化師に操られているわけではないという自己の証明のため、柘榴ちゃんを外に出すことを目指します。彼は柘榴ちゃんに仕合せになって欲しいと何度も訴え、その為に手を尽くします。「ēli ēli lemā sabachthani」を彷彿とさせる、「俺がお前を傷付けたと言っても、どうすれば良いかと聞いても、神は何も答えてくれなかった」というセリフや、誠丞と同じように人間に生まれたかった、と悔しさを吐露するシーンは涙無しには語れません。
彼が道化師の生み出した駒ではなく、久瀬蒼馬であることを証明するためには、最愛の人と一緒になることは諦めなければならない。何も悪いことをしていない、前世からずっと人の為に尽くしてきた彼に対するあまりの理不尽さに、胸が詰まる思いでした。後述しますが、スイートクラウンは作品を通して自己犠牲に対するアンサーがこうなのかな?と思わされ、興味深かったです。
理想の王子様
「だが仕方がないさ。君は“自分に何も求めない、ただ守ってくれるだけの人形”を求めていたのだから」
「"弟"は柘榴を思って、柘榴の為だけに作られた、柘榴の慰み者」
……だから一緒に"生きて"いくことなんて出来ないのだと。
久瀬くんは王子様というより騎士っぽいので少しズレますが、どんな時も味方で、ヒロインのためだけを思って助けてくれる、という点で「作られた理想の男の子」という感じがして切ない気持ちになりました。柘榴ちゃんが"弟"に求めていたもの、その関係を踏まえるとより悲しくなりますね。だからこそ、出来上がった弟像も久瀬くんのようになったのかもしれません。まさに樫野柘榴にとって理想の弟としての役割と行動基準を、生まれ持って備えられていた。プレイヤーは誰しも彼女のように弟を求めているとは限りませんが、理想の王子様を求めているという点では乙女ゲーマーとしては共感できる人も多いのではないでしょうか。そしてそんな理想の人間は存在せず、一緒に生きていくことはできない。と突きつけてくるところが何ともスイートクラウンらしいなと感じました。
久瀬蒼馬くんは、時の止まったスイートクラウン城、停滞を選んだ死の側の夜にしか存在しないのです。
「天性の愛情」
久瀬くんのルートで驚かされた点の一つに、彼の前世が密原の恨んでやまない密原宗助だったことがあります。久瀬くんはもともとは密原を助けるためにスイートクラウンと取り引きした水子だったのですね。
「……だが、そんなどうしようもない奴でも死
んでいるよりずっと良い。俺にも家族がいたんだと知れただけで……嬉しい」
自分が犠牲になって助かったのが密原で、そのせいで自分はどんなに願っても柘榴ちゃんとは生きていけないと分かってなお、このセリフを言える精神性に感涙しました。久瀬蒼馬も、密原宗助も、人の為になることを喜べる、その為に動くことのできる人なのです。
生きていく上では存在し得ない理想の人間。だからこそ誇り高く、穢れない。本当は辛いのに外の世界の楽しみを知ってほしいと柘榴ちゃんのために説得する姿は、久瀬蒼馬くんそのものでした。
そんな彼だからこそ、歪愛ルートがとっても良かった。かなり衝撃を受けました。
いばら姫
歪愛は生まれたときから何もなかった久瀬くんが、はじめて自分だけのものとして柘榴ちゃんを手に入れるエンディング。
深愛では「愛する人のキスで目覚めることが、仕合わせだと知ってしまったから。」だったモノローグが、歪愛では「気が狂ってしまうほど美しい女王様はきっと、このまま永遠に目覚めることはないでしょう。」と真逆なものになっています。彼女を目覚めさせる騎士だった久瀬くんが、柘榴ちゃんを捉えておく茨になってしまう。「くすぐったいのか身動きをする彼女を、──俺だけが愛している。」という終わり方は哀しくも美しく、背徳的な魅力がありました。
スイートクラウンという作品は自己犠牲を、一人の人間として生きることを捨てる選択、と表現しています。それは確かにその通りで、自己犠牲がまかり通ることそのものが当事者が犠牲になって切り捨てられても構わない存在であることの裏付けになってしまうのです。これについては日之世くんのセリフで多く言及されていましたが、そんな世界で久瀬蒼馬くんは最初から最後まで捧げる姿勢を貫きます。それは、「そう作られた」からであり、「そうあってほしい」願いの現れなのかもしれません。生きている人には託せない、託してはいけない理想の愛だからこそ、久瀬蒼馬というキャラクターに委ねられた。そんな祈りの形のように思えました。
そして、そんな彼が、今度は彼だけが助かる形で柘榴ちゃんを生かすも殺すも指先一つ、という展開。無くてはならない存在でありながら、それは彼自身の望みだったのか。何度も咀嚼できるエンディングで、とても好みでした。
✦ 密原誠丞と久瀬蒼馬 ✦
二人のねむり姫
モチーフ自体も白雪姫もいばら姫も共通してねむり姫であるという構造が大変面白かったです。どこまでも対比される二人。生者の側で足掻く密原と、死者の側で理想を体現する久瀬。
助けたものと、助けられたものでありながら、助けられた側が死者と比較され苦しみながらもそれでも生きていることを誇り、助けた側は完璧な人柄でありながら一番の願いは願う事さえ許されない。どちらの遣る瀬無さも伝わるストーリーで、世界観の美しさと相まってとても楽しむことができました。
密原は常に理想の密原誠丞を演じ、久瀬くんは生まれながらに理想の弟であることを役割付けられている。対象的な二人の、それぞれの生き方と、それぞれの選択。
個人的に、同じように自己を飾りながら生きているのに、密原は自分のため、久瀬くんは他者のためだったのが興味深かったです。自分のために生きる人の努力と、他者のためにどこまでも尽くす人の献身。異なる美学で、どちらも美しかったです。