同じ場所に留まれない。no.434
人が集う場所を創ろうとした
もう10年以上前、『人が集うスペース』を自分の事業として立ち上げたいと考えたことがあった。
ただ脳内で考えただけじゃなくて、
物件探しをしたり、事業計画書も作ったりしていた。
結局そのプランは、周りの人と議論していくなかで、とある方から『お金の匂いがしない』と言われ、
それをきっかけに色々と冷静なって考えて、断念した。
迎える立場は、やらなくてよかった
たしかにいま思えば、差別化や集客面で難しい面があったし、先行事例の受け売りのようなことしか言えていなかったから、事業としても微妙だった。
でもそれ以上に、やらなくてよかったと思うのは、
私がそもそも、そのスペースのホストになり、毎日そこでお迎えする。というような立ち位置は、性に合わないのだ。無理なのだ。
一日、同じ場所にいると気が滅入ってしまう。
一日家に引きこもっているのもムリ。
そんなタイプの人間が、同じ場所で人々を迎えようと考えていたのだ。
きっと無理だっただろう。
色々な場所を点々としたい
私は同じ場所に留まるのではなく、むしろ、そうやって人が集う場所を、いくつも点々としていたい。のだ。
日常の行動パターンでいえば、一日の中で、カフェやワークスペースを点々としていたいし、実際そうしてる。
そのときの自分のコンディションにフィットする場所に向かい、その空気感の中で発想を膨らませたり、その場の関わりの中で次の一手を決める。
そうやっていると、心身のコンデションがとてもよいと感じるのだ。
コロナ禍は良い方向に世の中をドライブした
そういう意味でコロナ禍はとても有り難い世の中と常識の変化だった。
元々個人事業は私の居場所に関係なく稼働するようにしてきていたけど、大企業を含め、多くの人たちが、リモートやオンラインへの受容性を持つようになった。
おかげで、私は一層、自分のコンディションにあった場所を選び、行動できるようになった。
半端者でいい。"みつばち" のようにありたい
一つの場所や組織・コミュニティに、多くの時間を割いている人から見ると、私はどっち付かずなやつに見えるかもしれない。
そういえば、20代のころには、そういう人から『半端者だよね』と言われたこともあった。
当時はその言葉に多少傷ついたけど、いまは、そう言われたなら、笑顔で『でしょ~』と返事を返すだろう。
半端者で構わない。私は、色々な場所に関わり、往来する、みつばちのような存在であればいい。
色々な場所との交わりを楽しみたいし、そのついでに、足に花粉をつけて、場所と場所つなぐことができればもっと楽しい。
そうなれば、みんなwin-winだ。
関係性は移ろえばいい
多くの関わりができたとしても、その関係性をどれも同じ強度でずっと維持するのは難しい。
そこを維持することに、目を向けていたら、いつか破綻するし、手段の目的化だとも思う。
そもそも、数年も経てば、それぞれの人生に変化や転機があり、考え方や優先度も変わっていく。
そうなれば必然的に、関わり方の頻度や強度は変わっていく。
だから、関係性はどんどん移ろっていけばいいと思う。
それでいい。
少し寂しくもあるけど。
時々元気?と言い合えればいい
多少、関係性が薄らいだとしても構わない。
別にケンカ別れとかしたわけじゃない。
今の時代は、オンライン上かもしれないが、緩やかな繋がりは続けられる。
そして数年に一度くらい、「どーよ最近元気?」って声をかけて、昨日も会ったかのように会話を始められればいい。
そんなスタンスで、周りの皆さんと、関わりを続けたい。