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【58歳でFIREする100日前】-52days
近代資本主義はカルヴァンからはじまった
社会学者のマックス・ヴェーバー(1864〜1920)は、資本主義の種はカルヴァンの予定説から生まれたと考えました。カルヴァン派の人々は、自分は救われる側にいるという確信を得るために必死に働きます。働く理由は金もうけではありませんから、正直に、誠実に、寝る間も惜しんで猛烈に働きます。当然お金がたまりますが、自分の欲望のためにパーッと使ったりはしません。神から与えられた仕事のために使います。つまり、資本として投資されたのです。
ヴェーバーは、こうして資本主義が成立していったと考えました。そして、いったん成立した資本主義は、宗教的な倫理観を失った後も存続し続けるのです。
キリスト教の倫理観が資本主義の起源だって?いやいやそんなことないだろう。
どっちかというと産業革命による金儲けが起源でしょう。むしろその経済活動の世界的拡大を宗教的「福音」として正当化するための、プロテスタント(その代表のカルヴァン)の言い訳だったんではないだろうか。帝国主義による侵略戦争、植民地政策、奴隷制度、搾取、格差といった数々の暴挙を倫理観が押し進めたというのか。そうした非人道的行為をした者が、神から救われるなどというのは、あまりにも都合の良い詭弁に思える。いやしかし、非人道的な思いをしたのは異教徒であって、発展していったのがプロテスタントたち、彼らの建国した国だから、別に筋は通っているのか。
ならば、やはり資本主義とは、その起源からして敗者がいるから勝者がいるという考え方だと総括できる。ゼロサムゲームなんだ。