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時よ古い友だちなら

平安時代の貞観4年(862)から中国の宣明暦(せんみょうれき)をもとに毎年の暦を作成してきましたが、江戸時代に入り天文学の知識が高まってくると、暦と日蝕や月蝕などの天の動きが合わないことが問題となり、江戸幕府のもとで暦を改めようとする動きが起こりました。

編暦作業は、朝廷の陰陽寮(おんみようりよう)から天文方に移りました。
貞享2年(1685)、渋川春海(はるみ)によって初めて日本人による暦法が作られ、暦が改められました。これを「貞享の改暦」といいます。
そのあと「宝暦の改暦」(1755)、「寛政の改暦」(1798)そして「天保の改暦」(1844)の全部で4回の改暦が行われました。

陰陽頭の賀茂忠行・賀茂保憲父子
弟子である安倍晴明の安倍氏(後の土御門家)と並んで陰陽道の宗家となり、子孫は「暦道」を伝えた。
安倍氏とその嫡流末裔土御門家が「天文道」を伝えた。
江戸時代初期は陰陽頭を務めるが、幸徳井友傳の死後、安倍氏系の土御門泰福に陰陽道宗家の地位を奪われ、江戸時代中期以降は陰陽寮の次官にあたる陰陽助を務めた。

陰陽寮(おんようりょう、おんようのつかさ、うらのつかさ)
日本の律令制において中務省に属する機関のひとつ。
占い・天文・時・暦の編纂を担当する部署。

天文道(てんもんどう)
天文現象の異常(天文異変/天変現象)を観測・記録し、その地上への影響について研究する古代の学問、占星術。陰陽寮で教えられていたものの一つ。

暦道(れきどう)
古代日本における暦を作成するための学問(暦学)のことである。陰陽寮で教えられていたものの一つ。

旧暦は、月の満ち欠けのサイクルに基づいて1カ月を定めている。
1カ月が約29.5日
1年間は29.5日×12カ月=354日
1年365日と比べて、10日ほど少ない。

明治維新後の1870年(明治3年)に至り、新政府は「天社禁止令」を発布し、陰陽道を迷信として廃止させた。
明治5(1872)年に「改暦」を行い、現在の新暦に切り替えた。

旧正月は、中国・台湾・シンガポール・韓国・ベトナム・マレーシアなど、アジア各国を中心に祝われています。
なお、主に中国や台湾では、旧正月のことを春節と呼びます。
春節の日付は毎年変動する
2025年は1月28日(大晦日、火)~2月4日(旧暦1月7日、火)の8連休。

旧暦と新暦のズレ
数年に1度、閏月(うるうづき)を設けて、1年を13カ月とする年を設けて
新暦と調節する。

西洋では、紀元前46年にカエサルが太陽暦のユリウス暦を実施し、それまでの太陰太陽暦であるローマ暦(年355日)とのギャップを埋めるため、90日もの閏日を加えた。
そのためこの年の長さが445日にもなり、乱年とよばれた。

セシウム原子時計
国際単位系(SI)で「1秒は、セシウム133原子の基底状態の二つの超微細構造準位の遷移に対応する放射の周期の91億9263万1770倍の継続時間。」 と1967年に定義され、 現在も使われている。

国際単位系 (SI) においては、唯一、秒 (second) だけがSI単位となっている。
分 (minute)、時 (hour)、日 (day) の3つは、SI併用単位であり、年は含まない。
時間にも最小単位があるのではないかとも考えられるが、秒以下は分数で現されている。1/100秒など
シャッタースピードの話ですが、Canon EOS R3に至っては何と1/64000秒

テレビ局スタッフと世間のズレ
セシウムさん騒動(原発事故からみの放送事故)
2011年(平成23年)8月4日に東海テレビのローカルワイド番組『ぴーかんテレビ』
「しあわせ通販」のコーナーで放送された不適切なテロップを表示した不祥事。

岩手県産ひとめぼれ 10kg 当選者
怪しいお米
セシウム さん
怪しいお米
セシウム さん
汚染されたお米
セシウム さん

東海テレビ

不適切テロップがオンエアされ始めたときは、どの部門のスタッフ・出演者いずれもが別の作業を優先しており、放送画面から目を離していたため 23秒もの長きにわたりオンエアされた。

時間の長さ
主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明した。「ジャネーの法則」とも表記する。
60歳にとって1年の長さは人生の1/60であるが、6歳にとっては1/6である。

重力と時間経過
重力ポテンシャルが低ければ低いほど(時計が重力源に近ければ近いほど)時間の経過は遅くなるので、超高層マンションの1階に住む住民より、最高層階に済んでいる住民の方が、極僅かだが早く歳を取る計算になる。

刻(こく)
漢字文化圏で使用される時間・時刻の単位である。
「刻」という名称は、漏刻(水時計)の刻み目に由来する。
日本では、100分割の刻は天文や暦学の分野で使用され、不定時法が採用されてからも等分のままであった。
昼の長さが春分・秋分には50刻、冬至には40刻、夏至には60刻となる。
12時辰(1日をおよそ2時間ずつの12の時辰に分ける時法)は室町時代ごろから不定時法となり、季節によってその長さが異なるようになった。

いまなんどき?

江戸時代までは、1日の時刻を、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支で表していました。子(ね)の刻は、現在の時間に直すと、午前0時を中心とする2時間、すなわち前日の午後11時から当日の午前1時までを指し、丑(うし)の刻は午前1時から午前3時まで、というように、2時間刻みで順番に十二支を当てはめていたのです。

一つの刻(いっときは1つ)を、30分刻みで四等分して、たとえば、丑一つ(丑1刻)は、午前1時から午前1時30分までの間(もしくは、午前1時)、丑二つ(丑2刻)は、午前1時30分から午前2時までの間、細かく時刻を表していました。

この言い方は時代劇、古典落語や怪談にも登場しますね。
丑三つ(うしみつ)は、現代の時刻にすると、午前2時から午前2時30分までの間(もしくは、午前2時)をあらわしていました。
さらに、丑三つは方角に当てはめると、丑寅(東北)、つまり鬼門なので幽霊が出やすいと信じられていたのです。

いちにさん・・・の前の数え方
ひ(1)、ふ(2)、み(3)、よ(4)、いつ(5)、む(6)、なな(7)、や(8)、こ(9)、とお(10)、とおあまりひとつ(11)

歳:はたち(20)、みそじ(30)、よそじ(40)、いそじ(50)、むそじ(60)、なそじ(70)、やそじ(80)、ここのそじ(90)、ももとせ(100)
60歳「還暦(かんれき)」
66歳「緑寿(ろくじゅ)」
70歳「古稀(こき)」
77歳「喜寿(きじゅ)」
80歳「傘寿(さんじゅ)」
81歳「半寿(はんじゅ)」
88歳「米寿(べいじゅ)」
90歳「卒寿(そつじゅ)」
99歳「白寿(はくじゅ)」
100歳「紀寿(きじゅ)・百寿(ひゃくじゅ・ももじゅ)
108歳「茶寿(ちゃじゅ)」
111歳「皇寿(こうじゅ)」
95、110、112歳「珍寿(ちんじゅ)」
120歳「大還暦」

100歳の1年の長さは1/100

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