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幻のオリンピックチケット
子供の頃からオリンピックをテレビで見ることが大好きでした。
世界中のアスリートがオリンピックに集い、精神的なプレッシャーがある中、鍛え上げられた肉体から成す渾身のパフォーマンスに数えきれないくらい感動をもらってきました。時差がある国の開催でもこの時ばかりは深夜に応援をして手に汗握りながらTVから声援しパワーを沢山もらっていました。
小さい頃にバロセロナオリンピック(1992年)で世界中から集まった観客達が自分たちのピンバッチをお互いに交換する姿(ピントレーディング)がすごく楽しそうで、TVで観ている自分もワクワクした気分になりいつか自分もオリンピックを観覧して世界中の人たちとピンバッチを交換してみたいと憧れていました。
2004年のアテネオリンピックの時、大学生だった私はギリシャまで行こうか悩んだけれど、金銭的に余裕がなく諦めてしまいました。
2020東京大会が決まった時は、「オリンピックが日本で見れる!」と歓喜し、夫婦でチケット全部当たると100万円分位申し込みをしました。
結果オリンピックチケットが4試合分当選しました。
北海道でのサッカー2試合と茨城でのサッカー1試合、そして有明体操競技場での新体操女子決勝のチケット
特に新体操女子は決勝でメダルセレモニーも生で見れる &娘が新体操を習っているということもあって子供に見せてあげられることを、心から楽しみにしていました。2020年幕開けした時は「今年はオリンピック観に行こうね」と子供達と話して絵を描いたりして期待を膨らませていました。
コロナで2020年からオリンピックが1年延期され、度重なる緊急事態宣言や蔓延防止措置が出され、オリンピック反対の世論も沢山聞かれ、海外からの観客はなしになり、国内の観客を入れるかどうかも1万人までにするというニュースがあったり、「どうなってしまうのか」という気持ちでニュースを見ていました。
オリンピックやワクチンなど様々な世論やニュースがあるけれども、「自分でコントロール出来ない部分に思い悩んでも仕方がない」と思い、情報は得てもそれに振り回されないようにしようと心掛けていました。
しかし、4回目の緊急事態宣言を出すというニュースを耳にして、その「コントロール出来ないことにフォーカスしない」ということが守れず、がっくり落ち込んでしまいました。
手にスマホを持ってオリンピック無観客にするニュースや「緊急事態宣言中にオリンピックをやるのか」「チケット持っていたけどがっかり」などの声をTwitterで呆然とチェックしていました。
アメリカの大谷翔平選手の試合はマスクせずに大勢の観客が声援をおくる姿を見ていて、高齢者のワクチン摂取も進んできたのでどこかで観に行けるだろうと楽観的な期待してしまっていた自分がいました。
4試合分のチケットは幻になりました。
今は状況を受け入れ、テレビでオリンピックを応援しようと思っています。
オリンピック選手、大会関係者やボランティアの方達、医療関係者や飲食店、観光産業の人たちなど、多くの人が先行きが読めない中での対応をされています。
何が良い悪いと判断する「良し悪し族」の価値基準が蔓延っています。
価値観を押し付けるのではなく、それは個人的に好きか嫌いか「好き嫌い族」で生きていきたいと思います。