モンク
男は戦いに人生を捧げてきた。
夥しい数の戦いに勝利し、それでも戦い続けてきた。
魔法や飛び道具には目もくれず、素手で多くの相手を葬ってきた。
名声を手にし、彼の名は世間に広まった。
多くの人が彼の業績を称え、彼の名は世間に広まった。
負けたものは戦うことをやめ、一般的な幸せを手にすることを選んだ。
勝った彼は、戦うことを選び、闘技場に残り、見られる対象であり続けた。
しかし、彼の名声と反比例し、生活は一向に豊かにならなかった。
なんなら、負けて去ったものたちの生活は目に見えて豊かになっていった。
男は不満だった。
なぜ自分が正当に評価されないかわからなかった。
彼はむしろ高く評価されていた。栄光や名声を手に入れていた。
だからこそ闘技場を去るわけにはいかなかった。
男は戦う事でしか自分を表現できなかった。
彼の妻や娘は、そんな彼を心配していた。
彼も焦っていろんな人に商売の話を持ちかけた。
しかし、彼に商売の才能は無かった。
自分の名声を現金化する事に興味はあったが、それに専念してはいけないと知っていたのかもしれない。
彼が戦うのは神への祈りの言葉を唱えるのと同義だ。
モンクは戦い続ける事で信仰を示す。
あまりにも当たり前で本人も気がついていなかったが、彼は祈り続ける事で手に入れたものがあった。
こころ安らかな生活と、心の平安である。
彼は同世代が自分の城でボロ雑巾の様に消費されてゆく中、健康で若さを保っていた。
集団生活で自尊心を削り合うような日々のストレスからは無縁で、失うものの無い彼の精神は、子どものように純粋だった。
ストレスのない生活により、彼の肉体も同世代に比べて健康を保っていた。
「信じるものは救われる。」と言う言葉は、「信じられないものは、救われない。」の裏返しである。これは特定の宗教の特定の神様を信じろと言う意味ではなく、人は何かに縋って生きてゆく他ないと言う理を表している。
信仰対象が自然だろうと、お金だろうと、腕力であろうと、文化だろうと、信じるに足るものに出会わずに生きる事は、灯りを持たずに闇を歩く様に心細いものだろう。
どんな悪い状況であってもマインドセットひとつで状況を変える事ができるし、逆にどんなにいい状況でも自分がそう思えないなら最悪と感じてしまうかも知れない。
どこへ目標を持って行くか。
何を基準とするかで自分の生活に対する考え方は変わる。
経済的成功を追い求める時、モンクは神への祈りを疎かにしていた。
自分と他者の生活を比べ、自分の生活の豊かさを信じる事ができなくなっていたのだ。
だからモンクと経済的成功は容易に結びつかない。
もしモンクが経済的成功を収める時は、求めていない時、もしくはまた別のものを求めている時なのだろう。