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250103 新年の抱負は「一日一笑」
パーフェクト・デイズ 020
昨日、電車で6駅離れたところに住む長男から、「今日ひま?」とLINEが入りました。日頃、連絡がない子供から連絡があると、貧乏性の親は身構えるものです。午後2時前に家に来ました。白菜鍋をつつきながら一緒に古いアニメを見てゲラゲラ笑いました。特段何の話もなく、暗くなる前に帰っていきました。
今朝は、兄の元カノさんからメッセージが入りました。一人暮らしの兄を心配して、わざわざ正月に様子を見に行ってくれたそうです。調子が悪そうだとのことでした。兄とは4年前の母の葬儀以来、連絡を取っていませんでした。すぐにLINEを入れましたが、既読スルーされました。私生活に心配の種は尽きません。
仕事もそうです。今は小康を得ていますが、昨年来、うまくいっていない案件がいくつもあります。有効な手立てを見つけられず、どの課題もいつ火を噴いてもおかしくありません。はてさて、公私ともに行き詰っている状況で、新年にどんな望みを託せばよいのか。
今年は酒井雄哉さんの生誕100年です。
1926年、大阪に生まれました。父は会社を経営していましたが、雄哉さんが5歳の時に倒産。夜逃げのようにして東京へ出てきました。15歳で旧制麻布中学校の受験に失敗し、夜間学校へ通います。
全く勉強せず、18歳で予科練入隊を条件にかろうじて卒業します。特攻隊員となり、多くの仲間が死んでいく中、生き残って敗戦を迎えます。それからさまざまなところで働きました。図書館、ラーメン屋、証券会社、そば屋、お菓子屋、どこもうまくいきませんでした。
それでも33歳で従妹と結婚しました。ところが、新婚1か月、妻が自殺します。理由はよくわかりません。しばらくは、抜け殻のように生きたと自らおっしゃっています。
たまたま比叡山延暦寺に行き、千日回峰行の行者に出逢うことがありました。自分も修行がしたいとの思いを固め、39歳で出家します。あれほど勉強が嫌いだったのに、若い小僧と共に学業に励み、叡山学院を首席で卒業しました。
47歳、ついに千日回峰行に挑戦しました。7年間かけて、比叡の山々を祈りながら駆け回る修行です。地球一周に相当する約4万キロを踏破します。途中、断食などもある、命を懸けた究極の行です。無事、成就しましたが、満足しません。55歳で再挑戦し、満行《まんぎょう》しました。比叡山千年の歴史で、二千日回峰を遂げた者は3人しか記録されていません。
一日が一生
どのような心持ちがあれば歩き続けることができるのかと問われ、雄哉さんはおっしゃっています。朝、目覚めたときに生まれ、夜、目を閉じるときに死ぬ、そう考えて今日一日を懸命に歩くのだそうです。長い修行ではうまくいかない日もあります。そんな時は、今日のことは今日でおしまい、明日はまた生まれ変わって新たな気持ちで前に進めばよい。
回峰行の後も、歩くことに目覚めたかのように日本を、そして世界を歩き続け、多くの人々を励まし、勇気づけて2013年にお亡くなりになりました。享年87歳。
回峰行で得たものは何もない
だけど
おかげで今がある
雄哉さんはこんなこともおっしゃっています。修行をすると悟りが開けるように言う人がありますが、そんなことはないというのです。ただ、それでも、日々の努力だけが「今」をつくることができるのでしょう。
ボクは雄哉さんが2回目の回峰行を終えられた年齢を超えました。それほど努力することもなく、馬齢を重ねたためにいまだに迷いが多い。だからと言って、人生を投げ出す勇気もまだありません。なので、今年の抱負は、やはり「一日一生」。しかし、これまでずっとそう思ってきて、決してうまくいっていないので、「一日一笑」ともじることにしました。
今日一日、笑って過ごせればそれでよい。そのために毎日頑張ろうと思います。