
【58歳でFIREする100日前】-55days
全面的に否定してしまえば、やられた方ではもう立ち上がる元気もなくなる。自分でダメだと言うのでさえひどい打撃である。ましてや他人からダメだときめつけられたら、目の前がまっ暗になってしまう。
お互いに自分の過去をふりかえって、とにかくここまでやってこられたのはだれのおかげかと考えてみると、たいていは、ほめてくれた人が頭に浮ぶのである。ある老俳人は、ほめられたからこそ、ここまで進歩したとしみじみ述懐している。ほめてくれた批評によって伸びた。けなされたことからはほとんど裨益されなかったというのである。
友には、ほめてくれる人を選ばなくてはいけないが、これがなかなか難しい。人間は、ほめるよりもけなす方がらまくできている。いわゆる頭のいい人ほど、欠点を見つけるのがうまく、長所を発見するのがへたなようである。
ほめられると、われわれの頭は調子に乗る。つい勢いづいて、思いもかけないことが飛び出してくる。
子供の頃から、「趣味は重箱のすみつつき」「特技は人のあげあしとり」と言ってきた。人の批判は大好きで、感想を求められると粗探しをして批判していた。そんなことをして嫌われることなどなんとも思わなかったし、保身的なお世辞や、気を遣った甘やかしが大嫌いだったのだ。正直な感想を求めらたのだから悪いところを指摘してやるのが真摯な態度だと信じていた。
しかし、翻ってみれば、自分はどうなのかというと、やはり褒められた方が嬉しい。貶されると凹む。悪いところは自分でわかっているから、わかっているのに指摘されるとたまらなく恥ずかしい。そもそも完璧など求めていない。できたところだけ褒めてくれればいい。できてないところはしょうがない。人を褒めると言うのはスキルなのだ。自分にはそのスキルが圧倒的に足りない。照れずに褒めるようにしていこう。褒められたらお礼を言おう。
このスキル、自分自身を相手にしても同じことができて、辛い時に気持ちを沈ませないようにコントロールして、自分の機嫌も取っていけるのではないか。