不義理をせずただ真っ当にしていれば、行いを見てくれている人はいる。no.582
先日、コインランドリーをはじめ10年以上個人事業を継続しているが、
そんな日々の行いを見ている人がいるということを実感した出来事があった。
7,8年お会いしていない方からで、詳細は話せないが、とある事業の譲渡について相談を受けた内容だった。
その事業に対して、参入当時のモチベーションもなくなってしまっていたり、その他いくつか課題もあって、状態としてはいまいちとのことだった。
その方にとってそれはメインの事業ではなく、したがって、このまま閉じるか、もしくはだれかに譲ろうと考えていたらしい。
そのとき私を思い出し、連絡をくれたのだ。
久しぶりなので色々と雑談もしながら、
なぜ私に声をかけてくだっさったのかを聞いた。
譲渡先について、色々考えたそうで、
私とその方の間にも共通の知り合いの事業経営者が何人かいるが、その人たちに声をかけたいと思わなかったらしい。
自らの利益を優先したり、不義理をするような人に事業を譲りたくない。
仮に高く買ってくれたとしても信用できない人には声をかけたくない。
それよりも信用できる人に譲りたいという想いだった。
たしかにその共通の知り合いの方々の行いには、私も思うところがあったし、そんな中で声掛けくださったことが、とても嬉しかった。
しかも、どうせ畳むんだから、譲渡金額はいくらでもいいとまで言ってくださって。
実際、譲渡していただくかはこれからしましょうという段階。
たしかに私の手持ちのノウハウを活かせる案件ではあるけど、再起させるのにはそれなりのアクションが必要だし、そもそもそれができる運営状況かどうかの確認も必要だ。
一方で、今の私は別の案件の立ち上げに時間を集中投下しているから、再起のアクションをやれる余力の問題もある。
だから結果的には、お断りすることになるかもしれない。
それでも声をかけていただいて、これをきっかけにまた色々と交流ができることがとてもありがたい。
私は特別なことをして来たつもりは全くないけど、その方から見て「真っ当である」という印象を残せていたのだろう。
数年前にコインランドリーの店舗を別の方から譲渡してもらったときも、同じような流れで声をかけていただいた。
不義理をしない。真っ当なことを積み上げる。
ただそれだけでも、やっていれば見る人は見てくれている。
改めてそんなことを感じるエピソードだった。
これからも自分が信じることを真っ当に、着実に。日々を積み重ねて参りましょう。