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『あたらしいサハリンの静止点』収録作冒頭試し読み①:谷林守「『サハリン社会主義共和国近代宗教史料』(二〇九九)抜粋、およびその他雑記」

もっともらしい架空の文献を並べて「サハリン社会主義共和国」が建国された「もうひとつの歴史」を語っていく奇想小説。法螺の吹き方が堂に入っていて、ページを来る手が止められない。謎のラスティ教とその指導者〈先生〉の正体には、開いた口が塞がらないだろう。――日下三蔵

第10回創元SF短編賞・日下三蔵賞を受賞した谷林守の作品「『サハリン社会主義共和国近代宗教史料』(二〇九九)抜粋、およびその他雑記」の冒頭試し読み版を公開します!

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谷林守「『サハリン社会主義共和国近代宗教史料』(二〇九九)抜粋、およびその他雑記」

『サハリン社会主義共和国の近代史―樺太の誕生から民主化までの軌跡とラスティ教の誕生』(二〇三二、トヨハラ出版)序文
 二〇三〇年、サハリン社会主義共和国はGDPで中国を上回る世界有数の経済大国となった。また、その翌年には我ら〈ラスティ教〉が国家に対する長年の貢献を認められ、正式に国教としての地位を獲得した。
 それらが実現したのは、石油・天然ガス・レアメタルの国家採掘事業「樺太プロジェクト」が二一世紀に入ってから本格化し、そして成功したおかげなのは議論を待たない。ここで問題になるのは「なぜ二一世紀まで実現を待たねばならなかったのか」である。〈ラスティ教〉の前身たるラスティ農業労働協会は一九四五年の樺太革命の立役者であったし、そもそも「樺太プロジェクト」を考案したのは、我らが〈先生〉ご自身である。もっと早くにその功績を認められてもよかったはずだ。
 ソヴィエト連邦が存続していた一九九五年まで、〈ラスティ教〉が宗教として認められなかったという事情はあろう(もっとも、〈ラスティ教〉を宗教の枠組みで捉えること自体、不明の誹りを免れないのだが)。しかしそれよりも致命的だったのは、一人の政治家の存在である―サハリンの初代総書記長トロツキーだ。建国の祖・樺太革命の英雄でありながら、かつてスターリンからソ連を追放された人物でもある。彼の存在が、地政学的に重要な役割を担っていた(※1)サハリンに対するソ連の「飼い慣らし」を誘発した――すなわち、ソ連に必要なだけの国力の増加は許容されながらも、大きすぎる経済発展の芽は常に潰されてきた(※2)――のである。
 彼が樺太革命後もスターリンによる粛清を免れることができたのは、〈ラスティ教〉の庇護と、指導者たる〈先生〉のもたらした奇跡のおかげとしか言いようがない。トロツキーが二〇二二年に卑劣なテロで死亡するまで、〈ラスティ教〉は彼に公私を問わず多大な支援を与え続けていたのだから。
 本書でおこなうのは、二〇二四年にラスティ共産党が〈大躍進〉を遂げるまでの過去一〇〇年の間、〈ラスティ教〉がどのようにサハリン社会に影響を与えてきたかを論じる試みである。日本が現在も米国統治下にあるという制約上、ラスティ教前史の研究に課題が残っていることは否めないが、ラスティ教を通史的に論じた点で本書は大きな学術的価値が認められるものだと自負している。とりわけ、〈ラスティ教〉の教義たる〈天上の幸福〉思想をサハリン史上に位置づける試みは、一人の歴史学者として刺激に満ちたものだった。
 執筆を始めた当初の私はラスティ教に、そして〈先生〉に対する大きな偏見を持っていたが、本書を書き終えた今となっては強く恥じ入る次第である。かつての私のように蒙に囚われた人々を、その不明を嗤わず、否定もせず、客観的な研究により啓くことができれば、これほどうれしいことはない。
※1:クナシリ島への軍事基地設立を端緒とする樺太・キューバ危機(一九六二年)が起きたのは、サハリンがアメリカ極東州日本=西側諸国に対する防波堤であったからに他ならない。
※2:二〇三二年、第二世代ガガーリンたちを用いた〈宇宙開拓〉計画が発足したが、原案が起草されたのは一九六八年である。宇宙開発が盛んだった時代にもかかわらず、ソ連が経済支援を突如打ち切ったことで、この計画もまた凍結を余儀なくされた。

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『〈先生〉の面影』(一九六五、サハリン出版)p156- 

(聞き取り時期…一九五七年三月一五日/聞き取りの内容から推測するに、この女性は一九二三年に樺太で〈先生〉と接触した最初の人物である)

 わたしはまだ子どもでした。十一歳でした。
 生まれたのは北サハリンの、もう名前も覚えていない町です。
 母は北海道に生まれたアイヌでした。幼い母とその家族は、十九世紀の末頃、無理やりサハリンに移住させられたんです。住み慣れた村を捨て、まともに開墾もされていない場所に追いやられ、わずかな人数の同胞と新しい住処を一から作り上げなければなりませんでした。みんな、なんとか生きていこうと頑張っていたと聞いています。それでも、ある酷い冬の年に、母を残して他の家族は全員死んでしまいました。その上、悲しみに暮れる中で樺太の帰属先が変更して、母は気づけばロシア国民になっていました。
 身寄りもなく一人で生きていかなきゃならなくなった頃に、母は開拓民の父と出会いました。農家の生まれながらも地元では大層裕福で、モスクワの大学に進学したほど教養があったそうです。それが何の因果か、極東の地に移住してきました。こう話すと変わり者に思われるでしょうが、実際変わり者だったのでしょう。開拓民なんて寄る辺がない人か、変人かのどちらかでしたよ。父と母はすぐに夫婦となりました。
 生活は試行錯誤の繰り返しだったそうです。どの場所が畑に適しているか。どのエリアの森林を切り拓くべきか。どこに家々を建てるべきか。大変なことだらけで、失敗も多かったけど、わたしという家族も増えて、充実していた。そこで日本がまた突然、北サハリンを占領したわけです。
 私の一番古い記憶は、日本軍が村を襲ってきた時のものです。私は家の外で遊んでいました。母は洗い物のために井戸から水をくもうとしていて、その間私は、隣の家のロシア人のお姉さんに遊んでもらっていました。碧い眼と黄金色の髪が印象的な、きれいな人でした。切り株に座るお姉さんの膝の上に乗って、ロシア語の唄を歌っていた。そう、ロシア語を教えてもらっていたんですね。
 家の前は広大な平野。家の近くには鬱蒼と茂る木々があって、その真ん中を一本の道が走っていました。遠景にはどこまでも伸びる山々、頭の上にはかすれた雲と真っ青な空。風が吹くとごうっと、草のなびく音だけが響くんです。そんな中、綺麗な、多分、子守歌か何かだったんでしょう。木々が風にゆられる音を伴奏に、きれいな異国の唄が響いていました。
 ふと、お姉さんが歌うのをやめました。森の方を見たんです。そして、そのときごうっと風が吹きました。
 私もつられて視線をそちらにやったとき、パン、と音がしました。
 頭上に、なにか赤いものが見えたのを覚えてます。でも、すぐに視界が遮られました。お姉さんの体が倒れ、私はその下敷きになったんです。
 次に、母の悲鳴が聞こえました。それと前後して、森の方から大勢の人たちの怒鳴り声。日本の軍です。
 視界が明るくなり、母が私を抱き起こしました。そして、そのまま家の方に走っていきました。
 お姉さんの頭が、まっ赤になっているのが一瞬見えました。「髪が、赤いな」と思ったのを覚えています。
 私はお姉さんの名前すら知りません。
 その後の記憶は曖昧です。父や母がすごく怯えていて、周囲に軍服の怖い人が増えて、そのまま家を捨てて再び移住です。大変な時代だったと父はよく言いましたが、私には実感がありません。いつだって大変でした。
 次に住んだのはスタロドゥブスコエという漁村です。あの頃はまだ栄浜と呼ばれていましたか。樺太鉄道の終着駅がある村で、日本の樺太開拓でも特に栄えていたところです。そこで再び新しい生活です。
 経済的には、豊かになったと思います。家は綺麗になりましたし、父が泥だらけになって帰ってくることもなくなりました。父には教養がありましたから、当時の日本軍に通訳として重宝されたそうなんです。それでも、新しい家が日本家屋になり、周囲が日本人だけしかいなくなると、父も母も笑顔が少なくなったように思います。もしかしたら、私の勘違いかもしれませんが……それでも、日本の人々が顔に刺青の入った母を見て、眉をひそめるのをその後何度も見てきました。まあ、これは日本人に限らなかったのですが。
 あの人がやってきた日のことはよく覚えてます。
 八月の涼しい晴れた午後でした。私は一人海岸ぞいの道をひたすら歩いていました。つい一月ほど前に栄浜にはじめての「学校」が建てられ、私は一週間前に学校に通いはじめていました。一〇人ほどの教室のなかで、私だけが日本語の不得意な人間でした。それまでの生活でも周りは日本の人ばかりでしたので、言葉はなんとかわかります、問題は文字です。両親ともに、日本語の読み書きは不得手でした。いくら子どもとはいえ、同年代のうち自分が一番出来の悪い人間だということは肌で感じていました。
 その日、学校が終わったとき、無性に泣きたい気分になりました。涙こそこぼしませんでしたが、このまま家に帰ると、きっと母の前で泣いてしまうと思って、私は家と反対方向の道をずっと歩いていきました。一人で遠くに行ってはいけないと言われていましたが、それよりも誰にも会いたくない気持ちが強かったのです。
 どれだけ歩いたのか、道らしきものがなくなったあたりで、私は海岸に出ました。浜辺には、少し透明な赤いような茶色いような石がたくさん転がっています。波が寄せては返し、浜辺に打ち上がった魚を転がしています。その死骸をかもめがよってたかってつついていました。
 その姿をみて、学校でみんなから笑われたことを再び思い出して、わたしはついにこらえきれず、しゃがんで一人で泣き始めました。
 どうしてこんなにつらいんだろう、と思いました。学校になんて行きたくない、とも思いました。そんな私の暗い気持ちも関係なく、陽射しは私を照らし出しています。
 どれくらいそうしていたのかわかりません。あるとき、私の体を大きな影が覆いました。そして、『こんにちは』という声が上から降ってきました。
 見上げると、一人の男性が立っていました。白いシャツに、黒いズボンを着た日本人です。その白と黒の対比が、真っ青な夏の空のなかくっきりと際立っていました。頭には黒の帽子を被って、片手にはトランクを持ち、片手には黒い外套を抱えていました。

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試し読みはここまでです。本編が気になる方は、サークル第三象限『あたらしいサハリンの静止点』をよろしくお願いいたします!

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