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杉並区障害者週間(5日目):障害者は、健常者より安価な選択肢を選ばなくてはならない?
地方自治体と国それぞれの障害者週間、あわせて2週間が続く憂鬱な季節。私には日照量が減る時期の季節性うつもありますから、ダブルパンチです。
本日は、障害者に許された消費について書いてみようと思います。
障害者は注文してはならない定食のオプション
JR阿佐ヶ谷駅のすぐ南側、商店街のアーケードに入ってすぐの東側に、魚料理の定食で有名なお店があります。この近くには杉並区役所や総合病院があり、来る機会は少なくありません。ランチの時間帯に魚料理が食べられる貴重なお店であり、しかも車椅子で入れるので、ときどき入っていました。
2015年ごろのある日、入ってカレイの煮つけ定食をお願いしました。その日は朝食を食べていなかったので、別料金の茹でブロッコリーも追加したいと思い、それもお願いしました。すると、店員さんは「もう売り切れた」と答えました。
それでは仕方ないと思ったところ、別のお客さんが注文をし、茹でブロッコリーも注文していました。同じ店員さんが対応しましたが、売り切れたとは言っていませんでした。
私の前に、カレイの煮つけ定食が運ばれてきました。茹でブロッコリーを注文した別のお客さんのところにも、注文した品々が届きました。私は、目の前にあるカレイの煮つけを味わいました。このお店で飲食するのは、生涯で最後にしなくてはなりません。したがって、私がそこでカレイの煮つけを食べるのは、その日が生涯で最後です。社会から差別をなくすことは不可能でしょう。でも、あってはならない差別が行われたお店を二度と利用しないことは、私自身の判断でできます。
そのお店は家族経営で、2000年ごろから何度となく利用していました。健常者時代も、車椅子を利用するようになってからも、お店の方に不愉快な思いをさせられた経験はありませんでした。その日、私には茹でブロッコリーを売らなかった店員さんは、私と同年配と思われる中年女性で、その日はじめてお店で見かけた方でした。おそらく、パートさんだったのだろうと思います。そのパートさんのせいで女性障害者が一人来なくなったからといって、お店は少しも困らないと思われます。それよりも、パートさんが足りなくて他のお客さんに不便を強いることの方が問題でしょう。
私には、お店に申し入れをすることが可能でした。当時は、障害者がこのような差別を受けた場合に権利擁護に乗り出す障害者団体が少なくなかったので、介入を依頼することも可能でした。でも、それで何らかの解決があっても、私が世の中の経済の流れから見て無視してかまわない1人であることに変わりはありません。むしろ、「障害者になった自分も、ただの客でいることができる」と誤解しつづけたまま、お店を利用しつづけられていた数年間が奇跡、あるいは何かの間違いだったのです。
障害者は買ってはならないエアコン
2022年夏、自宅のエアコンから冷房機能が失われました。メーカーは「National」です。「Panasonic」ではなく。1990年代に購入したエアコンを騙し騙し使っていましたが、ついに寿命。当たり前です。
当時は、博士学位論文の執筆中でした。エアコンがないと執筆は無理、それどころか熱中症で倒れてしまいます。経済状況は危機的でしたが、一大決心をし、近隣の家電量販店にエアコンを買いに行きました。狙いはダイキンの旧モデル。障害者である私にとって、フィルタの自動清掃装置はエアコンに必須です。「断熱なにそれおいしいの」的な住まいですから、性能に余裕をもたせておかないと電気代が高くついてしまいます。ですが、期待を満たすモデルは安くても17万円程度。そこで、旧モデルを狙ったわけです。メーカーの在庫も調べてありました。
狙った2年前のモデルはタッチの差で売り切れていましたが、1年前のモデルが残っていました。それで手を打とうとすると、40歳代と思われる男性の店員が「もっと安いのがありますよ」と別のモデルを勧めてきました。ダイキンの廉価モデルだったり、他社のエアコンだったり。私自身のニーズとは無関係に、「障害者には安いものを売るべきだ」という思い込みがあるようでした。
私はその店員に、自分の希望するモデルの性能が必要な理由を簡単に説明し、購入手続きを淡々と進めました。店員は露骨に不機嫌になり、何かがスムーズに進まないとニヤリと笑みを浮かべました。「この店で買うのはやめようか」と思いましたが、そのタイミングで購入しておかないとまずい事情がありました。梅雨明けと酷暑が迫っていたからです。猫が熱中症にでもなろうものなら、エアコン代の節約は無意味になります。
購入後は、取付に来てくれた工事屋のお兄さんの手際と仕事ぶりを惚れ惚れと眺め、エアコンの性能に大満足、そして妥協しなかったので電気料金を節約することができています。結果オーライではあります。
問題は、家電量販店で高額の買い物をするとき、今後も「店員さんは『許せない』と思いながら自分に対応するのではないか」という疑念を持たなくてはならないということです。その店員さんが特別に性格の悪い差別主義者であるのなら、別の機会に同じ思いをする可能性は少ないでしょう。でも私には、どこにでもいる日本人多数派にしか見えませんでした。
次に高額の買い物をする機会までに、差別しない店員さんのいるお店を見つけることができれば良いのだろうと思います。でも実際には、そんなことに手間暇かけておれず、「動くエアコンがないと死ぬ」という差し迫った状況になってから購入し、また差別を受けて泣き寝入りすることになりそうです。
買ったばかりのパソコンの売却をヘルパーに迫られた件
私のパソコンは、2000年以来ずっと IBM または Lenovo のThinkPadです。2005年に運動障害が発生して以後は、扱えるキーボードの選択肢が減り、TシリーズまたはXシリーズ、つまりハイエンドモデルになっています。正直なところ、キーボードのために ThinkPad 、それもハイエンドモデルを購入しているようなものです。
同じ性能のキーボードがあれば、パソコンはそこまで高性能である必要はありません。ですから当然、単体で製造販売されているキーボードは物色しつづけているわけですが、ピッチやストローク、ポインティングデバイスの配置を含めて「このキーボードがあれば、ThinkPad いらない」と言えるキーボードは、いまだに出現していません。したがって、「買える範囲でなるべく高性能なものを購入し、自己責任で故障させても保障されるオプションを可能な限り長期間にわたって同時購入し、なるべく延命を図る」という作戦で購入しています。過去、短くとも5年は使うので、高くはつきませんでした。
2015年、ThinkPad X1 Carbon を購入して数か月後のこと。
失職した男性ヘルパーが、共通の知り合いである女性障害者を通じて、私のケアに入ることになりました。介護職に転職する前は、ICT関係の仕事をしていたという彼は、私のケアに入り始めてすぐ、私に対してパソコンやICT環境や電気まわりについて、あれこれと指示するようになりました。その多くは、とても受け入れられないものでした。たとえば彼は、ACコードを急角度で曲げて固定してはいけない理由を知りませんでしたが、とにかく自分が「こうしよう」と思ったことを実行しないと気が済まないようでした。とにかく、危険なことをしてもらっては困ります。少なくとも、我が家の中では。
彼がこだわったことの1つは、私に ThinkPad を売却させることでした。「高価すぎる」というのが彼の言い分でした。売却し、もっと安いパソコンとキーボードを買えばよいと。秋葉原に行けば、何十種類というキーボードが売られているから、どうしても ThinkPad でなくてはならないわけはないはずだと。
私は反論しました。中古パソコン店の買取価格を挙げて、彼がいうほどのメリットはないことを示しました。代替になるキーボードがないことは、私自身が調べたので知っていました。Lenovo が製造販売している見た目同タイプのキーボードは、まったく似て非なるものです。一時的な代替ならともかく、多い時には1日10時間以上キーボードを打っている私には向きません。そのことを、実物を示して述べました。時々必要になるので、持っていましたから。キーストロークは見ればわかるはず。押せば音も手触りも全く違うことがわかるはず。でも、無意味でした。
彼は引き下がりませんでした。2か月ほどの間に、ThinkPad の売却を100回以上提案してきました。私が応じずにいると、暴言と暴力に発展。私は、猫たちを守るのが精いっぱいでした。思い通りにならない利用者を痛めつけるヘルパーはときどきいますが、男性かつ肉体的暴力を伴っている分だけ深刻です。即刻、契約は解除。彼の側の言い分は、「支援のために個人的な部分に入り込むことが必要だった」。これは彼に限らず、虐待で出入り禁止にされるヘルパーの決まり文句です。少しマシなバリエーションが「出来心で、興味をもってしまって、つい」でしょうか。
彼は現在もヘルパー業を行い、並行して独立系労働組合で活動しているようです。最近も労働組合のイベントの講師として彼の名前を見て、吐き気がしました。なお本記事には書いていませんが、彼は独特の経済感覚を持っており、お金があると傍目には全く無意味な浪費をし、おそらくは、その結果として「要保護状態までは行かないけれど、いつもお金がない」という状態にありました。本物の要保護状態を何回も経験し、福祉事務所で生活保護の申請を勧められたことがある私とは、経済感覚が折り合わなくて当然かもしれません。いずれにしても、彼が私に自分の判断を押し付けてよい理由はなかったはずです。
本年(2024年)、私はまたしても ThinkPad X1 Carbon を購入しました。9年ぶりです。2015年に購入したものは、9年間にわたって私の酷使に耐え、博士論文の執筆にも付き合ってくれました。しかし、少なくともWindowsでは「いくらなんでも限界」という状況になったので、致し方なく買い換えたのでした。
2015年に購入したものは、オプション含めて約18万円でした。1年あたりにすれば2万円。9年ではなく6年しか使わなかったとしても、1年あたり3万円です。安い買い物だったと思います。しかも今後も、PC-UNIX をインストールされて活躍する見通しです。
今年買い換えたものは、物価高と円安のせいで、そこまで安い買い物にはならない可能性があります。しかし、いずれにしても、私がすでに耐用年数を含めて検討を尽くしたところに、ヘルパーが口をはさんでよい理由はなく、私が応じないからといって暴力で報いてよい理由もないはずです。残念ながら、こういうことはよくありますけど。
私は今でも、彼と相対して聞いてみたいです。「あなたは2015年、私の買ったばかりのパソコンに『高い、高い』と繰り返し、売却を勧めていましたよね? これは本当に高い買い物だったのですか? 9年もたせたのは想定外でしたけど、最初から5年は使うつもりだったし、その場合でも今もウチでPC-UNIX機として動いていたと思われるのですが」と。でも、実行はしません。やるだけ無駄です。おそらく彼は、つながりのある障害者運動家などを動員して私を黙らせようとするでしょう。そういう世界です。
せめて、「障害者は差別されるべき」というルールを明文化してください
飲食店にも家電量販店にもヘルパーにも「障害者の消費は健常者が認める範囲、健常者より低い範囲でなくてはならない」という暗黙のルールがあるということは、これが日本の一般常識だということでしょう。
だったら、せめて、そのルールを明文化してください。反語であり、本気です。
「差別してません」という顔で差別するのも、「差別します」という顔で差別するのも、差別される側にとっては同じことです。
「差別します」という顔で差別してもらった方が、まだ対応しやすいのです。
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