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京都ALS女性嘱託殺人事件について気になることのメモ

  2019年11月、京都市でALS患者の女性(当時51歳)を医師2名が嘱託殺人した事件について、2020年10月26日に公判前の整理手続きが開始されたことから、報道が増加しています。

 この事件に関する取材は、メディア企業の組織力がないと難しいと思うので、私はあまり踏み込まずにいます。なにしろ現場は京都。コロナ禍さなか、全国各地で感染者が増加している中、このために東京から京都へ出張しようという気にはなれません。

2020年10月・11月の報道から

NHK:ALS患者嘱託殺人事件~当事者たちの声(2020.10.13)

 ALSという病気だけでも過酷です(後記1)。周囲の無理解や介助不足が重なると、気持ちはわりと簡単に「死にたい」という方向に傾きます。しかし、時間が経って本人にも周囲にも一定の慣れや見通しがつき、介助体制が整備されてくると、気持ちは簡単に「生きたい」という方向に傾きます。問題は、生活基盤や介助体制を整備するまでに時間がかかること、誰にでもできるとは限らないこと。

後記1:ALSは単に身体が動かなくなるだけではなく、身体のあちこちに疼痛が起こってQOLを低下させたりするようです。ALSでなくても、身体を動かさないでいると疼痛が起こることはあります。それと共通しているのかもしれません。いずれにしても、ALSによる疼痛への関心が広く医学論文に見られるようになったのは2010年代に入ってからのようです。

日経メディカル:ALS患者が気兼ねなく暮らせる環境整備が先決(2020.11.5)

 介助の確保は、特に家族と同居している場合に深刻です。公的介助は家族のケアを前提として充分に提供されないことがままあるし。「自分の介助のために家族が不幸になるのは辛い」という思いから、人工呼吸器はつけずに早く死ぬことを自ら選択する場合もあります。また、家族が人口呼吸器をつけないことを本人に求める場合もあるんですよね。

 ALSと判明した時点で、特に苦労せずに24時間365日の介助が保障され、介助者の確保や教育に苦労することもなく、家族に負荷をかけることもなくなれば? たぶん、生き続けることを選ぶ人が増えるでしょう(後記2)。

後記2:嘱託殺人で亡くなったALS女性患者さんについては、ご本人のブログから「介助を受けざるを得ず、その介助が心身の苦痛をもたらす状況があり、安楽に生きられる介助が得られる見通しはない。従って安楽死したい」というお考えであったと読み取っています。しかし、ご本人のブログだけでも、「それでも生きたい」という方向性が見えるのですよね。たとえば子猫を飼おうとしたり。すぐにでも本気で死にたい人が子猫を迎えるものでしょうか? 「猫のために生きなきゃ」という生きるよすがを求めていたかのようにも読み取れます。もしも、安楽に生きられる介助が近々確保される見通しが確かであれば、安楽死希望はいったん引っ込められた可能性が高いのではないでしょうか。とはいえ、ご本人はすでに亡くなられています。私としては、残されたブログやツイートが全て事実を反映していたという前提で虚心坦懐に読むのみです。すると、介助者が苦痛をもたらしていた可能性、虐待があった可能性を考えないわけにはいかないのです。率直に言うと、私が虐待の可能性について黙らずにいることで自分の首を締められるかもしれない状況があります。しかし、断じて「死人に口なし」にしてはならないと思っています。

朝日新聞:「ALS患者の心は揺れ動く」訪問診療の医師が語る(2020.10.27)

 ある時に「死にたい」と思っても、ちょっとしたことで「生きたい」という方向に傾くことは、形に注目すれば、誰にでもある「食べたい、でも痩せたい」といった葛藤と同じです。その葛藤が、生き死にレベルで日常的にあるのがALSの方々だと考えればよいのではないでしょうか。患者さんがある時に「死にたいです」と言ったからといって「じゃ、死なせてあげましょう」というのは、あまりにもあんまり。「食べたい、でも痩せたい、でも食べる」という人は、超肥満体を目指しているわけではありません。「食べたい、でも痩せたい、だから食べない」という人は、餓死を目指しているわけではありません。「生きる」「死ぬ」が課題となったとたんに、「苦痛でも生きる」「安楽に死ぬ」の極論のどちらかしかなくなるのは、なぜでしょうね? 私は、論理や意思決定の問題として関心あります。

嘱託殺人は悪だけど、治療の差し控えは許される?

 ALS女性嘱託殺人事件から、重度障害者や難病患者の生命の尊厳について考えることは、必要なことなのかもしれません。そして、安楽死については現在の日本で何が認められているのかを共有することも必要でしょう(安楽死論議を活性化したいわけではなく、むしろ逆です。すでに、積極的に論議する必要がないほど認められていますから)。

 ここで忘れてはならないのは、ほぼ同時期の2019年3月に、患者さんが「死にたい」と言ったので生きるための治療を中止した後、「生きたい」へと患者さんの思いが変わったのに治療を再開せず、患者さんを亡くならせた事件が起こったことです。

マガジン9条:なぜ、透析は再開されず、彼女は死んだのか? 〜福生病院透析中止事件〜(雨宮処凛氏、2019年10月23日)

 「安楽死」の名の下に殺されたくない人々は、安楽死推進派や医療経済優先論者に通用する論理をいまだ持てずにいるまま、既成事実が重ねられて自分も殺される可能性を恐れなくてはなりません。これが現実です。

嘱託殺人の報酬は、どうやって振り込まれたのか

 この事件では、すでに逮捕された医師2名に対し、被害者の女性から130万円が振り込まれたということです。130万円は、80万円と50万円の2回に分けて振り込まれたと報道されています。

時事通信:死亡女性が130万円提示 「お金払っても死にたい」―ALS患者嘱託殺人(2020.7.27)

林さんは事件直前の2019年11月下旬、山本直樹容疑者(43)=東京都港区=の口座に、2日に分けて50万円と80万円を振り込んでおり、京都府警は両容疑者への報酬とみている。(略)同容疑者が山本容疑者の口座番号を林さんに教え、林さんが現金130万円の入金を提示していたという。

 ALSで全身の動かなかった女性が、どうやって? 同日の毎日新聞記事には、

女性がインターネットバンキングを利用したとみられる。

とあります。まあ、これが最も自然なんですよね。

嘱託殺人の報酬の財源は?

 亡くなった女性は、生活保護で暮らしていました(「NPO法人ちゅうぶ」Webサイトより。ご本人のブログでも開示されています)。公的介護の利用には、多額の自己負担が発生します。家族に介護の負担をかけたくない場合、「早めに預貯金を使い切って生活保護に移行する」というのが正解です。というか、日本では他に方法がありません。

 では、生活保護費から130万円を貯金することはできるのでしょうか?

 貯金すること自体は、可能です。とはいえ、現在の生活保護基準が「最低限度だけど、健康で文化的といえる生活」を保障できているかどうかは怪しい、というかもう保障できていません。生活保護で暮らし始めた時は、預貯金はないことが前提です。それでも、生活保護費から月々1~2万円を貯金することができれば、100万円を超える貯金を作ることは可能です。

 ただし毎年、福祉事務所に対して資産状況を申告する必要があります。その貯金の目的が「将来のスイスでの安楽死に備えて」というものであったら、適切とは認められず収入認定(召し上げ)の可能性もあります。しかし「いざという時の物入りに備えて」など無難なことを言っておけば、召し上げられる可能性は薄いです。預貯金があることを理由として生活保護を中断したり打ち切ったりする福祉事務所もありますが、預貯金の目的がよほど「あまりにもあんまり」でない限り、違法です。

 生活保護のもとで認められる預貯金の上限額は、「理論的には500万円くらい」と見られていますが、裁判等で認められた最高額は190万円です。それ以上の金額の預貯金が、是非をめぐって審査請求されたり訴訟になったりしたことはありません。生活保護費から貯金を作ることは、やはり困難なのです。

 いずれにしても、130万円が生活保護費から貯められた貯金なのなら、銀行口座でもタンス預金でも、福祉事務所は把握していることになっています。タンス預金の場合、本人が申告しなければ把握されようがないわけですが、私は「タンス預金だった可能性は低いのではないか」と考えています。自分の住まいのすべてに自分の目を光らせることができない、何をされても肉体的に抵抗はできない身体で、そんな多額の現金を家の中に置いておくことは考えられないでしょう。

 福祉事務所職員が裁判の証人となる場合、亡くなった女性の個人情報については明かすことができません。しかし、100万円を超える預貯金の存在を把握していたかどうか、それについてケース会議が持たれたかどうか、結論はどうなったか程度のざっくりした内容なら証言できると思われます。もちろん、警察が令状のもとで福祉事務所に対して捜査を行えば、さらに詳細な情報を得ることができます。

130万円の報酬は、誰がどうやって振り込んだのか?

 130万円の報酬については、「亡くなった女性が保護費のやりくりで長年かけて貯めた貯金からインターネットバンキングで振り込んだ」と考えるのが最も自然です。

 しかし、もしもそうではない場合、数多くの疑惑が浮上します。

 亡くなった女性のために130万円を誰かが提供したのであれば、生活保護の不正受給にあたります。この点は、福祉事務所が証言台に立てば判明する可能性があります。

 インターネットバンキングではなく、つまり亡くなった女性が自ら行うことのできない手段によって誰かが130万円の振り込みを行ったのであれば、その誰かに対し、適正な手続きによって委任が行われたのか、また目的を知っていたのかどうか、確認する必要があるでしょう。「保護費からの貯金を、ネットバンキングで本人が振り込んだ」という見方は、亡くなった女性の介助者の1人であった方と親しい障害者運動家によって公然の場で否定されています。なぜ否定できるのか、私にはわかりません。その方にとっては、少なくとも「保護費から貯金した」と「ネットバンキングで本人が振り込んだ」のどちらかが偽なのでしょう。

 この件については、介助者だった方、およびその方と親しい障害者運動家のお2人が、いずれ証言台に立つことを期待したいと思います。介助者だった方は、「亡くなった女性は『死にたい』とは考えていなかった」と公然の場で主張されています。その方と親しい障害者運動家は、なぜか、「保護費からの貯金 かつ ネットバンキングによる本人の振り込み」を、同じく公然の場で明確に否定しています。このお2人の主張が正しいのであれば、「亡くなった女性は生きたかったのに、たまたま漏らした『死にたい』という言葉尻を捉えられて嘱託殺人された」「嘱託殺人の報酬は保護費からの貯金ではなかったかもしれない(=生活保護費以外の収入があった)」「本人がネットバンキングで振り込んだのではない(=誰かが銀行の窓口で本人確認や本人の意思の確認のもとで振り込んだ? 誰かが代わってネットバンキングを行った? そのとき、正当な委任はされていた?)」ということになります。このうち1つだけが事実であれば、現在報道されている事件の全体像は覆ることになります(2020.11.12 この段落は大幅に加筆しています)。

 130万円の財源はどこだったのか。振り込みは誰がどのように行ったのか。これらは、まぎれもない嘱託殺人だったのか、それとも実質的に幇助自殺に近かったのかを大きく左右します。逮捕された2名の医師に対する情状酌量の可能性という面から見れば、医師たちや弁護人にとっても重要であるはずです。

医師らに余罪はないのか?

 逮捕された2名の医師らは、別途、似たような事件を起こしているのではないか。この点も、医療関係者を中心に疑いが持たれているところです。といいますか、警察も検察も当然疑うところでしょう。

日経新聞:診断書偽造の罪で追起訴 ALS嘱託殺人事件の医師(2020.10.20)

起訴状などによると、2人は共謀して2019年9月28日午後、福岡市内で、九州地方に住む20代の女性難病患者が海外の自殺ほう助団体に安楽死を依頼するのに必要な英文の診断書2通を偽造したとしている。

 本当に「偽造」といえる内容なのかどうかも含めて気になるところですが、公判を待つしかないですね。

報酬の財源と支払い手段が明らかになることを望みます

 いずれにしても、全身が動かなかったり意思確認が困難だったりする患者さんに対して、他にも嘱託殺人や海外での安楽死の手助けが行われているとすれば、報酬がどのように支払われたのかは大いに気にすべきポイントでしょう。生活保護で暮らしていた方に関しては、福祉事務所が把握していたのか把握できていなかったのか、把握していたとすればどのように把握していたのかも気にすべきところです。もっとも、「福祉事務所の与り知らないところで安楽死資金が作られていた」という事実が明らかになると、同様の手段による安楽死は遂げられないように法と制度の抜け穴が塞がれるでしょう。さらに、「生活保護は死にたくても死ねない辛い制度だから、障害者の生の尊厳のために、障害者は利用しないほうがいいですよ」というキャンペーンが張られたりして。あー、怖っ。

 いずれにしても、余罪も含め、公判で報酬の財源と支払い手段の詳細が明らかになることを期待しています。

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。