"ヰ世界情緒"によるライブ「AnimaⅢ」~ROM専観測者の感想~
はじめに
一般観測者のSunshineYamazakiと申します。
ヰ世界情緒さんを最推し、神椿スタジオ全体をふんわりと推しています。
私はこれまでアーティストの皆さんや他観測者の方々への干渉をほとんどせずに生きてきました。しかし、AnimaⅢを現地で浴びたことにより自分の脳内だけには収まらない量の感情が産まれてしまったので、noteを利用して初めて公開領域にアウトプットをしてみようかと思います。
あくまで脳内の感情・思考をそのまま書きますので稚拙な文章となります。また、アーティストに対する批判と捉えることができる文章が存在する可能性がありますが、その意思は無いということを予めご了承ください。
"ヰ世界情緒"によるライブ
ライブを通して私は"ヰ世界情緒"によるライブだったという感想を抱きました。当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれませんが、私にとってはこれが一番の衝撃だったのです。
説明をするために、まずは私の持論を述べる必要があります。
Vtuberという身体(=アバター)への向き合い方
ここ4-5年間でVtuberというコンテンツは著しく成長しています。いまでは大手事務所と呼ばれるような企業による管理体制でしたり、配信・動画・歌唱・企業宣伝…と明確なジャンルが確立されたりと、昔に比べて基盤がかなり良くなった印象です。
その一方で「Vtuberである必要」というものが軽視されている印象があります。実際に、アバターによる表現の限界を感じたことによる引退や、アバターを捨てた再出発を行う方も少なくないようで、再出発後に才能を発揮する方だっています。
何を言いたいかというと、アバターとその中に入る魂(=オリジン)がうまく融合されていない、いわばアバター(cv:オリジン)のようなVtuberが多くいる現状だということです。この状態だとどうしても、「この人はアバターを使いこなしているな」「役作りがうまいな」という感想を心のどこかで抱いてしまいます。
神椿スタジオは「バーチャルとリアルの可能性」という方針から、アバターとオリジンを上手く融合させようとしています。が、あの花譜ですら廻花という自己表現のための身体が必要になってしまいましたからね。花譜の廻花への分裂は賛否あるかと思いますが、アバターによる表現の限界を迎えたことに変わりないと私は考えています。
"ヰ世界情緒"という「アバター」であり「オリジン」
長くなりましたが本題に戻ります。
ヰ世界情緒さんは活動開始から創作活動(歌唱、作詞、イラスト、声優、ナレーション、朗読…)を行ってきました。これらはアバターという身体の限度を超えないように行われてきました。
彼女はたくさんのライブを開催していますが、彼女自身の魂を映したライブはAnimaシリーズだけだと考えています(Parallel Canvasシリーズはあくまで外伝的なものだと捉えています)。
「Anima」は今でも見返すほど大好きなライブですが、あくまで"ヰ世界情緒"というアバターによるライブに過ぎませんでした。また、「AnimaⅡ」はライブ表現がより進化していましたが、SINKA LIVEシリーズでの意味合いが強く、ヰ世界情緒さんらしさはあまり含まれませんでした。
ただ、「AnimaⅢ」は格が違いました。
一つ一つの曲への理解度、新たなバンド編成による表現の拡張、衣装それぞれにおける意味合い、観測者(ライブ観戦者)に対する需要と供給のバランス、何を食ったら思いつけるのかわからない完璧なセットリスト。
まるで一つの映画を見ていたような気分でした。
言語化が非常に難しいのですが、"ヰ世界情緒"本人による"ヰ世界情緒"のライブだったというか、ヰ世界情緒(cv:ヰ世界情緒)だったというか、オリジンが"ヰ世界情緒"に完全に成ったというか…
とにかく、あの場で完璧なライブを行ったのは"ヰ世界情緒"であり、これこそがアバターとオリジンの完璧な融合だったと言えるのではないでしょうか。
おわりに
「AnimaⅢ」は、ヰ世界情緒さんがこれまで行ってきた創作活動の終着地点かつ原点となるライブでした。ある意味では他のAnimaシリーズとは全く異なり、遂に完成した"ヰ世界情緒"による、1st ONE-MANライブのように感じました。このライブを現地で観れたことが何よりも幸せです。
「ヰ世界情緒さんを推し続けて本当に良かった」
そう思わせてくれるライブでした。
だらだらと書き連ねてきましたが、私はただの一般観測者です。
このバカでか感情を誰かに共感して頂けたら幸いです。